📝 この記事のポイント
- 都内のIT企業で働く僕は、いつものように満員電車に揺られていた。
- 朝の冷たい空気が身を引き締め、ベージュのコートの襟を立てる。
- ポケットから取り出したスマホにイヤホンを繋ぎ、最近お気に入りのインディーズバンドの曲を聴き始めた。
2025年11月26日、水曜日。都内のIT企業で働く僕は、いつものように満員電車に揺られていた。朝の冷たい空気が身を引き締め、ベージュのコートの襟を立てる。ポケットから取り出したスマホにイヤホンを繋ぎ、最近お気に入りのインディーズバンドの曲を聴き始めた。毎日同じような景色、同じような匂い。吊り革につかまる人々の無表情な顔。誰もが何かを期待し、何かを諦めているような、そんな空気が漂っている。
ふと、目の前の若い女性のリュックのファスナーが開いていることに気づいた。中には財布やスマホ、化粧ポーチらしきものが見える。一瞬迷ったけれど、意を決して「あの、すみません…リュックのファスナーが開いてますよ」と声をかけた。彼女は驚いた顔でこちらを見た後、慌ててリュックを確認し、「あ、ありがとうございます!」と深々と頭を下げた。僕は少し照れながら、またイヤホンを耳に差し込んだ。僕のポケットにいつも入っているこのスマホと同じように、誰もが日常の中に小さな善意をポケットに忍ばせている。この出来事をきっかけに、僕はそんな「ポケットの中の善意」について、少し立ち止まって考えてみたんだ。
最初の印象
電車を降りて会社に向かう道すがら、ふとSNSのことを思い出した。最近よく話題になっている、「落とし物報告」だ。駅の改札前で財布が落ちていたとか、カフェにスマホが置き忘れられていたとか、写真付きで投稿されるのを目にする。困っている人を助けたい、一刻も早く持ち主に届けたいという気持ちは、とても素晴らしい。まさに、現代の「ポケットの中の善意」の新しい表現方法だと感じたよ。僕らのポケットにあるスマホは、連絡手段や情報収集だけでなく、こんな風に誰かを助ける道具にもなり得るんだな、と。最初は、純粋に「良いことだな」と思ったんだ。
実際に使ってみて
正直に言うと、「落とし物報告」のSNS投稿を僕自身が直接したことはない。だけど、その「善意のカタチ」について深く知るために、僕はカフェでアイスコーヒーを飲みながら、自分のスマホで「落とし物 SNS」と検索してみた。たくさんの記事や投稿が出てくる。これを読んでいく行為こそが、ある種の「体験」であり「使用」だったと思う。
「善意の落とし物報告が、なりすまし被害を生む可能性」「落とし物SNS投稿、本当に親切?リスクと注意点」… 記事を読み進めるうちに、僕の最初に抱いた純粋な印象は、少しずつ違和感に変わっていったんだ。これは、単なる親切心だけでは済まない、複雑な問題なんだなって。
良かったところ
僕がこの「SNSを通じた善意の表現」を体験してみて、良いと感じた点はいくつかある。
- 困っている人に寄り添う気持ちが、見知らぬ人にも伝わりやすいこと。
- 迅速な情報拡散によって、持ち主への返還可能性が理論上は高まること。
- 善意の行動が可視化され、社会全体のつながりを意識できる瞬間があること。
見つかった人が感謝の言葉を投稿しているのを見ると、本当に温かい気持ちになるし、スマホがそういうポジティブな力を生み出すツールになるのは素晴らしいことだと思う。
気になったところ
しかし、その裏側で気になった点も少なくない。
- なりすましや個人情報悪用の危険性が常に隣り合わせであること。
- 持ち主が不特定多数に自分の持ち物の情報を見られることへの不快感やプライバシー侵害の可能性。
以前、同僚の田中さんがスマホを落とした時、SNSで情報拡散されたんだけど、見つかって良かった反面、知らない人に自分のスマホの情報が筒抜けになっていると思うと気持ち悪かったと言っていたんだ。その話を聞いて、僕の懸念はさらに深まった。
どんな人に向いてる?
この「SNSを通じた善意の表現」は、以下の点に注意できる人には向いているかもしれない。
- 情報を発信する際に、個人情報やプライバシーに関するリスクを深く理解し、慎重に判断できる人。
- 「親切心」だけでなく、「責任」を伴う情報発信だと自覚できる人。
- 拡散された情報が悪用される可能性も考慮し、対応策を講じる覚悟がある人。
正直なところ、誰にでも安易におすすめできるものではないと感じたよ。
使い続けて○週間の今
「使い続けて○週間の今」と言っても、僕がSNSで落とし物報告を「使っている」わけではない。むしろ、この件について考え続けて、自分なりの結論を出しつつある、という感じだ。電車での出来事、カフェでの検索、同僚との会話。これら一連の体験を通じて、僕のポケットにいつも入っているスマホが、ただの便利なガジェットではなく、善意とリスクが同居する複雑なツールだということを改めて感じている。
昼休み、公園で猫にお弁当の鶏肉をあげた。何の警戒もなく近寄ってくる猫と、僕の素朴な善意。それはSNSのような複雑なリスクとは無縁の、シンプルで温かい交流だった。現代社会において、人間が持っている「誰かの役に立ちたい」という純粋な親切心は、便利なツールであるSNSを通じて思わぬ落とし穴になることもある。僕らのポケットに入っているガジェットの力は大きいからこそ、使い手である僕らが常に意識的である必要がある。
僕はSNSを完全にやめるつもりはない。情報収集やコミュニケーションの手段として、とても便利だからね。でも、今後は、情報を発信する際には、より慎重になる必要があると強く感じている。個人情報やプライバシーに関わる情報は、絶対に公開しない。そして、もし誰かが困っているのを見かけたら、SNSではなく、まずは目の前の人に対して直接行動を起こすことを選ぼうと思う。それが、僕が「ポケットの中の善意」について、ガジェットを通して考えた結論だ。
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