📝 この記事のポイント
- 図書館で借りた本の返却期限が過ぎていて、延滞金を払う羽目になった。
- いや、正確には「払う羽目になった」というより「気付いたら延滞していて、どうせならと腹を括って開き直った」という方が正しいかもしれない。
- 借りたのは、近所の図書館でふと目に留まった、やたらと表紙が派手な推理小説と、猫の飼育に関する専門書だった。
図書館で借りた本の返却期限が過ぎていて、延滞金を払う羽目になった。
いや、正確には「払う羽目になった」というより「気付いたら延滞していて、どうせならと腹を括って開き直った」という方が正しいかもしれない。
借りたのは、近所の図書館でふと目に留まった、やたらと表紙が派手な推理小説と、猫の飼育に関する専門書だった。
推理小説は冒頭で挫折し、猫の飼育本は「うちはもうベテラン飼い主だしな」と謎のプライドから結局ほとんど読まなかった。
延滞料金は80円。
たった80円のために、図書館の入り口でうっかり借りてしまいそうになる「新刊コーナー」の誘惑と戦う自分、なかなかだと思う。
別に80円を惜しむわけではない。
ただ、なんか、敗北感がすごい。
これだからね、私は。
敗北感といえば、先日、仕事で訪れた香川県での出来事を思い出す。
出張のついでに、たまには観光でも、と意気込んでたんだけど、結局ホテルと仕事場を往復するだけで終わってしまった。
悲しい。
ホテルのロビーには、ちょっとしたキッズスペースがあって、小さなテーブルと椅子、そして絵本が何冊か並んでいた。
チェックアウトの時間を潰すために、何気なくそのスペースに足を向けた。
普段、私は猫の相手ばかりしているので、正直、子ども向けの絵本なんて何年も触れていない。
でも、旅先でふと見かける、日常とは違う「異物」って、なんか惹かれるんだよね。
絵本を手に取ると、驚くべきことに、それが「うどんの絵本」だったのだ。
香川だから、うどん関連は多いだろうな、とは予想していた。
でも、まさか絵本までとは。
その絵本は、うどんの材料から始まり、麺を打つ、茹でる、出汁を作る、盛り付ける、そして食べるまでの工程を、それはもう詳細に、かつ情熱的に描いていた。
イラストは可愛いタッチなんだけど、描写されている内容は完全にプロの職人技。
小麦粉の種類に始まり、水回し、塩加減、足踏みの回数、茹でる時間、出汁の材料(昆布と数種類の節、とか)、温度管理……。
ページをめくるごとに、うどんに対する尋常ではないこだわりが、ひしひしと伝わってくる。
「これ、子ども向けだよね?
」と、私は思わず声に出して呟いてしまった。
誰もいないロビーに、私の独り言が響く。
ちょっと恥ずかしい。
その絵本のタイトルは、「うどんの国のめんめん」。
めんめん、という響きがまた良い。
絵本に描かれているうどんの作り方は、もはや簡単なレシピではなく、哲学だった。
特に印象的だったのが、うどんを足で踏むシーンだ。
絵本の中のキャラクターたちは、みんな満面の笑みで、それはもう楽しそうに生地を踏みしめている。
「こどもたちよ、これが香川の魂なのだ!
」と、絵本から声が聞こえてくるような気がした。
いや、実際に声が聞こえてきたら、それこそホラーだ。
足で踏んだ生地が、ねっとりとした粘り気を帯びて、それが最高のコシを生むのだと、子どもにもわかるように解説されている。
これ、下手な大人向けの料理本より情報量多いんじゃないだろうか。
私はその絵本を読み進めるうちに、だんだん狂気を感じ始めた。
「狂気」なんて言うと大げさかもしれないけど、ここまで徹底して「うどん」を突き詰める姿勢には、畏敬の念すら抱く。
これは、単なるうどんの絵本ではない。
「香川のうどん職人魂を、幼い頃から叩き込むための英才教育絵本だ!
」と確信した。
子どもたちは、この絵本を読むことで、うどんがただの食べ物ではなく、手間ひまかけた芸術品であり、同時に、香川のアイデンティティそのものであることを、骨の髄まで理解するのだろう。
すごい。
私が子どもの頃に読んだ絵本は、せいぜい「ももたろう」とか「おおきなかぶ」とかだったのに。
あれもあれで良いけど、うどんの英才教育とは次元が違う。
そして、読み終わったとき、私は思わず「これめっっっちゃ面白いよ!
」と呟いていた。
面白すぎて、感動すら覚えた。
こんな絵本があるなんて。
絵本って、こんなにも奥深い世界だったのか。
うどんへの愛、郷土愛、そして未来への期待が、ぎゅっと詰まっていた。
子ども向けとはいえ、決して手を抜かず、むしろ大人も唸らせるような情報量と熱量。
こんな体験、久しぶりだ。
この絵本に出会ってからというもの、私はうどんに対する見方が少し変わった。
それまでは、スーパーで安売りしている冷凍うどんを「今日の昼はこれでいっか」くらいのノリで買っていたし、外食する時も、適当に目についたお店に入っていた。
でも、今は違う。
香川のうどん職人たちがどれほどの情熱を注いでいるのかを知ってしまった以上、安易な気持ちでうどんを口にすることはできない、とまでは言わないけれど、少しだけ、いやかなり、意識するようになったのだ。
とはいえ、私の生活は劇的に変化したわけではない。
今朝も、冷凍庫から取り出した五食入りの冷凍うどんを、電子レンジでチンして食べた。
ネギと卵を落としただけの、ごくシンプルな「わかめうどん」だ。
そこに、香川で買ったお土産の「だし醤油」をたらり。
これがまた美味しいんだ。
あの絵本を読んだおかげで、この一杯のうどんにも、どこか職人の魂が宿っているような気がしてくる。
いや、気のせいか。
でも、それでいいのだ。
ふと、私の足元に、我が家の猫であるミー子とター坊がすり寄ってきた。
ミー子は私の足に体をこすりつけながら、ゴロゴロと喉を鳴らしている。
ター坊は、私がうどんを食べていることに興味津々なのか、じっと私の手元を見つめている。
彼らは、うどんがどうやって作られるかなんて知らないだろう。
そもそも、うどんを食べることすらできない。
でも、彼らが私を癒してくれることに変わりはない。
私がうどんの英才教育を受けていようと、受けていまいと、猫たちは今日も私に甘えてくる。
そういえば、あの図書館の延滞金、結局どうなったんだっけ。
延滞金払って、新しい本を借りようかな、と一瞬思ったんだけど、結局借りなかった。
どうせまた延滞するような気がするから。
私って、そういうところ、妙に慎重なんだよね。
いや、慎重というより、臆病なのかもしれない。
借りた本はちゃんと読むべきだし、期限は守るべきだ。
そんなことは分かっている。
分かっているのに、なぜか実行できない。
私にとって、この「うどんの国のめんめん」は、ある意味、私自身の「英才教育」だったのかもしれない。
うどんという身近な食べ物を通して、物事を探究することの面白さ、こだわり抜くことの尊さを教えてくれた気がする。
そして、同時に「人生って、突き詰めることばかりじゃないよね」という、いい意味での諦めも教えてくれた。
だって、私は結局、冷凍うどんを食べているんだから。
猫と一緒にゴロゴロしながら、今日もうどんを食べる。
それで、いいのだ。
たった80円の延滞金なんて、もう気にならない。
いや、やっぱりちょっと気になる。
80円あったら、猫のおやつが買えるのに、とか思っちゃうあたり、私はまだまだ人間ができていない。
でも、それもまた、私なのだ。
💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。
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