📝 この記事のポイント
- ファミレスで隣の席の家族の会話が面白すぎて、料理が喉を通らなかった。
- 小学低学年くらいの男の子が「パパ、今日こそは俺と本気で鬼ごっこする約束だよな! 」と息巻いていて、父親は「ああ、もちろんさ。
- でもパパ、最近ちょっと足腰にガタがきてるんだよねぇ」と苦笑いしている。
ファミレスで隣の席の家族の会話が面白すぎて、料理が喉を通らなかった。
小学低学年くらいの男の子が「パパ、今日こそは俺と本気で鬼ごっこする約束だよな!
」と息巻いていて、父親は「ああ、もちろんさ。
でもパパ、最近ちょっと足腰にガタがきてるんだよねぇ」と苦笑いしている。
横に座るお母さんが「あら、あなたももうすぐ四十路だものね」と追い打ちをかける。
その「四十路」という単語の響きと、それに対する父親の「うっ」という呻き声が妙にリアルで、思わず吹き出しそうになったのを必死で耐えた。
目の前のチキン南蛮定食は、もう冷めかけていたけれど、僕の心は温かかった。
僕自身、二十代も後半に差し掛かってきたが、体力の衰えはそこまで感じていない。
いや、正確には、衰えるほどの体力があった時期を、あまり覚えていないのかもしれない。
大学に入ってからずっと実験漬けで、バイトも立ち仕事が多いため、気づけば一日中何かを動かしている。
研究室と自宅の往復だけでも、そこそこの運動量にはなるだろう。
とはいえ、運動らしい運動といえば、朝のプロテイン摂取くらいだ。
飲んで満足、それで筋トレした気になっている。
そういえば、いつからか「細マッチョになりたい」という漠然とした願望だけは抱いているのに、一向にその目標に近づく気配がない。
いや、近づこうとすらしていない。
昔の僕は、もっとフットワークが軽かった気がする。
高校時代は、友達に誘われればすぐにフットサルコートに集まって、日が暮れるまでボールを追いかけた。
冬の寒い日でも、汗だくになって、帰りの電車で窓の外を眺めながら「今日もお腹が空いたな」なんて考えていたっけ。
家に着いたら、おばあちゃんが作ってくれた大量の唐揚げを、ご飯と一緒に何杯もおかわりした。
あの頃は、食べても食べても太らなかったし、筋肉もそれなりについていたように思う。
いや、筋肉というよりは、ただ健康的な若者の体だった、という方が正確かもしれない。
大学に入学して、一人暮らしを始めてからは、生活習慣がガラッと変わった。
実家では朝ごはんがおばあちゃんの手作りだったのに、僕の朝食はコンビニで買ったサンドイッチか、最悪の場合、前日の夜に食べ残したフライドチキンだったりする。
フットサルも、メンバーを集めるのが億劫になって、いつの間にか自然消滅した。
ジムに通おうと何度か決心したけれど、結局、体験入会で終わってしまった。
あの時、「週に3回は通うぞ!
」と意気込んで、3ヶ月分の会費を払ってしまった僕のバカ。
結局、一週間で飽きて、その後は一度も足を踏み入れることなく、残りの会費はドブに捨てたようなものだった。
約3万円。
その金額を、僕は今でも時々思い出しては、軽い後悔に苛まれる。
あの3万円で、もう少し良い顕微鏡の消耗品が買えたんじゃないかとか、ちょっと贅沢な居酒屋で友人と飲み食いできたんじゃないかとか、あるいは、あの時発売された限定版のフィギュアが買えたんじゃないかとか。
今の僕は、相変わらず「細マッチョ」というキーワードに惹かれ続けている。
研究室の先輩が飲んでいるプロテインの味を試させてもらったり、雑誌の「自宅でできる簡単筋トレ!
」みたいな記事を真剣に読んだりする。
でも、そこで止まってしまうのだ。
記事を読み終えると「ふむふむ、なるほど」と満足して、結局トレーニングウェアに着替えることはない。
たまに気分が乗って、腕立て伏せを10回くらいやってみても、すぐに息が上がって「今日はこのくらいで勘弁してやるか」と自分に甘い言葉を囁いてしまう。
三日坊主どころか、一日坊主だ。
自分でも呆れるほどの怠惰っぷり。
そんな僕の自宅にある、とある場所で、ひたむきに「細マッチョ」を目指している(?
