📝 この記事のポイント
- 書店で立ち読みしていたら、知らない人に話しかけられて焦った。
- 「その本、面白いですよね」と、いきなり隣から聞こえた声に、僕は思わず飛び上がりそうになった。
- 手にしていたのは、ごく普通のエッセイ集だったから、まさか声をかけられるとは思わない。
書店で立ち読みしていたら、知らない人に話しかけられて焦った。
「その本、面白いですよね」と、いきなり隣から聞こえた声に、僕は思わず飛び上がりそうになった。
手にしていたのは、ごく普通のエッセイ集だったから、まさか声をかけられるとは思わない。
動揺を隠しつつ、「あ、はあ、まあ…」と曖昧に返事をしたら、その人は「僕も最近、ご飯の炊き方について悩んでるんですよ」と、なぜか親しげに話しかけてくる。
え、何?
僕、そんなに土鍋ご飯炊いてそうな顔してる?
見れば僕と変わらないくらいの年齢の男性で、少し困惑しながらも、つい「炊飯器が壊れたんで、最近土鍋で…」と口走ってしまったのが運の尽き、そこから彼の「土鍋ご飯談義」が止まらなくなった。
どうやら彼も僕と同じく、炊飯器の故障を機に土鍋デビューしたらしい。
こんな偶然ってあるんだな。
焦りはしたけど、妙な仲間意識が芽生え、気づけば僕は本を片手に、彼の熱弁に耳を傾けていた。
結局、その日は何も買わずに店を出たけれど、なぜか心は満たされていた。
人間って、不思議なもんだ。
思えば、炊飯器が壊れたのは先週のことだ。
単身赴任先のこのアパートは、築年数こそそこそこだが、設備はそれなりに整っていたはずだった。
まさか入居して半年で、炊飯器が「ブシュー!
」と異音を立てて絶命するとは。
いや、正確には絶命ではない。
スイッチを押してもランプが点かず、温かいご飯が炊ける気配が微塵もない。
コードを抜き差ししたり、コンセントを変えたり、しまいには炊飯器を逆さまにして振ってみたりもしたけれど、何の反応も示さない。
完全なる沈黙。
これはもう、買い替えだなと諦めかけたとき、ふと頭をよぎったのが「土鍋ご飯」だった。
以前、テレビで料理研究家が「土鍋で炊いたご飯は格別!
」なんて言ってたのを思い出したのだ。
スーパーに寄って米と納豆と卵を買うついでに、炊飯器コーナーを横目に、隣の調理器具コーナーで、なんだか頑丈そうな土鍋を手に取った。
2,980円。
うん、炊飯器より安い。
これなら試しにやってみてもいいか、と軽い気持ちでレジへ向かったのが、僕の土鍋ご飯ライフの始まりである。
さて、意気揚々と家に帰り、早速土鍋でご飯を炊いてみた。
ネットで調べたレシピは「米を洗って30分浸水、土鍋に入れて蓋をして強火で沸騰、弱火で10分、蒸らし10分」。
なるほど、簡単じゃないか。
そう思って炊いてみた初回。
強火で沸騰するまでは順調だった。
湯気が勢いよく噴き出し、「お、いい感じじゃん」とニヤニヤしながら弱火に切り替える。
そして10分。
時計を見ながらタイマーをセットし、じっと待つ。
蒸らしの10分も終え、いざ蓋を開けてみると…。
「うわぁあああ!
」と情けない声が出た。
ご飯がべちゃべちゃな上に、鍋底には無残な焦げ付きがこびりついている。
しかも、なんだか焦げ臭い。
そう、見事に「失敗」だった。
いや、大失敗だ。
お米は半分くらいしか食べられず、残りはゴミ箱行き。
土鍋に付いた焦げは、金だわしでゴシゴシやっても全く落ちない。
結局、その日はレトルトカレーで済ませた。
翌日、会社の休憩室でこの話をしたら、同期の山本が目を丸くして笑った。
「え、炊飯器壊れたら普通に新しいの買うでしょ?
」「いや、なんとなく土鍋が…」「炊飯器、安いやつなら5,000円くらいであるよ?
」と、至極真っ当なアドバイスをもらったが、僕はもう後には引けない。
「土鍋で炊いたご飯は、なんか、こう、ロマンがあるんだよ!
」と、よくわからない言い訳をしてみた。
すると、隣にいた先輩の佐藤さんが「あー、土鍋ね。
あれは焦げ付かせたらダメだよ。
最初は中火で沸騰させて、沸騰したらすぐに弱火。
火を止める前に一度、強火に戻して水分飛ばすのがコツだよ」と、具体的なアドバイスをくれた。
さらに、「水加減は、お米の1.2倍が基本だけど、新米ならちょっと少なめ、古米ならちょっと多めがいいね」と、まるで魔法のような言葉を付け加える。
その日の夜、僕は佐藤さんのアドバイス通りに再チャレンジした。
浸水時間を少し長めにして、火加減も慎重に。
するとどうだろう、前回とは見違えるほどのご飯が炊けたではないか!
