📝 この記事のポイント
- ドラッグストアで「ついで買い」をしていたら、会計が予算の3倍になっていた。
- 日焼け止めだけ買いに来たはずなのに、なぜか隣にあった限定パッケージのフェイスパック、新作のヘアオイル、それから「今だけ増量! 」の入浴剤。
- 「え、まさか? 」って声に出そうになったけど、店員さんは慣れた手つきでバーコードを読み込んでいる。
ドラッグストアで「ついで買い」をしていたら、会計が予算の3倍になっていた。
あーあ、またやっちゃった。
日焼け止めだけ買いに来たはずなのに、なぜか隣にあった限定パッケージのフェイスパック、新作のヘアオイル、それから「今だけ増量!
」の入浴剤。
全部カゴに入れてた。
レジで合計金額を見た時、思わず二度見。
「え、まさか?
」って声に出そうになったけど、店員さんは慣れた手つきでバーコードを読み込んでいる。
もう引き返せない。
美容液一本分の値段、余裕で超えてるし。
でも、まぁいっか。
梅雨のジメジメした空気で気分も下がり気味だし、こういう散財もたまには必要だよね、と自分を納得させる。
いや、納得させてるだけなんだけど。
ルームシェアしているミオちゃんは、そういう衝動買いを一切しないタイプ。
いつも冷静沈着。
必要最低限のものしか買わないし、常に予算を把握してる。
「この前さ、ドラッグストアで予定外の出費が…」って愚痴ったら、「また?
学習しないねぇ」って、ため息混じりに笑われた。
彼女は今、ネットフリックスでアメリカのドラマにどハマり中らしい。
この前も、リビングでドラマを見ながら「うわっ、今の子ども、裸でベッドにいるシーンだったんだけど!
日本じゃ絶対放送されないよね」って驚いてた。
確かに、日本のドラマってそういうの、かなりぼかしてる気がする。
いや、ぼかすどころか、そういうシーン自体あんまりない。
ふと、考えたんだよね。
なんか、日本って「性」に関する表現はすごく厳しくて、逆に「暴力」とか「グロテスク」な表現は意外と緩い気がしない?
テレビゲームとか漫画とかでも、血がブシャー!
とか、内臓が飛び出るとか、結構ストレートに描かれてたりする。
でも、ちょっと肌を見せるだけでモザイクがかかったり、ラブシーンは妙に抽象的だったり。
海外の作品を見ると、その逆が多い気がする。
「いや、そこ映す!
」ってくらいリアルなラブシーンがあったりするのに、一方で暴力表現はかなり抑えられてる。
R指定とかも、日本だとかなり緩いイメージ。
海外だと、小さな子どもが見るアニメでも、ちょっと不穏なシーンがあるとすぐに保護者のアドバイスが入るもんね。
ミオちゃんが言ってた子どものシーンもそうだし、この間友達とカフェで話してた時も同じような話題になった。
「海外の映画って、子どもたちが親のベッドに普通に潜り込んだりするシーンよく見るよね。
日本のドラマじゃ考えられない」って。
確かにそうだ。
日本の作品だと、子どもは自分の部屋か、せいぜいリビングのソファで寝てる。
親の寝室に子どもが普通にいる、っていう描写はあんまりない気がする。
これって、なんでだろう?
「性」に対する意識の違いなのかな、って。
日本は「性」を隠すもの、秘めるもの、みたいな文化があるのかもしれない。
だから、ちょっとでも性的なニュアンスを感じさせるものは、子どもに見せてはいけない、ってなるのかな。
でも、海外はもっとオープンなのかな?
