📝 この記事のポイント
- 宅配便の再配達を3回も逃して、ついに営業所まで取りに行った。
- 午前中の指定はいつも洗濯物を干している最中にインターホンが鳴るから、手が濡れていて出られない。
- 午後は午後の用事で出かけていることが多い。
宅配便の再配達を3回も逃して、ついに営業所まで取りに行った。
午前中の指定はいつも洗濯物を干している最中にインターホンが鳴るから、手が濡れていて出られない。
午後は午後の用事で出かけていることが多い。
夜の時間帯はもう寝落ち寸前で、ピンポンを聞き逃したりする。
結局、玄関のドアノブにかかった不在票が、まるで私への警告文のようにぶら下がっているのを、毎度のごとく無視しているうちに、最終通告が来るのだ。
営業所は自宅から車で15分ほどの場所にある。
カーナビに住所を打ち込み、いつものコンビニエンスストアを左折して、さらに住宅街の細い道を抜けると、思っていたよりもこぢんまりとした建物が見えてきた。
駐車場も数台分しかなく、隣に停まっていた軽トラックの荷台には、パンパンに膨らんだ米袋がいくつも積まれている。
配達員さんたちの日常を垣間見たようで、なんだか申し訳ない気持ちになった。
窓口で荷物を受け取ると、ずっしりとした重みが腕に伝わる。
通販で頼んだ、ちょっとお高めの米だった。
夫が「新米の季節だし、たまにはいい米を食いたい」と、いつもの倍くらいの値段がする銘柄を指差したから、まぁ、いいかとポチったのだ。
こういう時ばかりは、夫婦の意思疎通が完璧に図れるのが不思議だ。
私の「ちょっと贅沢しすぎじゃない?
」という視線と、夫の「たまにはいいだろ?
」という無言の反論が、いつも同じタイミングで発動する。
家に帰り、炊飯器に米をセットしながら、ふと、あの不在票の文字の筆跡の個性を思い出す。
配達員さんによって、数字の丸っこさや線の強弱が違うんだよね。
同じ仕事をしていても、一人ひとりの人間性が滲み出ている。
そういえば、先日テレビで見た作詞家の人が、ミスチル(Mr.Children)の『innocent world』の歌詞に衝撃を受けて、その作詞家がどんな人なのか、どんな人生を送っているのか、それこそ事件の捜査レベルで調べ上げたという話が、やけに心に残っている。
その作詞家が言うには、『innocent world』の歌詞には、あまりにもリアルな情景が描かれていると。
特に「少しずつ色褪せる最後のシーン」とか「僕らは夢をみた〜いくつもの罪を犯した〜」みたいな部分。
単なる恋愛の歌というより、もっと深い人間ドラマが込められていると感じたらしい。
で、彼はその作詞家がどんな車に乗っているか、趣味は何か、出身地はどこか、果ては山形にルーツがあるかどうかまで、徹底的に調べ上げたというのだ。
なぜ山形なのかは聞きそびれたけれど、その執念たるや、私たちが美味しい米を求めてネットのレビューを読み漁るのとは、次元が違う話だ。
私はその話を聞いて、思わず「へぇー」と声を上げた。
別にミスチルの熱狂的なファンというわけではないけれど、あの曲は確かに、どこかノスタルジックで、それでいて力強い。
カラオケで誰かが歌うと、大体みんなで手拍子しながら、サビの部分を大合唱する。
あれって、歌詞の深さとか、メロディーの普遍性とか、色々な要素が相まって、私たちの中に眠っている「何か」を呼び起こす力があるのかもしれない。
そこまで徹底的に調べ上げる作詞家の情熱もすごいけれど、そういう「探求心」みたいなものって、実はみんな少なからず持っているんじゃないかと思うのだ。
例えば、私が新しいレシピに挑戦する時。
料理番組で見た、シェフがフライパンを振るわずかな手首の動きとか、隠し味のほんのちょっとした工夫とか、そういう「コツ」を必死で探る。
先日、テレビで見たイタリアンのシェフが、トマトソースにほんの少しだけ醤油を加えると言っていたのを聞いて、すぐに試した。
結果、いつもよりコクが出て、夫も「今日のパスタ、なんか違うな!