粒が立っていて、ツヤツヤしている。
一口食べると、ほんのり甘くて、確かに美味しい。
これは感動だ。
しかし、この感動も束の間、またしても鍋底に焦げ付きが…。
「うーん、焦げはやっぱり難しいなぁ」と頭を抱えていたら、実家の母親から電話がかかってきた。
炊飯器が壊れた話をしたら、「あらあら、大変ねぇ。
土鍋で炊くなら、鍋底にちょっと油を塗ると焦げ付きにくいわよ。
それと、焦げちゃったら、お湯を張ってしばらく置いとくと、スルッと取れるから」と、これまた目から鱗のアドバイス。
母は偉大だ。
他にも、大学時代の友人に「うちのばあちゃんは、蓋の隙間から湯気が勢いよく出なくなったら火を止めるって言ってたな」とか、隣の部署の女性社員からは「私は炊き込みご飯の時だけ土鍋使います。
炊き込みご飯だと焦げも美味しいんですよねぇ」なんて、色々なアドバイスが集まってきた。
焦げは美味しい、という感覚は僕にはまだ理解できない境地だけど、みんなの優しさが身に染みた。
焦げを落とす方法も、お湯を張ってから少し加熱するとか、重曹を使うとか、はたまた「いっそ焦げ付きごと愛しなさい」という哲学的なものまで、多岐にわたった。
まるで、僕の土鍋ご飯生活は、世間の知恵を結集した壮大なプロジェクトになっていた。
そして、焦げ付きを愛しなさい、という言葉に感化され、僕は少しだけ焦げ付いたご飯を食べることにした。
土鍋の底に薄くできたおこげは、香ばしくて、パリッとしていて、案外悪くない。
いや、むしろ美味しい。
今まで焦げは失敗の象徴だと思っていたけれど、これはこれで一つの個性として受け入れられるかもしれない。
そんな風に思えてきたら、焦げ付きと格闘する時間も、なんだか愛おしく思えてくるから不思議だ。
単身赴任生活も長くなり、最近は自炊にもすっかり慣れた。
最初は「ちゃんと自炊しなきゃ!
」と意気込んでいたけれど、最近は「スーパーの惣菜と冷凍食品をいかに美味しくアレンジするか」という、ちょっとひねくれた方向に情熱を傾けている。
例えば、スーパーで買った唐揚げを、家にあったレタスとトマトとマヨネーズで挟んで「自家製チキンバーガー」と称してみたり、冷凍のチャーハンに卵を乗せて「とろふわ卵のオムチャーハン」と名付けてみたり。
まるで料理研究家になったつもりで、勝手にオリジナリティを追求している。
土鍋ご飯も、今ではすっかり僕の日常に溶け込んだ。
水加減も火加減も、もう勘でできるようになってきたし、焦げ付きも以前よりは格段に減った。
たまにうっかり焦がしてしまうこともあるけれど、もうあの頃のように絶望することはない。
お湯を張って放置すればいい、という母の教えは、まさに金言だった。
僕の土鍋は、焦げ付きが完全に落ちきらず、少しばかり黒い模様が残っているけれど、それもまた歴史だと思えば愛着が湧く。
この焦げ跡こそが、僕が土鍋ご飯と格闘し、試行錯誤を繰り返してきた証なのだ。
結局、書店で出会った彼とは連絡先も交換せず、あのきりだ。
だけど、あの時彼と話したことで、土鍋ご飯に対する僕の情熱はさらに燃え上がった気がする。
彼は今頃、どんな土鍋ご飯ライフを送っているんだろうか。
もしかしたら、僕と同じように焦げ付きと格闘しているかもしれないし、はたまた完璧な銀シャリを炊き上げているかもしれない。
想像するだけで、ちょっと愉快な気分になる。
この土鍋を使い始めて、もう二ヶ月が経とうとしている。
確かに、炊飯器があった頃よりは手間がかかるし、時間に余裕がない時は「ああ、面倒だなぁ」と思うこともある。
でも、白い湯気とともに炊き上がるご飯の香りや、蓋を開けたときの感動は、炊飯器では味わえないものだ。
これからも、この焦げ付きだらけの土鍋で、僕なりにご飯を炊き続けていくのだろう。
そして、もしまた書店で知らない人に話しかけられたら、今度は僕が土鍋ご飯の魅力を熱く語ってやるつもりだ。
もしかしたら、僕の隣で立ち読みしている人が、未来の土鍋仲間かもしれない。
そんなことを考えながら、僕は今日も、焦げ付きのない完璧なご飯を目指して、土鍋に米を研ぐ。
あ、でも、たまに焦げ付くのも、それはそれで美味しいんだよなぁ。
うん、どっちでもいいか。
それが、僕の些細なこだわりだったりする。
💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。

