📝 この記事のポイント
- 散歩中、知らない犬に懐かれて飼い主より先に仲良くなった。
- 柴犬の「ハル」ちゃん、黒い豆柴の「コタロウ」くん、ゴールデンの「ラン」ちゃんまで、みんな私を見つけると尻尾をブンブン振って近づいてくる。
- 飼い主さんたちが「え、うちの子、そんなに人懐っこかったっけ…? 」って困惑顔で微笑むのを見るたびに、なんかごめんなさいねって思うんだけど、こればっかりは体質としか言いようがない。
散歩中、知らない犬に懐かれて飼い主より先に仲良くなった。
いや、もうね、いつものことなんですよ。
柴犬の「ハル」ちゃん、黒い豆柴の「コタロウ」くん、ゴールデンの「ラン」ちゃんまで、みんな私を見つけると尻尾をブンブン振って近づいてくる。
飼い主さんたちが「え、うちの子、そんなに人懐っこかったっけ…?
」って困惑顔で微笑むのを見るたびに、なんかごめんなさいねって思うんだけど、こればっかりは体質としか言いようがない。
犬に好かれる体質。
なぜか飼い主より先に心を開かれちゃうタイプ。
これ、不思議だと思いません?
私、別に犬と特別なコミュニケーションを取ってるわけじゃないんですよ。
ただ通りすがりに「あら、可愛いね」って微笑むだけ。
なのに、彼らは私のことを「この人、なんか面白い!
」って即座に判断するみたいで。
初対面なのに、まるで昔からの友だちみたいにまとわりついてくる。
私だって、初めて会う人にはそこそこ距離を取る方だし、むしろ人見知りなところもあるのに。
犬って、本当に不思議な生き物。
で、そんなことを考えながら、近所のスーパーで半額になったお惣菜を探していた時のこと。
私はね、基本的に閉店間際を狙ってスーパーに行くんです。
あの、値引きシールを貼る店員さんの職人技を見るのが好きで。
ピンポイントで「半額!
」って貼られたチキン南蛮とか、もう宝物ですよ。
今日は運良く、大好きな「豚肉と茄子の味噌炒め」に赤と黄色のシールが貼られてて、思わず小躍りしちゃった。
もちろん、心の中でね。
そんな半額のお惣菜をゲットしてホクホクしながら、レジに並んでたら、ふと耳に入ってきたんです。
隣のレジのおばちゃんたちの会話が。
「ねえ、奥さん知ってる?
慶應にね、アニメの新しい講座ができるんだってよ」
「あら、アニメ?
うちの孫がYouTubeでよく見てるわね。
何かしら、流行りのやつ?
」
「それがね、『アニメ平和学』っていうんだって。
なんでも、Netflixがお金出して作ったらしいわよ」
「へぇ〜、平和学?
アニメで平和ねぇ。
「なんのこっちゃ」って、そりゃそうだ。
私も正直、一瞬「なんのこっちゃ」って思ったもの。
アニメで平和?
いや、アニメって楽しいじゃん、面白いじゃん、感動するじゃん、って思ってたから。
「平和」とくっつくとなんか急に壮大すぎて、ちょっと面食らうというか。
でも、慶應義塾大学で、しかもNetflixがお金出してるって聞くと、なんかすごいことなんだろうなっていうのは伝わるわけですよ。
でもね、これって、もしかしたら散歩中の私と犬たちの関係と、ちょっと似てるんじゃないかって思ったんですよね。
犬って、なんで私に懐くんだろう?
きっと、警戒心が薄いとか、なんかそういう表面的な理由だけじゃない気がする。
たぶん、犬たちは私の内側にある「なんか面白い人」センサーに引っかかってるんですよ。
見た目とか、肩書きとか、そういうのじゃなくて、もっと本質的な部分。
「この人、安全」「この人、楽しい」って、瞬時に判断してる。
アニメもそうじゃないかなって。
子供の頃から、いや、大人になってからも、アニメって私たちにとってすごく身近な存在だったりするじゃないですか。
日常のちょっとした楽しみとか、息抜きとか。
でも、その「楽しい」とか「面白い」の裏側に、実はものすごく深いメッセージとか、考えさせられるテーマが隠されてたりするんですよね。
例えば、昔見てた「赤毛のアン」とか「フランダースの犬」とか、あの頃はただの物語として見てたけど、大人になって改めて見ると、貧困とか差別とか、逆境の中での人間の尊厳とか、結構ヘビーなテーマが詰まってたりするじゃないですか。
でも、子どもにも分かりやすい形で、優しく伝えてくれてたんだなって。
これって、日常の小さな出来事から学ぶってことと、すごく似てる気がするんです。
うちの親父なんて、昔からテレビで時代劇ばっかり見てるんだけど、いつもストーリーの途中で「いやいや、そりゃねぇだろ!
