自動翻訳の賢さと、ちょっとした勘違いの種

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📝 この記事のポイント

  • エレベーターで乗り合わせた人と気まずい沈黙が続いて、降りるのが早まった。
  • うちのマンションのエレベーターは、なぜかいつもより長く感じるのだ。
  • 1階から10階まで、たった数十秒の道のりが永遠に思える。

エレベーターで乗り合わせた人と気まずい沈黙が続いて、降りるのが早まった。

うちのマンションのエレベーターは、なぜかいつもより長く感じるのだ。

特に、誰かと二人きりになると。

1階から10階まで、たった数十秒の道のりが永遠に思える。

妙に気配を消し合って、互いの存在を否定するかのようなあの感じ。

結局、私は自分の階より一つ下の階で降りて、階段を上がった。

運動不足解消にはなるけれど、少しばかりの敗北感と、自分の小心さを再認識する瞬間だ。

こういうとき、昔はもっと平気だったような気もする。

いや、昔からこの手の気まずさは苦手だったのかもしれない。

ただ、当時は「大人になれば大丈夫になる」と漠然と思っていただけで。

大人になった今、相変わらずエレベーターでは壁と同化しようと努めている。

最近、友人のMさんと久しぶりに食事をした。

彼女は海外ドラマの字幕翻訳の仕事をしている。

相変わらず忙しそうで、話を聞いていると、昔の自分を思い出した。

私も若い頃、漠然と「海外で働きたい」とか「何か国際的な仕事がしたい」なんて夢見ていた時期があった。

英会話教室に週に2回通い、電車の中では分厚い単語帳を広げていた。

カフェでは、コーヒーを飲みながら洋書を片手に、ノートに気になるフレーズを書き写したりして。

あの頃の私は、いつでもどこでも、自分の未来がどこか遠くにあるような気がしていた。

当時の私は、海外の文化や言葉に触れることに、漠然とした憧れを抱いていたんだと思う。

もちろん、あの分厚い単語帳が最後まで真っ白だったり、洋書は結局数ページで挫折したり、カフェでノートを開いても、結局人間観察ばかりしていたり、なんていうのは、今となっては笑い話だけれど。

Mさんの話を聞いていて、私が今一番すごいなと思うのは、インターネットの自動翻訳機能のことだ。

海外の映画やドラマのレビューを読んだり、たまに海外のニュースサイトを覗いたりするのだけれど、昔は辞書を片手に四苦八苦したものだ。

それが今や、ワンクリックで、まるで日本語で書かれたかのようにスラスラ読める。

いや、スラスラ読めるように「見える」。

本当に素晴らしい技術だと思う。

特に、Twitter、いや「X」と呼び名が変わってからのそれは、本当に賢い。

英語だけでなく、フランス語もドイツ語も、見たこともない言語まで、瞬時に日本語に変換してくれる。

まるで、私の脳内に優秀な通訳さんが常駐しているみたいだ。

この自動翻訳の進化には、舌を巻くばかりだ。

昔の翻訳ソフトといえば、まるで機械が直訳したような、意味不明な文章ばかりだった。

「私は犬、そしてあなたが猫」みたいな、シュールな詩を読んでいるような気分になったものだ。

それが今や、文脈を読み取り、スラングまでそれなりに理解して訳してくれる。

たまに、「おや?

」と思うような誤訳もあるけれど、それはそれでクスッと笑えるし、むしろ愛着が湧く。

たとえば、ある英語の表現が、なぜか古風な日本語の比喩表現になっていたりすると、「この翻訳、意外と文学的センスがあるな」なんて、変な感心をしたりする。

私が書いたメールの日本語を英語に翻訳してみると、思いがけない丁寧な言葉遣いになっていて、ちょっと得した気分になったりもする。

ただ、この素晴らしい自動翻訳にも、一つだけ心配なことがある。

それは、日本のバンド「ポルノグラフィティ」に関する投稿が、海外の人々に誤解を与えかねないことだ。

私自身、彼らの曲はいくつか好きで、特にデビュー当時の「アポロ」なんかは、よくカラオケで歌ったものだ。

あの頃のカラオケボックスは、今と違って喫煙OKで、みんな煙草の煙の中で熱唱していた。

喉が痛くなるけれど、それがまた楽しかった。

話を戻すと、「ポルノグラフィティ」というバンド名、もちろん私たち日本人にとっては、単なるロックバンドの名前でしかない。

誰も、その言葉の直接的な意味を意識して聞いているわけではない。

むしろ、彼らの曲には、青春の切なさや、未来への希望、熱い友情を歌ったものが多く、いわゆる「ポルノ」とはかけ離れた印象がある。

しかし、海外の人々が自動翻訳を通してこのバンド名を目にしたとき、どうなるだろうか。

彼らの多くが「ポルノグラフィティ」という単語から連想するのは、きっと私の想像をはるかに超えるものだろう。

たとえば、彼らがXで「ポルノグラフィティの新曲、最高!

