📝 この記事のポイント
- 帰宅したら、同じ建物の別の部屋のドアを開けようとしていた。
- 鍵を差し込もうとして、あれ、と一瞬固まる。
- うちのドアはこんなに綺麗な木目だったっけ、とぼんやり思いながら、よく見ればプレートに「302」の文字。
帰宅したら、同じ建物の別の部屋のドアを開けようとしていた。
鍵を差し込もうとして、あれ、と一瞬固まる。
うちのドアはこんなに綺麗な木目だったっけ、とぼんやり思いながら、よく見ればプレートに「302」の文字。
いやいや、うちは「301」だろうが。
と、ひとりごちて隣のドアを見れば、見慣れた傷のあるドアと、擦り切れた「301」のプレートが、まるで「おっちょこちょいさん」とでも言うようにそこに鎮座していた。
まあ、これくらいは日常茶飯事だ。
朝、散歩に出かけようと、靴を左右逆にはいてしまったり、スーパーのレジで財布を出そうとして、なぜか図書館の貸し出しカードを提示してしまったり。
定年してからのこの数年、どうも時間の感覚がゆるくなったせいか、それともただの老化現象なのか、まあいいか、で済まされる小さな失敗が増えたような気がする。
これも、時間に追われる毎日から解放された特権、とでも言うべきか。
いや、ただの怠慢か。
今日の散歩も、いつもの裏道をぐるりと回って、小さなパン屋で明日の朝食用の塩パンを二つ買った。
ここの塩パンは、底のカリカリ感がたまらないんだよね。
いつもはそのまま川沿いの公園でぼんやりと座って、池にいるカルガモを眺めるのがルーティンなんだけど、今日はいつもと違う、ちょっと焦る気持ちが胸の奥にあった。
先日、新聞を読んでいたら、ある「学びの会」の広告が目に留まった。
「今だけ特別価格!
〇月〇日までの期間限定!
」と、赤文字で大きく書かれ、その下にはデジタル表示のカウントダウンタイマーまで。
残り「3日と12時間45分33秒」なんて表示されているもんだから、なんだか焦っちゃってね。
いや、べつに今すぐ学びたいことがあるわけじゃないんだ。
ただ、この「今だけ」とか「期間限定」という言葉に、どうも弱い。
昔から、デパートの「閉店セール」とか、スーパーの「タイムセール」とか、目の前のチャンスを逃したら損をする、という気持ちがむくむくと湧いてくる質でね。
「何か新しいことを始めるのもいいんじゃないか」と、妻に言われたこともあって、以前から興味のあった「動画づくり」とやらに挑戦してみるのも一興か、なんて漠然と考えていた時期だったんだ。
だから、この「学びの会」の広告を見たときに、これは運命かもしれない、と大袈裟に思ったわけだ。
だって、残り時間が刻一刻と減っていく表示を見たら、もう「申し込まねば」って気持ちになるじゃないか。
結局、その日は申し込まずに、翌日また新聞を見てみた。
すると、なんと驚くことに、カウントダウンタイマーの残り時間が「3日と18時間59分59秒」に増えているじゃないか。
あれ?
昨日より増えてる?
って、目をゴシゴシ擦って二度見したよ。
昨日見たときは「3日と12時間」くらいだったはずなのに。
これは一体どういうことなんだろう、と首を傾げた。
時間が巻き戻るタイムマシンみたいなことになっているのか、それとも僕の目がついに老眼で見間違えたのか。
その日はなんだか狐につままれたような気分で、いつもの公園のベンチに座っても、頭の中では「3日と18時間59分59秒」の数字がぐるぐる回っていた。
カルガモが池を優雅に泳ぐ姿も、いつもより少しズレて見えた気がする。
いや、そんなはずはないんだけどね。
どうも、この手の「期限」とか「締切」というものに、昔から振り回されがちな性分なんだよ。
若い頃、会社勤めをしていた時も、よくあったんだ。
上司から「明日の朝まで」と言われた書類が、どうも徹夜して作ったのに、翌日になって「いや、あれは来週の金曜日でよかったんだ」なんて言われたりしてね。
そのたびに、僕のせっかちな性格が裏目に出るもんだから、周りからは「フライングの達人」なんてありがたくないあだ名をつけられたりしたものだ。
だから、この「学びの会」のカウントダウンタイマーが、僕のフライング癖を刺激しているような気がして、なんだか落ち着かない。
今日の散歩も、いつもならパン屋の店員さんと世間話をしたり、公園で通りすがりの犬を撫でたりするんだけど、どうも上の空だった。
頭の中では、「あのタイマーは本当に信用できるのか?
」という疑念と、「いや、でもチャンスを逃したくない」という衝動がせめぎ合っている。
まるで、釣りの浮きがピクピクと動くたびに、すぐに竿をあげてしまう僕みたいだ。
大物は、もっと我慢して待つものだ、と釣り仲間にはいつも笑われる。
そして、今日。
帰宅してドアを間違えそうになった時、ふと気づいたんだ。
あのカウントダウンタイマーも、僕の「おっちょこちょい」や「せっかち」な部分を、まるで鏡のように映し出しているのかもしれない、と。
期限が迫っているように見せかけて、実はそうでもない。
焦る必要なんてなかったのに、勝手に焦っていたのは自分の方だった。
なんだか、あのタイマーが僕に「まあ、そう焦るなよ」と語りかけているような気がしたよ。
人生の残り時間は、本当に刻一刻と減っていくけれど、デジタル表示のカウントダウンみたいに、厳密に数字で示されるわけじゃない。
もっと、ぼんやりとしていて、曖昧で、そして時々、昨日より少しだけ長く感じる日もあるのかもしれない。
結局、あの「学びの会」にはまだ申し込んでいない。
もしかしたら、明日また新聞を見たら、タイマーが「4日と〇時間」に増えているかもしれないし、あるいは「終了しました」と表示されているかもしれない。
どちらにしても、もう僕は慌てない。
塩パンのカリカリを味わいながら、ゆっくり考えよう。
焦って踏み出した一歩が、隣の部屋のドアを開けようとすることだってあるんだから。
人生も、それくらいでちょうどいいのかもしれないね。
そんなことを思いながら、今日もまた、見慣れた自分のドアを開け、家路についたのだった。
💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。

