📝 この記事のポイント
- 久しぶりに料理をしたら、塩と砂糖を間違えて悲惨な結果になった。
- 先日、妻が実家に里帰りしていて、私は幼児の息子と二人きりの数日を過ごしていた。
- 普段はキッチンに立つことなど滅多にないのだが、さすがに毎食レトルトや出前では栄養が偏るだろうと、急に父性が爆発して張り切ってみたのだ。
久しぶりに料理をしたら、塩と砂糖を間違えて悲惨な結果になった。
先日、妻が実家に里帰りしていて、私は幼児の息子と二人きりの数日を過ごしていた。
普段はキッチンに立つことなど滅多にないのだが、さすがに毎食レトルトや出前では栄養が偏るだろうと、急に父性が爆発して張り切ってみたのだ。
メニューはカレー。
これなら失敗は少ないだろうという安易な選択だった。
玉ねぎを飴色になるまで炒め、豚肉を投入し、人参とじゃがいもをゴロゴロ入れる。
順調な滑り出しに、私はすっかり腕を上げた気になっていた。
ルーを入れる直前、味見と称してひとかけら口にしたところ、妙にパンチがない。
いや、むしろ甘い。
甘すぎる。
その時、私の脳裏に「隠し味に砂糖を少量入れるとコクが増す」というテレビ番組のフレーズがよぎった。
そうだ、これだ。
私は胸を張って、シンク下の棚から白い粉の容器を取り出し、計量スプーンで大さじ一杯分を鍋に投入した。
そして、もう一度味見。
うん、さらに甘くなった。
なぜだ。
なぜこんなにも甘いんだ。
そこでようやく、私が手にした白い容器が「塩」ではなく「砂糖」であることを、まぶたの裏に広がる甘ったるい記憶が教えてくれた。
しかも、カレーに最初に入れた甘さの元は、恐らく私が前日、野菜炒めと間違えて息子の離乳食の出汁パックを入れてしまったからだろう。
いや、待てよ。
離乳食の出汁パックは甘くない。
そもそも、あの時もなんか甘かった気がする。
まさか、その時も砂糖を…?
脳内をよぎる様々な甘い記憶に、私は顔を覆った。
息子はすでに一口食べて「うぇ」という顔をしていた。
本当に申し訳ない。
その日の夕食は、近所のスーパーで買ってきた半額弁当になったのは言うまでもない。
私の父性は一瞬で萎み、結局、妻が帰ってくるまでレトルトと弁当でしのぐことになったのだった。
料理は奥が深い。
いや、私の集中力が浅いだけかもしれない。
こんな風に、自分の勘違いやうっかりミスで赤っ恥をかくことは、人生で何度もある。
特に趣味のこととなると、なぜか普段以上に前のめりになってしまい、見当違いな方向に突っ走りがちだ。
最近、昔の友人が趣味のソフトテニスを再開したという話を聞いた。
私も学生時代に少しだけやっていたので、懐かしさ半分、興味半分で話を聞いてみたのだが、そこで耳にした「ソフトテニスの悪魔的文化」に、私は背筋が凍りついた。
友人の話によると、ソフトテニスには「相手のミスを喜ぶ文化」があるという。
いや、待て。
スポーツって、フェアプレーが基本なんじゃないのか。
相手の失点に「よっしゃー!
」とか「ドンマイ!
」とか叫ぶのは、まだ百歩譲って理解できる。
でも、ソフトテニスは一味違うらしい。
友人が強調したのは、「女テニ」のそれは本当にエグい、という点だった。
「あれマジ性格悪いんだよな。
いや、女子がみんなってわけじゃないんだけど、ガチ勢の女テニはヤバい。
相手がネットとかアウトとかするじゃん?
その瞬間に『キャー!
』って黄色い声出して、まるで自分たちがスーパープレーしたかのように喜ぶんだよ。
友人は、まるで目の前でその光景を再現するかのように、身振り手振りで熱弁した。
彼曰く、それは単なる喜びの声ではない。
相手のミスを「自分たちのプレッシャーが効いた結果」と解釈し、それを声に出してアピールすることで、さらに相手を精神的に追い詰める戦略なのだという。
私が「それって、ちょっとやりすぎじゃない?
」と口を挟むと、友人は「いや、マジで。
あれ、マジ性格悪い。
でも、それも込みで勝負だからさ、割り切るしかないんだけど、やっぱ変だよねぇ!
」と、眉間に皺を寄せながら語った。
私は、友人の話を半信半疑で聞いていた。
本当にそんなことが罷り通っているのだろうか。
いや、もしかしたら、ソフトテニスという競技特有の心理戦なのかもしれない。
テニス経験者の知人に尋ねてみたところ、硬式テニスでも相手のミスを喜ぶことはあるが、ソフトテニスほど露骨ではないという。
特に女性のソフトテニスの場合、団体戦などで応援がヒートアップすると、その「喜ぶ文化」が加速する傾向があるらしい。
まるで、相手のミスを狙って生み出す芸術作品かのように、高らかに「キャー!
」と叫ぶ。
それはもはや、相手への精神攻撃である。
私は、その話を聞いて、あることを思い出した。
学生時代、私が所属していたサッカー部にも、似たような文化があった。
相手チームのキーパーがボールをファンブルしたり、ディフェンスがクリアミスをしたりすると、ベンチから「ヨッシャアアア!