)存在がいる。
それが、洗濯機の下に敷かれたペンギンのぬいぐるみだ。
去年の夏、住んでいるアパートの洗濯機が、妙にガタガタと音を立てるようになった。
特に脱水のときなんて、まるで地震かと思うくらいの揺れで、隣の部屋の人に迷惑をかけているんじゃないかとヒヤヒヤしたものだ。
不動産屋に相談しようかとも思ったけれど、その前に何か自分でできることはないかと考えた。
防振マットみたいなものが売っているのは知っていたけれど、買いに行くのが面倒だった。
そう、ここでも「面倒くさい」が僕の行動を阻む。
その時、目に入ったのが、昔どこかの水族館で買った、手のひらサイズのペンギンのぬいぐるみだった。
黒と白のシンプルな体に、つぶらな瞳。
特に使うあてもなく、棚の隅に置いてあったものだ。
ふと思いついて、そのペンギンを洗濯機の脚の下に挟んでみた。
適度な弾力と、ぬいぐるみの素材が滑り止めにもなって、これが意外にも効果てきめんだったのだ。
ガタガタ音が劇的に減り、洗濯機が安定した。
以来、僕のペンギンは、洗濯機の振動を一身に受け止める「縁の下の力持ち」として、今日も健気にその役目を果たしている。
脱水のたびに、洗濯機の下から聞こえる「ミシミシ」という音。
あれはきっと、ペンギンが全身の筋肉を使い、渾身の力で洗濯機の振動に耐えている音に違いない。
想像してみてほしい。
あの小さな体が、何十キロもの洗濯機の重さと、高速回転するドラムが生み出す強烈な振動に、毎日毎日耐え続けている姿を。
きっと、その体は、中に詰まった綿がギュッと凝縮されて、まるで石膏像のように硬くなっていることだろう。
触ってみたら、カチコチの腹筋と、がっちりした肩回り、そして、常に踏ん張っている足の裏が、まるでアスリートのように発達しているに違いない。
そう、まさに「細マッチョ」だ。
あのペンギンは、僕が夢見る「細マッチョ」を、地道な努力と忍耐で体現しているのだ。
僕はペンギンに語りかける。
「お疲れ様、ペンギン。
今日もよく頑張ったね。
君は本当に偉いよ。
僕も見習わないとね」。
もちろん、ペンギンは何も答えない。
ただ、洗濯機の下で、そのつぶらな瞳でじっと僕を見上げているような気がする。
その姿を見ていると、僕の胸には、なんとも言えない愛おしさと、そして、ほんの少しの罪悪感が湧き上がってくる。
僕が怠惰な日々を送っている間にも、彼は黙々と重労働をこなしているのだから。
変わったことと言えば、昔はフットサルで汗を流していた僕が、今では実験室でフラスコを振って汗をかいている、ということくらいだろうか。
あとは、実家暮らしから一人暮らしになったことで、家事全般を自分でこなすようになった。
洗濯機の使い方も、おばあちゃん任せだった頃よりは、ずいぶん詳しくなった。
洗剤の選び方とか、柔軟剤の香りとか、そういう細部にこだわるようになったのも、一人暮らしならではの変化かもしれない。
でも、変わらないこともたくさんある。
例えば、締め切りギリギリにならないとレポートに取り掛かれない癖。
部屋の片付けを先延ばしにして、足の踏み場もない状態にしてしまうこと。
そして、一番変わらないのが、「いつか細マッチョになる!
」という、根拠のない希望を捨てきれないことだ。
きっと来週から、いや、来月から、いや、年明けからは本気出す。
そう自分に言い聞かせ続けて、もう何年経っただろう。
僕のペンギンは、今日も変わらず洗濯機の下で踏ん張っている。
もしかしたら、僕が筋トレを始めるその日まで、ずっとそこで、僕の代わりに筋肉を鍛え続けてくれるのかもしれない。
そう考えると、少しだけ胸が痛む。
せめて、たまには彼を洗濯機から出して、天日干ししてあげようかな。
そして、労いの言葉と共に、新しくプロテインでも買ってあげようか。
いや、ペンギンはプロテイン飲まないだろうけど。
そう、僕が飲むためのプロテインを、彼への感謝の気持ちを込めて買うのだ。
そして、今度こそ、そのプロテインを飲み干す前に、僕自身が「細マッチョ」への一歩を踏み出す。
……と、ここまで考えて、またしても「来週から」という言葉が頭をよぎった。
ペンギンよ、君は本当に偉大だ。
僕の怠惰な日々を、どうかこれからも寛大な心で見守ってくれ。
そして、いつか僕が本気を出したあかつきには、二人で一緒に、胸を張って細マッチョの世界へ飛び込もうじゃないか。
もちろん、その時は君も、僕の腕の中で、しなやかな筋肉を披露してくれることを期待しているよ。
💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。
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