名前とアイコンと、結局カゴに入れたもの

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📝 この記事のポイント

  • 久々に会った友人が激やせしていて、「大丈夫? 」と聞いたらダイエット成功とのこと。
  • 聞けば一ヶ月で5キロ減、夜はサラダチキンしか食べなかったという。
  • 顔つきまで変わって、思わず「別人かと思った」と口から漏れた。

久々に会った友人が激やせしていて、「大丈夫?

」と聞いたらダイエット成功とのこと。

聞けば一ヶ月で5キロ減、夜はサラダチキンしか食べなかったという。

顔つきまで変わって、思わず「別人かと思った」と口から漏れた。

友人は少し困ったように笑っていたけれど、ダイエットに成功した人の自信のようなものが全身から滲み出ていた。

見た目が変わると、その人の印象までガラリと変わるものらしい。

そんな話を聞いた日、家に帰ってぼんやりとネットニュースを眺めていたら、作家の不破貞仁先生が「略されて大麻とかがいる」とX(旧Twitter)でぼやいていたという記事を見つけた。

不破先生のペンネームが「不破貞仁」なので、略すと「不破貞」となり、そこから「不破」と「貞」が分かれて「大麻」を連想させる、というなんとも恐ろしい事態らしい。

いや、そこまで略すか?

と一瞬思ったけれど、世の中にはとんでもない省略をする人たちがいるのも事実だ。

学生時代、友人のあだ名が「フワちゃん」だった子が、結局「フワ」とだけ呼ばれていたのを思い出した。

何かの拍子で「フワ」が「不破」になって、さらに「不破貞」になったら、確かに不破先生の懸念も理解できる。

そしてもう一つ、マイクロソフトのアイコンが「“不肖”表示」となってしまい、「モラル皆無の浮気者みたいになりません?

」と不破先生が嘆いていたという記事も目にした。

これはもう、略語どうこうではなく、システムが勝手に生成する「顔」のアイコンの話だ。

私も仕事で使うチャットツールで、初期設定のアイコンがなんだか冴えない色合いの「N」の文字だったりして、自分の存在感が薄い気がして嫌だったことがある。

結局、自分で撮った適当な空の写真に変えたけれど。

顔写真だと人となりが伝わりやすいけれど、イラストだとどうとでも解釈できてしまう。

不破先生のいう「モラル皆無の浮気者」という解釈は、もはや飛躍しすぎているように思えるけれど、そう見えてしまう人にはそう見えてしまうのだろう。

名前やアイコン一つで、良くも悪くも印象は変わる。

彼氏と夕飯の準備をしながら、この話をしてみた。

「もし俺が『タカシ』って名前で、略されて『タカ』になったら、『高橋』とか『鷹』とか想像するけど、まさか『大麻』はないよな」と彼氏が笑う。

「でも、変な略し方する人、いるもんね。

私の先輩、名字が『田中』なんだけど、なぜか『デン』って呼ばれてたよ」と私が答える。

彼氏は「それはもはや漢字の読み方からして違うだろ」とツッコんだ。

他にも「おしゅし」と略される「お寿司」とか、「あざまる水産」の「あざまる」とか、世の中には変な略語や言い回しが溢れている。

最近はスーパーで「豚バラ巻き」と書いてあるのに、なぜか「豚巻き」としか読まずにレジに持っていく自分がいる。

数文字減っただけで、なんだか得した気分になるのはなぜだろう。

いや、何も得していない。

むしろ情報が減っている。

結局、名前やアイコン、そして言葉の略し方というのは、その人がどうありたいか、どう見られたいか、という意思表示のようなものなのかもしれない。

不破先生がご自身の名前の略し方に懸念を示し、初期設定のアイコンにまで言及したのは、きっとご自身の「作家」としてのイメージを守りたい、という気持ちの表れなのだろう。

それは、激やせした友人が見違えるほど垢抜けて、自信に満ちた顔をしていたのと同じことだ。

自分の「見え方」をコントロールしようとする、人間の本能的な欲求なのだ。

私といえば、自分の見え方どころか、買い物の失敗で日々の小さな後悔を積み重ねている。

先日、彼氏と二人で家具屋に行った時のこと。

前から欲しかったちょっといい感じのコーヒーメーカーが、なぜかセールになっていた。

しかも限定一台限り。

普段なら数万円するものが、半額近い値段で置いてある。

これはもう、買うしかないだろう。

衝動的にレジへ向かい、店員さんの「おめでとうございます、最後のひとつです!

」という声に背中を押され、ホクホク顔で家に持ち帰った。

しかし、冷静になって考えてみれば、我が家には既に十年近く使っている、いたって普通のコーヒーメーカーがある。

別に壊れているわけでもないし、毎日ちゃんと美味しいコーヒーを淹れてくれる。

新しいコーヒーメーカーは、見た目はスタイリッシュで、豆を挽くところから全自動という優れものだったけれど、肝心の味にそこまでの差があるのかと問われると、正直なところ「うーん?

」という感じだ。

彼氏も「美味しいけどさ、前のやつも十分美味しかったよな」と、私とまったく同じ感想を述べていた。

結局、新しいコーヒーメーカーは、最初の数日は珍しさもあってフル稼働したものの、最近は週に二回使うかどうか、という頻度に落ち着いている。

前まで使っていたコーヒーメーカーは、仕方なく棚の奥に仕舞われた。

あの時、本当に必要だったのか?

冷静に考えれば、ただ「限定」という言葉と「半額」という魅力に釣られただけだった。

「これは買わなきゃ損」という、典型的な衝動買い。

まさに「不肖」な買い物だったと、今でも時々苦い顔になる。

でも、全く使わないわけではない。

たまに使うたびに、あの時頑張って運んだ重さとか、彼氏と「これ、すごいよね!

」と興奮しながら箱を開けたときの喜びを思い出す。

それはそれで、ちょっとしたスパイスになっている。

あのコーヒーメーカーは、私の衝動買いの歴史を物語る「アイコン」のようなものだ。

見るたびに「やっちゃったな」という反省と、「でも、こういうのも悪くないか」という諦念が同時に湧き上がる。

自分の名前の略し方や、アイコンの表示に敏感になる不破先生のような繊細さもわかるし、激やせして新しい自分になった友人の晴れやかな気持ちもわかる。

でも、私ときたら、結局は「限定」という言葉に踊らされて、ろくに考えもせず高価なものを買ってしまうような人間だ。

そして、買ったことに後悔しつつも、結局は使って納得してしまう。

世の中には、自分を律して新しい自分に変わっていく人もいれば、私のように衝動と後悔の間を揺れ動きながら、結局あまり変わらないまま毎日を過ごしている人間もいる。

名前がどう略されようと、アイコンがどう表示されようと、私はきっと、今日もスーパーで「限定!

」と書かれたポップに吸い寄せられ、必要かどうかよく分からないものをカゴに入れてしまうのだろう。

そして家に帰って、また「やっちゃった」とため息をつき、でも結局は使って納得するのだ。

それでいいじゃないか、と思う。

私の日常は、そんな小さな後悔と納得の繰り返しで、今日も回っている。


💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。

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