」「いくらなんでもご都合主義が過ぎる!
」とか、ツッコミ入れまくってるんですよ。
あれ、最初はうるさいなと思ってたんだけど、最近は一緒に「あんた、そりゃ無茶だよ!
」とか言って笑ってる自分がいる。
で、時代劇を見終わった後に、「でも、あの悪代官の言い草、今の政治家と変わんねぇな」とか、急に社会派なコメントをしたりするから、びっくりする。
親父の中では、時代劇も立派な「平和学」なのかもしれない。
いや、平和学というか、「人間学」に近いかな。
私ね、電車の優先席の前に立ってる人たちを観察するのが好きなんですよ。
特に面白いのが、若い男の子たち。
ヘッドホンしてゲームに夢中になってる子もいれば、窓の外をぼーっと眺めてる子もいる。
で、お年寄りが近くに立っても、なかなか席を譲らない。
いや、譲らないっていうか、気づいてないんだろうな、たぶん。
自分の世界に入り込みすぎちゃってて。
でも、ある時、急ブレーキがかかって、その子がよろめいた拍子に、隣のおばあさんの荷物が落ちそうになったんですよ。
そしたら、その子、パッと手を伸ばして荷物を支えてあげたんです。
そして、何事もなかったかのように、またヘッドホンを直してゲームに戻る。
いやいや、あんた、さっきまでおばあさんいるの気づいてなかったでしょ!
ってツッコミたくなったんだけど、その瞬間だけは、なんというか、彼の「人間力」みたいなものが発揮された気がして。
こういうのって、アニメにも通じるんじゃないかって思うんですよ。
物語の中のキャラクターが、最初はなんだか頼りなかったり、ちょっといじわるだったりするんだけど、いざという時には、ものすごくかっこいい行動を取ったりする。
それが、私たちに勇気をくれたり、感動を与えたりする。
別に「平和のために戦え!
」とか、そういう直接的なメッセージじゃなくても、登場人物たちの友情とか、葛藤とか、困難を乗り越える姿とか、そういうものを通じて、私たちは「ああ、人間っていいな」「こういう風になりたいな」って、無意識のうちに学んでるんじゃないかなって。
それが、結果的に、人としてどう生きるか、どうすればお互いを尊重できるか、みたいな「平和」に繋がるんじゃないかと。
そう考えると、「アニメ平和学」って、なんかすごく納得できるんですよ。
犬が私の心の奥底にある「面白さ」を感じ取って懐いてくれるように、アニメも、私たちの心の奥底にある「人間性」みたいなものに語りかけてくるのかもしれない。
「このキャラクター、なんかムカつくけど、本当はいいやつなんだよな」とか、「なんでこんなに頑張れるんだろう」とか、そういう感情の揺れ動きが、気づかないうちに私たちを豊かにしてくれてる。
先日、実家の母がね、昔のアニメの主題歌を口ずさんでたんですよ。
「あら、お母さん、それ何の歌?
」って聞いたら、「ええとね、なんだったかしら。
でも、この歌聞くと、なんか元気出るのよね」って。
母は、今、介護で結構大変な時期なのに、その時だけは、少女の頃に戻ったみたいに、目をキラキラさせてた。
アニメって、そんな風に、人の中に眠る純粋な気持ちとか、希望とか、そういうものを呼び起こしてくれる力があるんだなって、改めて感じた瞬間だった。
だから、慶應の先生たちが、アニメを通じて平和を語るっていうのも、あながちトンデモな話じゃないのかもしれない。
きっと、彼らはアニメの中に見え隠れする、私たち人間の根源的な優しさとか、強さとか、時には愚かさとか、そういうものを丁寧にすくい取って、「ほら、ここにも平和の種があるよ」って教えてくれるんだろうな。
私なんて、日々の介護で疲れて、半額のお惣菜に小躍りしてるような人間だけど、それでも、散歩中の犬に懐かれたり、テレビの中の時代劇にツッコミ入れたり、電車のちょっとした人間模様にクスッとしたりしながら、密かに「人間って面白いな」って思ってる。
「アニメ平和学」。
きっと、難しい論文とか、専門用語がたくさん出てくるんだろうけど、根っこにあるのは、きっと、私たちが日々の生活の中で感じてる「なんか面白いな」とか「なんかいいな」っていう、ごくごくシンプルな感情なんじゃないかな。
そう考えると、私もちょっと覗いてみたいな、その講義。
ま、まずは来週の半額セールで、何をゲットするか考える方が先だけどね。
だって、それが今の私の「日常平和学」だから。
そう思わない?
💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。