」と大声で叫ぶのだ。
もちろん、相手を侮辱する意図はなかったが、今思えば、あれも一種の精神的な揺さぶりだったのかもしれない。
ただ、それが女テニの「キャー!
」ほど悪魔的な響きだったかどうかは、甚だ疑問だ。
学生時代の私は、どちらかというと真面目なタイプで、スポーツマンシップを重んじていた。
だから、相手のミスをあからさまに喜ぶ行為には抵抗があった。
しかし、友人曰く、ソフトテニスではそれが「戦略」なのだという。
勝つためには手段を選ばない。
いや、選ぶべきなんじゃないか。
でも、彼らは選ばない。
それがソフトテニスなのだ、と友人は力説した。
この話を聞いて、私はなぜか、学生時代にハマったカードゲームのことを思い出した。
対戦相手の心理を読み、裏をかき、時には煽り、時には油断を誘う。
あの世界も、ある意味ではソフトテニスの「喜ぶ文化」に通じるものがあったのかもしれない。
相手が大事なカードを引けない時に、わざとらしくため息をついてみたり、逆に、いかにも有利な手札が来たかのように振る舞ってみたり。
今思えば、かなり性格の悪いプレイスタイルだった。
カードゲームの世界では、相手を精神的に追い詰める行為は「マナー違反」とされつつも、暗黙の了解として存在していた。
特に、勝負がかかった大事な場面では、些細な仕草や言葉の端々で相手を揺さぶることが常だった。
私はそれにハマり、週末になると友人宅に集まっては、夜通し対戦に明け暮れていた。
しかし、ある時、あまりにも勝ちにこだわりすぎて、友人と口論になりかけたことがあった。
その時、私は「ああ、これは違うな」と、ふと我に返った。
趣味は、楽しむためのものだ。
勝つことだけが全てではない。
相手との駆け引きも楽しいが、それが行き過ぎて関係を壊してしまうのは本末転倒だ。
それ以来、私はカードゲームから少し距離を置くようになった。
それから数年後、再びカードゲームに触れる機会があったのだが、その時は「負けてもいいや」という気持ちで臨んだ。
するとどうだろう。
以前よりもずっと、純粋にゲームを楽しめるようになったのだ。
相手の戦略に感心したり、自分のミスを笑い飛ばしたり。
昔は勝つことに固執していたあまり、見えていなかった楽しさがあったことに気づいた。
相手のミスを喜ぶのではなく、自分の好プレーを喜ぶ。
あるいは、相手の好プレーを称賛する。
そういうシンプルな喜びこそが、趣味の本質なのかもしれない。
ソフトテニスの「相手のミスを喜ぶ文化」も、もしかしたら、そうした駆け引きの一環なのかもしれない。
しかし、それがエスカレートして、純粋な競技の楽しさよりも、相手を貶めることに喜びを見出すようになってしまうと、それはもう趣味とは呼べないのではないか。
いや、そう断定するのは私の浅はかな考えかもしれない。
もしかしたら、あの「キャー!
」という叫び声の中には、様々な感情が渦巻いているのかもしれない。
例えば、練習の成果が実った喜び、試合の緊張感からの解放、そして、もしかしたら、自分たちもミスを恐れる気持ちの裏返しとして、相手のミスに過剰に反応してしまう、というような。
考えてみれば、私の塩と砂糖を間違えたカレーも、最初は「失敗」だった。
しかし、今となっては、息子が「うぇ」と顔をしかめたあの瞬間を思い出すと、なぜかクスリと笑ってしまう。
そして、妻が帰ってきて、私が作った甘いカレーの話をすると、彼女もまた笑ってくれた。
失敗を笑い飛ばせるようになった時、それはもはや失敗ではなく、ただの笑い話に昇華される。
それと同じように、ソフトテニスの「喜ぶ文化」も、その裏にはきっと、単なる悪意だけではない、もっと複雑な人間模様が隠されているのだろう。
いや、それでもやっぱり、相手のミスをあからさまに「キャー!
」と喜ぶのは、ちょっとだけ性格が悪い気もする。
いやいや、待てよ。
私も、息子が初めてスプーンを落とした時、「あーあ!
」って言って笑ってしまったことがある。
それと、何が違うのだろう。
相手が大人か、幼児か、競技か、日常か。
その線引きは、案外曖昧なのかもしれない。
結局のところ、趣味も人生も、楽しんだもの勝ち。
そして、楽しむためには、時には自分の勘違いを笑い飛ばし、時には相手の振る舞いを斜めから見てクスリと笑う。
そして、また飽きたら離れて、気が向いたら戻ってくる。
そんな気ままな繰り返しが、私にとっての日常なのだ。
今度、妻がまた実家に帰る機会があったら、今度こそ、ちゃんとしたカレーを作って、息子と妻を驚かせてやろう。
もちろん、調味料は間違えないように、念入りに確認してからね。
それが、私のささやかなリベンジであり、新しい趣味への挑戦なのかもしれない。
いや、挑戦というほど大袈裟なものでもないか。
ただの、台所での奮闘記だ。
💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。