」という日本人ファンの投稿を目にしたとする。

自動翻訳は、きっと忠実に「Pornography’s new song, the best!」と訳すに違いない。

これを読んだ海外の人は、「え、日本でポルノの新曲がリリースされて、それが大絶賛されているの?

しかも、音楽ジャンルとして?

日本って、なんて自由な国なんだ!

」と、とんでもない勘違いをしてしまうのではないかと、勝手に想像してはハラハラしてしまうのだ。

昔の私は、もう少し海外の文化や言葉に対して、もっと無知で無頓着だったかもしれない。

インターネットがここまで普及していなかった頃は、海外の情報に触れる機会も限られていたし、誤解が生じたとしても、それが世界中に瞬時に拡散されるようなこともなかった。

当時は、せいぜい海外旅行先で「このお菓子、なんでこんな味がするんだろう」と首を傾げる程度で済んでいた。

自分の無知が、誰かに迷惑をかけることもなかった。

それが今や、ちょっとした言葉の綾が、地球の裏側で大いなる誤解を生む可能性がある。

まあ、さすがに「ポルノグラフィティ」の件で、国際問題に発展することはないだろうけれど、想像すると、少しだけ冷や汗をかく。

そういえば、昔、友人と渋谷のタワーレコードに行った時、海外の人が日本のヴィジュアル系バンドのCDコーナーの前で、真剣な顔をしてジャケットを眺めていたのを思い出す。

あの髪型、あのメイク、あの衣装。

きっと彼らにとっては、それ自体が異文化体験だったに違いない。

その時も、「この人たちは、このバンドの音楽をどんな風に想像しているんだろう?

」なんて、勝手に想像して楽しんでいた。

それに近い感覚が、今の私にとっての「ポルノグラフィティ」問題なのかもしれない。

昔の自分と今の自分を比べてみると、変わったことと言えば、新しいことへの挑戦に、以前よりも腰が重くなったことだろうか。

若い頃は、何か新しいことがあれば、とりあえず飛び込んでみよう、という気概があった。

英会話教室もそうだし、全く知らない土地への一人旅もそう。

でも今は、「まあ、いいか」で終わらせてしまうことが増えた。

新しい趣味を始めようと、画材一式を買い揃えたはいいものの、結局使わずに半年が過ぎてしまったり。

本棚には、「いつか読もう」と積まれたままの、分厚い歴史小説が何冊もある。

あの頃の私は、もう少し粘り強かったような気もする。

でも、変わらないこともたくさんある。

たとえば、何かを始める前の、妙な期待感と、始めてからの飽きっぽさ。

これは昔から全く変わっていない。

コーヒー豆を自分で挽いてみようと、電動ミルを買ったはいいものの、結局面倒になって、またインスタントコーヒーに戻ってしまったり。

毎日ストレッチをしようと決意して、3日坊主どころか、2日で挫折したり。

習慣にするって、本当に難しいことだ。

特に、一人暮らしだと、誰かに見られているわけでもないから、いくらでも怠けてしまう。

だから、エレベーターで一つ下の階で降りて階段を上がる、というのも、たまにやる「せめてもの抵抗」なのだ。

結局のところ、私は昔も今も、どこか怠惰で、どこか心配性で、そしてどこかユーモラスな日常を愛している。

自動翻訳の賢さに感心しながらも、その陰で起こりうる、ちょっとした誤解に思いを馳せる。

それもまた、日々のささやかな楽しみの一つなのかもしれない。

ポルノグラフィティのファンの皆さんが、海外の人に彼らの音楽の素晴らしさを伝えるときに、うまいこと「ポルノ」ではないことを説明できればいいな、なんて、余計な心配をしながら、私は今日も、スーパーで3割引になったお惣菜を探すのだ。

そして、それを温めながら、またひとつ、どうでもいいことを考える。

それは、エレベーターでの気まずい沈黙を解消する、画期的な方法についてだ。

きっと、答えは見つからないだろうけれど。


💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。

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