📝 この記事のポイント
- 街はクリスマスの喧騒に包まれ、SNSは華やかな忘年会の予定で埋め尽くされている。
- そんな中、僕はいつものカフェで、ぬるくなったカフェラテをすすりながら、ディスプレイに映る無機質な数字を眺めていた。
- 聞こえはかっこいいけれど、実態は膨大なデータを前に、ひたすら仮説と検証を繰り返す日々。
2025年12月1日。街はクリスマスの喧騒に包まれ、SNSは華やかな忘年会の予定で埋め尽くされている。そんな中、僕はいつものカフェで、ぬるくなったカフェラテをすすりながら、ディスプレイに映る無機質な数字を眺めていた。仕事はAIによるマーケティング戦略立案。聞こえはかっこいいけれど、実態は膨大なデータを前に、ひたすら仮説と検証を繰り返す日々。AIが進化すればするほど、人間の役割は定義づけられた範囲内で最適解を探すことに終始する。そんな息苦しさを感じながらも、僕は今日もオフィスに缶詰になるのだろう、と思っていたんだ。そんな僕の日常を大きく揺るがしたのが、一本のLINE通知だった。それは、僕の高校時代に通学で利用していた、まさかあの「曽根田駅」の近くに熊が出たというニュースだったんだ。「ディストピアごっこ」という言葉が、思わず口からこぼれ落ちた。安全な場所から消費していたはずの破滅的な世界が、まさかこんなにも身近な場所に現れるなんて。この出来事が、僕の思考と行動に、小さな、しかし確かな変化をもたらし始めたんだ。
最初の印象
スマホに届いた友人からのニュースリンク。阿武隈急行の列車が熊と衝突したという記事だった。しかも場所は、僕が高校時代に通学で利用していた曽根田駅のすぐ近くらしい。福島市の中でも比較的都会に近いエリアだ。駅周辺には商業施設や住宅街が密集している場所に熊?正直、冗談かと思ったよ。でも、ニュース記事を読み進めるうちに、それが現実だと理解した瞬間、全身に電気が走ったような衝撃を受けた。「こんなことって、あり得るのか」と、しばらくそのニュースから目を離せなかった。それはまるで、ずっとエンターテイメントとして消費してきたディストピアの世界が、ついに僕の現実にも足を踏み入れたような感覚だったんだ。ただのニュース記事なのに、何かの予兆のように感じられて、胸がざわざわしたのを覚えている。
実際に使ってみて
ディストピアを消費することから、現実と向き合うモードに切り替えてみた。それは、まるで新しい思考パターンに脳をアップデートするような感覚だったね。まず、日々のニュースの見方が変わった。毎日のように届く異常気象の報告や、AIの進化に関する記事も、もはや他人事ではなく、自分たちの生活に直結する課題として捉え始めたんだ。次に、大学時代からの友人である健太の言葉が、以前よりも重く響いた。「このままじゃ、本当に人が住めなくなるかもしれない。でも、誰も本気で危機感を持ってないんだよな」。彼の危機感は、僕の中にも芽生え始めていた。傍観者として安全な場所からディストピアを眺めるのではなく、当事者として現実の課題に向き合ってみることの難しさと、同時に見えてくるものの多さに驚いたんだ。
良かったところ
- 現実の解像度が格段に上がった
世界で起こっていることが、ただの遠いニュースではなく、自分の身の回りのこととして感じられるようになった。漠然とした不安が、具体的な課題として認識できるようになり、以前よりもクリアに物事を捉えられるようになった気がするんだ。
- 行動する人々の存在に気づいた
ディストピア的な状況をただ嘆くのではなく、実際に行動を起こしている人々がいることに気づけたのは大きかった。曽根田地区の住民たちが熊対策のための会議を開いたという記事を読んだ時、傍観者ではいられない、という気持ちが強く胸にこみ上げてきたんだ。
- 自分にもできることがあると発見した
自分の仕事であるAIによるマーケティング戦略の立案が、気候変動や環境問題に対する意識を高めるキャンペーンや、過疎化が進む地域を活性化するための戦略提案など、社会課題の解決にも応用できるかもしれない、という可能性に気づけた。漠然とした無力感から、未来を創造する側になれるかもしれない、という希望が生まれたのは大きかったよ。
気になったところ
- 周りの無関心とのギャップ
午後、オフィスに向かうために駅へ行った時、駅前はいつものように人で賑わっていた。クリスマスツリーがライトアップされ、楽しそうな笑い声が響き渡る。でも、僕には、どこか違和感があったんだ。多くの人が、すぐそばに潜む危機に気づいていないように見えたんだ。この意識のギャップは、個人が声を上げてもなかなか届かない、というもどかしさを感じさせたね。
- 問題の根深さと自身の無力感
気候変動や生態系の破壊、過疎化といった問題は、あまりにも根深く、一個人の力だけではどうにもならないと感じる瞬間もあった。理想と現実のギャップに、心が折れそうになることも正直あったんだ。問題の大きさに直面すると、自分の無力さを痛感することもあるよ。
どんな人に向いてる?
もし君が、映画やゲームの中のディストピアにワクワクしながらも、どこか現実世界に漠然とした不安を感じているなら。
日々のニュースに疲れて、つい目を背けてしまいたくなるけれど、本当は何かを変えたいと心のどこかで願っているなら。
そして、今の仕事や生活が、本当に社会に意味のあることなのか、一度立ち止まって考えてみたいと思っているなら。
この僕の体験談が、きっと君にとって、小さくても大切な一歩を踏み出すきっかけになるかもしれないよ。傍観者でいることに疲れた人には、ぜひこの新しい「思考パターン」を試してみてほしい。
使い続けて数週間の今
曽根田の熊のニュースから数週間。僕は、以前のようにただディスプレイの数字を眺めるだけではなくなった。環境問題に関するデータや、過疎地域の活性化事例など、自分の仕事に繋がるかもしれない情報を積極的に集めるようになったんだ。もちろん、すぐに大きな変化が起きるわけじゃない。壁にぶつかることもあるだろうし、挫折することもあるかもしれない。でも、それでも、僕は「ディストピアを消費する側」から「未来を創造する側」へと、一歩ずつ歩みを進めている。この新しい「思考パターン」を、これからもずっと使い続けていきたいと心から思っているよ。小さな一歩でも、毎日続けることが、いつか大きな変化に繋がると信じているんだ。
曽根田に現れた一頭の熊は、僕にとって、単なるニュース記事以上の意味を持った。それは、僕が安全な場所から見ているつもりだった「ディストピア」が、実はすぐそこまで迫っている現実を突きつけるものだった。そして、同時に、僕が「ディストピアごっこ」という傍観者の立場から抜け出し、未来を創造する側に立つための、大切なきっかけを与えてくれたんだ。
僕たちの日常の裏側には、常に何らかの危機が潜んでいる。でも、それに目を向け、行動しようとする人々も確かにいる。大切なのは、その「気づき」から「行動」へと繋げること。もし、君の日常にも、曽根田の熊のような「現実のディストピア」が顔をのぞかせたなら、それはきっと、新しい一歩を踏み出すチャンスなのかもしれない。
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