📝 この記事のポイント
- 休日の昼下がり、ソファで寝転んでいたら猫に顔を踏まれて目が覚めた。
- どっしりとした重みが両頬にズドンと乗り、息が止まる。
- 薄目を開けると、毛むくじゃらの肉球が至近距離でこちらを見下ろしていた。
休日の昼下がり、ソファで寝転んでいたら猫に顔を踏まれて目が覚めた。
どっしりとした重みが両頬にズドンと乗り、息が止まる。
薄目を開けると、毛むくじゃらの肉球が至近距離でこちらを見下ろしていた。
相変わらずだな、この猫は。
目覚めと同時にスマートフォンが震えた。
画面には、母親からのLINE通知。
「これ、強いよ。
どう?
」添えられた写真は、ゴツゴツとした金属の塊が写っている。
見慣れたパワーアーマーだ。
Fallout4。
私が軽い気持ちで実家に帰省した際に、「これ、面白いからやってみて」と渡したゲームである。
もう半年近く前の話だ。
最初は「操作が難しい」「目が疲れる」と文句を言っていた母が、いつの間にか「あのロボット、どうやって倒すの?
」「拠点に人が集まらない」と具体的な質問をしてくるようになり、今ではすっかり廃墟の荒野に生きるサバイバーである。
3ヶ月で800時間近くプレイしているらしい。
冗談みたいな数字だ。
私もそこまでやり込んだことはない。
むしろ、私が勧めたゲームなのに、母の方が詳しくなってしまった。
LINEで送られてくる写真も、最初は「この植物、何?
」みたいな牧歌的なものだったのが、いつの間にかパワーアーマーのスクショばかりになった。
しかも、そのアーマーの種類や改造について、私に解説を求めてくる。
まるで息子に車について尋ねる父親のようだ。
夫にその話をしたら、「800時間って、ほぼ毎日8時間以上やってるってことじゃん。
仕事かよ」と呆れていた。
確かに。
私もそう思う。
昔、父がパチンコにハマっていた時期があったが、あれはまだ外に出るからいい。
家に引きこもって、ひたすら核戦争後の荒野をさまよう母を想像すると、なんだか遠い目で空を見上げてしまう。
もはや実家は、母の秘密基地と化しているのかもしれない。
そんな母のゲーム熱を見ていると、ふと自分の買い物の癖を思い出す。
私はわりと衝動買いが多い。
そして、その失敗談も枚挙にいとまがない。
最近で言えば、キッチンの壁に貼る、耐熱性のあるおしゃれなシートだ。
雑誌で見た北欧風のデザインに一目惚れして、サイズも測らずにポチった。
届いてみれば、想像以上に柄が大きくて主張が激しい。
貼ってみたら、まるでそこだけ異空間。
夫に「なんか…すごいね」と言われた時の、あの微妙な顔。
結局、半分だけ貼って、残りは戸棚の奥に眠っている。
でも、この半分だけ貼った状態が、なんだか妙に気に入ってしまって、そのままにしている。
人間、完璧を目指さない方が、案外落ち着くものなのかもしれない。
他にもある。
去年の夏、可愛いと思って買った、透かし編みのニットカーディガン。
試着した時は「これだ!
」と思ったのに、家に帰って着てみたら、インナーが透けすぎて、とてもオフィスには着ていけない。
休日のおしゃれ着にしようにも、エアコンの効いた室内だと少し肌寒く、外に出ればあっという間に汗だくになる素材感。
結局、一度も外に着ていかず、部屋着として重宝している。
ちょっとしたコンビニに行く時にも羽織ることはない。
ただ、家の中で、ソファに座って本を読む時にだけ、そっと肩にかける。
その瞬間だけは、雑誌のモデルになった気分になれるから不思議だ。
夫もまた、奇妙な衝動買いをする。
先日、彼が突然、「これ、欲しかったんだ」と持ち帰ってきたのは、手のひらサイズの小さな苔テラリウムだった。
どこに置くのかと思ったら、ダイニングテーブルのど真ん中に鎮座している。
食卓で向かい合うたびに、私は彼に、彼は苔に、それぞれ無言で語りかけているような、そんな静かな時間が流れる。
水をやるのは夫の役目だが、たまに私が霧吹きでシュッシュとやると、「ああ、ありがとう」と、まるで自分の子供に水をやるかのように目を細める。
あれを見るたびに、私は心の中で「誰が世話してると思ってるんだ」とツッコミを入れている。
私たちは、それぞれ別の場所で、別々のものに熱中している。
母はゲームの中で荒野をさまよい、私はリビングで、衝動買いしたけれど気に入っているものに囲まれている。
夫は苔を愛でている。
それぞれが、それぞれの「秘密基地」を持っているようなものだ。
先日、実家に帰省した際、母が目をキラキラさせて話してくれた。
「あのクエスト、やっとクリアしたのよ!
」「あのモンスター、一撃で倒せるようになったの!
」その顔は、まるで子供のように無邪気で、本当に楽しそうだった。
私には理解できない、ゲームの中の具体的な地名や登場人物の名前が次々と飛び出すが、それでも私は相槌を打つ。
母が楽しそうなら、それでいい。
私も、たまに衝動買いをしては「またやっちゃったな」と頭を抱える。
でも、どこかで「まあ、いっか」と諦めている自分がいる。
だって、結局、なんだかんだで使っているのだ。
透け透けのカーディガンだって、部屋着としては優秀だし、北欧柄のシートだって、半分だけ貼られた壁を眺めるたびに、ちょっとした笑いがこみ上げてくる。
それが、私の日常を彩る、ちょっとしたスパイスになっているのかもしれない。
人間、完璧でなくても、ちょっといびつなくらいが、案外ちょうどいいのかもしれない。
母が800時間もゲームに没頭している姿を見て、そんなことを思った。
今日もまた、私のリビングでは猫がソファを占領し、苔は静かに息づいている。
そして、たぶん母は、どこかの廃墟でパワーアーマーを強化していることだろう。
それでいいのだ。
💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。

