📝 この記事のポイント
- コーラにピーナッツと、できない僕の話 ファミレスで隣の席の家族の会話が面白すぎて、料理が喉を通らなかった。
- 小学低学年くらいの男の子が「パパ、なんでお空は青いの? 」と真剣な顔で尋ねると、父親は「うーん、それはね、お空がね……お空だからだよ! 」と力強く答えていて、母親が「あんた、適当すぎでしょ」と突っ込んでいた。
- 僕が頼んだのは日替わりランチで、ハンバーグとエビフライの組み合わせ。
コーラにピーナッツと、できない僕の話
ファミレスで隣の席の家族の会話が面白すぎて、料理が喉を通らなかった。
小学低学年くらいの男の子が「パパ、なんでお空は青いの?
」と真剣な顔で尋ねると、父親は「うーん、それはね、お空がね……お空だからだよ!
」と力強く答えていて、母親が「あんた、適当すぎでしょ」と突っ込んでいた。
僕が頼んだのは日替わりランチで、ハンバーグとエビフライの組み合わせ。
定番だけどたまに無性に食べたくなるんだよね。
フォークとナイフを握りしめたまま、僕はその平和なやり取りに耳を傾けていた。
僕がまだ高校生だった頃、いや、大学生の最初の頃かな。
とにかく昔の僕は、もっとフットワークが軽かったというか、変なものにすぐ飛びつくタイプだった。
例えば、深夜アニメで「このチョコと牛乳を混ぜると究極のデザートになる」みたいな描写があると、次の日にはコンビニに走って材料を揃え、真夜中に台所でごそごそと実験する。
結果はだいたい「まあ、普通においしいかな」程度で、期待値を大きく下回るんだけど、そのプロセス自体が楽しかった。
あるいは、YouTubeで「寝る前にこれをするだけで劇的に痩せる!
」みたいな動画を見つけたら、その日の夜から早速試してみる。
足上げ腹筋を30回とか、ストレッチを15分とか。
もちろん、三日坊主どころか、翌朝にはもう飽きてるんだけど、あの「よし、やってみよう!
」という高揚感だけは本物だった。
あの頃の僕は、試すこと自体に価値を見出していたのかもしれない。
結果がどうあれ、まずは行動。
失敗しても、それはそれでネタになるし、何もしないよりはマシだ、みたいな哲学がそこにはあった。
いや、哲学なんて大げさなものじゃなくて、ただの好奇心の赴くままだっただけか。
でも、あの頃の僕には、そういう無邪気な熱量があったんだ。
今思うと、あの頃の僕は、実験と名のつくことなら何でも面白がれた、という点では、今の大学院生としての自分に通じるものがあったのかもしれないな。
研究テーマは全然違うけど。
それがいつからか、何かを試す前に、脳内でシミュレーションを重ねるようになった。
コストパフォーマンスは?
時間効率は?
失敗したらどうなる?
そもそも本当に意味があるのか?
と、リスクとリターンを天秤にかける癖がついてしまった。
いや、これは完全に大学院に入ってからの弊害かもしれない。
実験計画書を書くたびに、あらゆる可能性を潰し、最も合理的で無駄のないプロセスを構築するよう叩き込まれた結果、プライベートでもその思考回路が発動するようになったのだ。
この前、ネットで「村上春樹のエッセイに書いてある『コーラにピーナッツを入れて飲む』っていうのを試したら、バカ美味いらしい」という記事を見かけた。
曰く、コーラの炭酸がピーナッツの油分をコーティングして、独特の食感と風味が生まれるのだとか。
さらに「米国では定番の飲み方で、現地の人はわざわざ袋のままコーラに突っ込むらしい」なんて、もっともらしいアドバイスまで添えられていた。
記事を読んだ瞬間は、「へえ!
面白いな!
今度やってみよう!
」と、昔の僕が顔を出しかけた。
しかし、すぐに「待てよ」と、今の僕が割って入る。
まず、材料の調達。
コーラは冷蔵庫にある。
ピーナッツは?
ああ、この前バイト先のスーパーで買った、塩味のついたミックスナッツがあるな。
あれで代用できるか?
いや、ピーナッツ単体じゃないと、ナッツの種類の違いで味が変わるかもしれない。
わざわざピーナッツだけを買いに行くのは面倒だ。
しかも、一度開けたら食べきれるか?
いや、きっと余るだろう。
湿気たら嫌だし。
それに、グラスに入れるのか?
袋のままって書いてあったけど、日本のコンビニで売ってるピーナッツの袋じゃ、口が狭すぎてコーラのボトルに入らないんじゃないか?
ああ、そうか、現地のはもっと大きい袋に入ってるんだろうな。
そもそも、本当に美味しいのか?
記事は「バカ美味い」って言ってるけど、あれって一種の誇張表現だろ。
期待値が高すぎると、がっかりした時に反動が大きい。
もし不味かったら、コーラもピーナッツも無駄になる。
800円くらいの出費だが、無駄は避けたい。
というか、そもそもこの味覚は万人に受けるものなのか?
個人の感想にすぎないのでは?
と、無限に続く思考のループ。
結局、僕は今も、あの「コーラにピーナッツ」を試していない。
冷蔵庫のコーラは減っているし、ミックスナッツはもうほとんど残っていないのに。
昔の自分と今の自分を比べてみると、変わったのは、この「脳内シミュレーション」の精度と頻度だろう。
昔は興味のままに動いていたのに、今は何かと理由をつけては行動を躊躇する。
これって、一種の怠惰だよな、と思う。
いや、怠惰というよりは、失敗を恐れているのかもしれない。
研究で失敗続きだと、プライベートでも「また無駄になるのか」と身構えてしまう。
でも、変わらないことも、もちろんある。
それは、根っこにある好奇心そのものだ。
例えば、この「コーラとピーナッツ」の話だって、結局のところ、僕はまだ頭の片隅で「いつか試してみたい」と思っている。
ただ、その「いつか」が、とてつもなく遠い未来に設定されてしまっているだけなのだ。
やろうと思ってできないこと、続かないこと。
これこそが、僕という人間を構成する重要な要素の一つだと、最近は諦め半分で受け入れている。
つい先日も、バイト先で新しいレジの打ち方を覚えるのに手間取って、先輩に「おいおい、そんなんじゃ研究室でも苦労してるだろ」と笑われた。
全くその通りで、新しいプロトコルを覚えるたびに、僕は頭を抱えている。
一度覚えたら早いんだけど、それまでの道のりが長い。
そんな僕が、あの「コーラにピーナッツ」を試すためには、きっと誰かに「ほら、やってみろよ!
」と背中を押されるか、あるいは、たまたま目の前にコーラとピーナッツが同時に存在して、他にやることが一切ない、という奇跡的な状況でもない限り、一生実現しないんじゃないか、とすら思えてくる。
それでも、僕は完全に悲観しているわけじゃない。
むしろ、この「やろうと思ってできない」という自分自身の人間臭さみたいなものを、少し愛おしくすら感じているのだ。
完璧じゃないからこそ、面白い。
そう、あのファミレスで適当な答えを返す父親と、それにツッコミを入れる母親のように。
僕の日常も、そんな小さな「できない」や「やらない」で彩られている。
そして、いつか、僕がふと、何の気なしにコーラにピーナッツを放り込む日が来るかもしれない。
いや、来ないかもしれない。
でも、その可能性が、僕の日常に、ほんの少しのスパイスを加えてくれているのは確かなのだ。
💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。

