📝 この記事のポイント
- 休日の昼下がり、ソファで寝転んでいたら猫に顔を踏まれて目が覚めた。
- どっしりとした肉球の感触が鼻先に残り、くしゃみが出る。
- 夫はもう起きていて、リビングから洗い物の音が聞こえる。
休日の昼下がり、ソファで寝転んでいたら猫に顔を踏まれて目が覚めた。
どっしりとした肉球の感触が鼻先に残り、くしゃみが出る。
時計を見ればもう14時半。
完全に寝過ごした。
夫はもう起きていて、リビングから洗い物の音が聞こえる。
この時間まで寝ている私を、きっと生温かい目で見ていることだろう。
まあ、いいか。
休日の特権だ。
猫は満足げに私の腹の上で丸くなり、ゴロゴロと喉を鳴らしている。
この腹の重みと振動が、私の二度寝を許さない。
仕方なく体を起こし、のそのそとリビングへ向かう。
夫はもう朝食兼昼食を済ませたようで、洗い物を終えるとソファでテレビを見ていた。
チャンネルはきっとお気に入りの旅番組だ。
旅番組を見ながら「ここ、いいね」と呟く夫を横目に、私は冷蔵庫を開ける。
朝食を抜いた胃に、何か軽くて美味しいものはないだろうか。
パンもご飯もない。
そうだ、昨日の残りの総菜がある。
鶏肉とピーマンの炒め物。
これを温め直して、熱いお茶と一緒に食べれば、まあまあ健康的な食事になるだろう。
そんなことを考えながらレンジで温めていると、ふと、昨夜の出来事を思い出した。
夫と近所の居酒屋に行ったときのことだ。
決して新しい店ではない。
むしろ、年季の入った渋い暖簾が、歴史と常連客の多さを物語っているような店だ。
メニューを広げると、一番上に瓶ビールの文字。
大瓶、中瓶とある。
私は迷わず「中瓶で」と注文した。
すると、店員さんが奥から持ってきたのは、あの、グラスが瓶に逆さまに刺さった状態で出てくるやつだ。
あれ、なんて呼ぶんだろう。
瓶刺し?
グラスイン?
正式名称があるのかどうかも分からないけれど、あのスタイルで出てくると、なんだか無条件にテンションが上がる。
まるで「さあ、飲め!
」と言われているようで、妙に心が躍るのだ。
冷えた瓶ビールから結露が滴り、グラスの底には水滴がたまっている。
それをクイッと持ち上げて、カシュッと栓を開ける。
グラスに注ぐ際の「トクトクトク…」という音がまた心地いい。
家で缶ビールを飲むときとは、全く違う儀式めいた特別感がある。
なぜだろう。
きっと、あの光景が「なんとなく昭和」を感じさせるからかもしれない。
私が生まれた頃には既に存在していたであろう、しかし今は少しずつ減りつつある、あの独特の雰囲気。
高度経済成長期の面影というか、お父さんが仕事帰りにちょっと一杯、みたいな情景が目に浮かぶ。
テレビドラマでしか見たことのない、あの懐かしい空気。
私は平成生まれなのだけど、なぜか妙に惹かれるのだ。
あの店には、もう一つ、私を惹きつけるものがある。
それは、店内のあちこちに貼られた手書きのメニューだ。
達筆な筆文字で書かれた「本日の魚」や「店長おすすめ!
」といった文字。
その横には、イラストレーターが描いたような可愛らしい魚の絵が添えられていたりする。
これがまた、なんというか、アナログでいい。
デジタル化が進む世の中で、こういう手作りの温かみがある空間にいると、心が和むのだ。
さて、あのグラスが刺さって出てくる瓶ビール、一体どこまでがセットなんだろう。
グラスは毎回新しいものなのか、それとも、栓を開ける直前に刺すのか。
想像すると、ちょっと面白い。
もし、あの瓶に刺さるグラスが専用品で、サイズが微妙に違うと入らないとか、そんな裏話があったら、さらに愛着が湧くかもしれない。
いや、多分、ただの普通のグラスだろう。
だけど、それでもいい。
そこに感じる「粋」が、私たちを惹きつけるのだ。
そんな「粋」に触れたせいか、先日、私はちょっとした買い物の失敗をしてしまった。
きっかけは、あの居酒屋で食べた「だし巻き卵」だ。
フワフワで出汁がじゅわっと染み出す、それはもう絶品だった。
夫も「これは家では出せない味だな」と感心していた。
そのとき、私は閃いてしまったのだ。
「あの、だし巻き卵を作る専用の四角いフライパンがあれば、きっと私も作れるはず!
」と。
翌日、ネットで検索し、レビューもそこそこに良い感じの、銅製でそこそこお値段の張るだし巻き卵用フライパンを衝動買いしてしまった。
届いたそれは、ずっしりと重く、いかにもプロ仕様といった趣き。
これさえあれば、あのふわふわのだし巻き卵が食卓に並ぶ日も近い、と意気揚々だった。
しかし、現実はそう甘くなかった。
まず、火加減が難しい。
焦がすか、半熟すぎるか。
そして、何よりもあの「くるくる巻く」作業が、想像以上に繊細で高度な技術を要するのだ。
何度か挑戦してみたものの、出来上がるのは「だし巻き卵」というよりは「だし入りスクランブルエッグ」に近い何か。
夫からは「味は美味しいけど、形がね」と、遠慮がちなコメントをもらった。
結局、その銅製のフライパンは、最初の数回使ったきり、キッチンの奥で眠っている。
時々、「ああ、もったいないことしたな」と思うけれど、まあ、それも人生経験だ。
あの時の「これで私もプロの味が出せる!
」という高揚感は、確かに味わったのだから。
そして、今では、普通の丸いフライパンで、焦げ付かない程度の、それなりに美味しい卵焼きを作るスキルだけが上がった。
それはそれで、悪くない。
あの瓶ビールとグラスのように、見た目の「粋」や「特別感」に惹かれて、つい衝動的な行動に出てしまうことは、私にとっては「あるある」なのかもしれない。
結局、それで大成功!
となることは稀で、大抵は「まあ、こんなもんか」と落ち着く。
だけど、その「こんなもんか」に至るまでの過程で、小さな発見や、クスッと笑えるような失敗談が生まれる。
そして、それがまた、日々のちょっとしたスパイスになるのだ。
あの銅製のフライパンは、まだキッチンの奥にいる。
いつか、気が向いたらまた使ってみるかもしれない。
もしかしたら、そのときには、驚くほど上手にだし巻き卵が作れるようになっているかもしれないし、やっぱりダメかもしれない。
でも、それでいい。
完璧じゃなくても、そこにある物語こそが、私の日常を彩ってくれるのだから。
またあの居酒屋に行って、瓶にグラスが刺さったビールを頼もう。
そして、その先の何かに、また心が躍る瞬間を味わいたい。
猫の重みが、なんだか心地いい昼下がりだ。
💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。