親と子が同じベッドで寝るのも、ごく自然なこと、みたいな。
そういえば、昔、ヨーロッパを旅行した時に、美術館で見た彫刻とか絵画も、ヌードの作品が本当に多かった。
子どもから大人まで、みんな普通にそれを見てた。
誰かが顔を赤らめたり、隠したりする様子なんて全くない。
むしろ、美術作品として純粋に鑑賞してる感じ。
その時、「あ、全然違うんだな」って衝撃を受けたのを覚えてる。
日本だと、ヌードの絵画展とかでも、ちょっと構えちゃうというか、ドキドキしちゃう自分がいたもん。
なんか、教育の中で「これは芸術だから大丈夫」って頭では理解してても、感覚的にまだ慣れないというか。
そういう文化的な背景が、規制の基準にも影響してるのかなって思う。
一方で、「グロテスク」な表現。
これ、日本は結構許容範囲が広い気がする。
ゲームセンターでUFOキャッチャーをしていたら、隣の高校生たちがゾンビゲームに熱中してた。
画面の中でゾンビがバンバン倒されて、血しぶきが飛び散ってる。
「うわー、キモッ!
」って言いながらも、みんな楽しそう。
もちろん、ゲームだし、フィクションだからって割り切ってるんだろうけど。
私自身も、たまにホラー映画とか見るけど、血みどろのスプラッター系も結構平気だったりする。
というか、そういうのって「怖いもの見たさ」みたいなのがあって、エンタメとして楽しんでる部分もある。
でも、海外の友達とそういう話になった時、結構驚かれたことがある。
「え、そんなにグロいゲーム、子ども向けなの?
」とか、「日本のホラーって、リアルすぎて見れない」とか。
彼らはむしろ、幽霊とか、精神的な怖さの方が得意で、血とか内臓とか、直接的な暴力描写は苦手な人が多かった。
これって、生活環境の違いもあるのかな、って思ったんだよね。
日本って、地震とか台風とか、自然災害が多い国じゃない?
小さい頃から、災害のニュースとかで、家が壊れたり、悲惨な状況になったりする映像を目にする機会が多い。
もちろん、それはフィクションとは違うけど、なんかそういう「壊れる」「失われる」みたいな光景に、無意識のうちに慣れてしまってる部分があるのかな、と。
海外、特に欧米だと、自然災害ももちろんあるけど、日本ほど頻繁ではない国も多い。
その代わり、テロとか銃社会の問題とか、人間が引き起こす暴力に直面するリスクの方が高い地域もある。
だから、フィクションの中であっても、人間が人間に対して行う暴力的な表現には、もっと敏感になるのかもしれない。
「これは現実にも起こりうることだから、安易に描いてはいけない」みたいな。
なんか、文化的な背景とか、その国が抱える現実的なリスクとかが、無意識のうちにエンタメの規制基準にも影響してるのかな、って。
そう考えると、すごく興味深い。
もちろん、どっちが良いとか悪いとか、そういう話じゃないんだよね。
それぞれの国が、それぞれの歴史や文化、社会の中で培ってきた「表現の基準」があるだけ。
日本の作品が海外で「過激だ」と言われたり、逆に海外の作品が日本で「これはちょっと…」ってなったりするのも、そういう違いから生まれるんだろうな。
だから、ミオちゃんが海外ドラマ見て驚くのも、私が海外の美術館でヌード彫刻見てドキドキするのも、どっちも「あるある」なんだろうな、って。
梅雨もそろそろ終わりに近づいてきた気がする。
最近、夜に空を見上げると、たまに星が瞬いて見えるようになった。
湿気でべたつく肌も、ドラッグストアで買った増量パックのおかげか、少し潤ってる気がする。
いや、ただのプラシーボかもしれないけど。
来週には夏服の衣替えもしなきゃ。
今年もまた、ノースリーブの季節がやってくる。
肌の露出が増える季節だからこそ、改めて「見せること」と「見せないこと」の境界線って、本当に曖昧で面白いなって思う。
「何を見せて、何を見せないか」って、結局は自分の気分と、その場の空気と、誰かの視線で決まるものなのかもしれない。
ドラッグストアの散財と、海外ドラマの衝撃と、梅雨時のモヤモヤ。
全部ひっくるめて、なんか、夏の始まりって感じがする。
さて、今夜は買ったばかりの入浴剤で、ゆっくりお風呂に入ろうかな。
限定パッケージのフェイスパックも、忘れずに使わなきゃ。
あ、でも、使いすぎるとまた衝動買いしちゃうかもしれないから、それはまた今度、かな。
💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。