」と気づいてくれたのは、ちょっとした達成感だった。
結局、その作詞家は、Mr.Childrenの作詞・作曲を手掛けている桜井和寿さんが、ごく普通の、私たちと同じような人間であることに、逆に感銘を受けたらしい。
天才的な才能を持つ人も、どこか私たちと同じように、日常の中で喜びや苦悩を感じながら生きている。
その人間臭さこそが、彼の歌詞に深みを与えているのだと。
なんだか、すごくわかる気がする。
私たちの日常も、そうした「普通」の積み重ねでできている。
朝、夫が淹れてくれるコーヒーの香り。
ベランダで育てるミニトマトが、少しずつ赤みを帯びていく様子。
夕食の献立に悩んで、スーパーの惣菜コーナーをうろうろする時間。
そういえば、先日、夫が「たまには俺が作るよ」と言って、初めて卵サンドイッチを作ってくれたことがあった。
彼は気合いを入れて、食パンの耳を丁寧に切り落とし、ゆで卵を潰すフォークの音までが、いつもより力強かった。
マヨネーズと塩コショウで味付けをして、「どうだ!
」とばかりに差し出されたそれは、見た目は少し不格好だったけれど、心を込めて作られたのがわかる、温かい味だった。
私がいつも作る卵サンドとは、卵の潰し方やマヨネーズの量が少し違っていて、それがまた新鮮だった。
彼が卵サンドを作っている間、私は台所の隅で、こっそりその様子を観察していた。
普段は「あれ取って」「これどこだ」と私に丸投げなのに、その日はなぜか、レシピサイトを真剣な顔で覗き込み、分量を測るのに四苦八苦していた。
マヨネーズの蓋がなかなか開かず、悪戦苦闘している姿には思わず笑ってしまったけれど、その真剣さには感心した。
「すごいね、ちゃんと作れるんだね」と声をかけると、「当たり前だろ!
俺だってやればできるんだ!
」と、まるで少年のような顔で胸を張っていた。
その言葉を聞いて、私は心のなかで「そうだったっけ?
」とつぶやいたけれど、それは顔には出さなかった。
こういう小さな発見や、相手の意外な一面に触れる瞬間って、日常をちょっと豊かにしてくれる気がする。
ミスチルの歌詞から作詞家の人間性を探求するのも、夫が作る卵サンドから彼の新たな一面を見つけるのも、根本にある「もっと知りたい」「なぜだろう」という好奇心は同じなのかもしれない。
夕食後、残った卵サンドを冷蔵庫にしまおうとして、ふと、彼が使ったマヨネーズの蓋が、少しだけ緩んでいることに気づいた。
きっと、あの時、開けるのに苦労したから、きちんと閉めるのを忘れてしまったのだろう。
冷蔵庫のドアを閉めながら、私は密かに笑みをこぼした。
完璧じゃないところが、また愛おしい。
私たち夫婦も、子どもたちが独立して、ようやく自分たちの時間が増えた。
これからは、もっとお互いの「探求」に時間を費やしてもいいのかもしれない。
夫がテレビ番組の釣り特集に夢中になっている時、私は横で、彼がどんな魚を釣りたいと思っているのか、どんな釣具に興味があるのか、そっと観察してみよう。
もしかしたら、彼の中にも、私と同じように、ミスチルの歌詞に感動した作詞家のような、熱い探求心が隠れているのかもしれない。
そして、その探求の果てに、また一つ、新しい卵サンドのような、ささやかな喜びが待っている。
私たちは、そうやって、日々の小さな発見と、ちょっとしたユーモアを分かち合いながら、静かに年を重ねていくのだろう。
宅配の不在票一枚から、ミスチルの歌詞、そして夫の卵サンドまで。
今日もまた、私の頭の中は、あっちこっちに寄り道して、たくさんのことを考えていた。
明日は、もっと完璧な卵サンドを作ってあげようかな、と、冷蔵庫に残ったゆで卵を見ながら、ふと思ったりしたのだ。
💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。
📚 あわせて読みたい

