📝 この記事のポイント
- 銀行のATMで操作を間違えて、後ろに並んでいる人のプレッシャーを感じた。
- 「お引き出し」を押したつもりが「お預け入れ」。
- 背後から聞こえる「トン、トン」という小刻みな足音。
銀行のATMで操作を間違えて、後ろに並んでいる人のプレッシャーを感じた。
「お引き出し」を押したつもりが「お預け入れ」。
画面が切り替わって、一瞬フリーズ。
背後から聞こえる「トン、トン」という小刻みな足音。
ああ、ごめんなさい。
早く次に行きたいよね。
僕も早く帰りたい。
結局、一旦キャンセルして、最初からやり直し。
この手のドジ、帰任してから増えた気がする。
単身赴任中は、誰にも見られてないから、多少のアタフタも気にならなかった。
今は違う。
家族もいるし、近所の目もある。
妙に周りを気にするようになった。
これも再適応の一環なのだろうか。
そんなことを考えながら、ATMを後にした。
外はまだ少し肌寒い。
でも、陽射しには確実に力強さが宿っている。
春が来た、と実感する瞬間。
今年はいつもより、季節の移り変わりを意識する。
単身赴任先の街とは、空気の匂いが少し違う。
故郷の匂い。
でも、なんだか、まだ体が馴染まない。
少しだけ、体が浮いているような感覚がある。
家に向かう途中、いつもの肉屋の前を通った。
「肉のマルキン」という、昔ながらの店構え。
ショーケースには、豚肉や鶏肉が並んでいる。
揚げ物も充実。
コロッケやメンチカツは、子どもの頃からお世話になっている。
最近、この肉屋がやけに賑わっている。
特に週末。
店の外まで、順番待ちの列ができている。
「肉屋が実感するほど影響でてる…!
」
と、先日、店主が困惑した顔で話していた。
何が影響してるのか、僕にはさっぱり分からなかった。
「バーベキューの肉、バカ売れしてるんですよ」
店主はそう言って、首を傾げた。
バカ売れ、か。
確かに、以前より精肉の回転が速い。
特に牛肉の塊。
見るからに、バーベキュー用といった感じの肉が飛ぶように売れていく。
理由が分からない、と店主は繰り返した。
急に何があったんだろう。
テレビ番組?
それとも、雑誌?
いや、ネットかもしれない。
そういう情報源は、僕にはちょっと疎い。
単身赴任中も、テレビはニュースくらいしか見なかったし。
家に帰ってきてから、妻や子どもたちの情報量に驚かされている。
どこからそんな情報、仕入れてくるんだろう。
僕が知らない間に、世の中は別の情報網で動いている。
そんな気がした。
肉屋の店先で、若い夫婦が肉を品定めしていた。
まだ小さな子どもを抱っこしたお父さん。
楽しそうに「これがいいかな」「あっちも美味しそう」なんて話している。
手に持っているのは、確かに、バーベキュー用の牛肉。
分厚くて、色つやもいい。
「お父さん、焼くの上手だもんね」
お母さんがニコニコしながら言った。
お父さんは照れくさそうに笑っている。
いいな、こういうの。
僕も、子どもが小さかった頃は、よくバーベキューをやったっけ。
でも、単身赴任が始まってからは、年に一度あるかないか。
久しぶりに家族全員で、庭でバーベキューでもやろうかな。
そんな考えが、ふと頭をよぎった。
僕も、あの肉屋の「バカ売れ」に貢献する一人になるわけだ。
店主の困惑の原因を、僕が作っている。
なんだか、ちょっと面白い。
僕も、彼らと同じように、季節の変わり目に感化されているのかもしれない。
春の陽気に誘われて、外で肉を焼きたくなる。
人間の本能みたいなものか。
いや、違うな。
僕の場合は、家族との時間を取り戻したい、という気持ちの方が強い。
単身赴任で失った時間。
埋め合わせしたい。
そんなちょっとした焦りがあるのかもしれない。
若い夫婦は、大きなパックの肉を抱えて、満足そうに店を出て行った。
彼らの足取りは軽やか。
子どもも楽しそうに、お父さんの肩で揺れている。
それを見て、僕も、バーベキューの準備をあれこれ考えた。
炭は?
網は?
飲み物はどうする?
ついでに、あの肉屋でコロッケも買っていこうかな。
子どもたち、喜ぶだろうな。
そんなことを想像すると、少しだけ気分が浮き立つ。
まるで、彼らと同じように、僕も「肉がバカ売れする」理由の一部になっている。
僕にとってのバーベキューは、家族との再構築の象徴。
彼らにとっては、日常のささやかな楽しみ。
でも、根っこにあるのは、きっと同じ。
「美味しいものをみんなで食べたい」というシンプルな欲求だ。
単身赴任から帰ってきて、家族との生活に再適応する日々。
妻は、僕の帰りを心待ちにしてくれていた。
でも、長年の空白は、そう簡単には埋まらない。
子どもたちも、僕の生活リズムに合わせるのに、少し戸惑っているように見える。
僕も、家のあれこれに、まだ慣れないことが多い。
食器の場所。
洗濯物の畳み方。
ごみ出しのルール。
細かいことが、単身赴任中とは違う。
「それは、そっちじゃない」
「パパ、また間違えてる」
子どもたちに言われるたび、ちょっと情けなくなる。
それでも、少しずつ、少しずつ。
家族の歯車が、また噛み合い始めている。
バーベキューも、その歯車の一つ。
僕が肉を焼いて、みんなで囲む食卓。
完璧じゃなくてもいい。
多少焦がしても、煙だらけになっても。
それもまた、家族の思い出になる。
きっと。
肉屋の店主は、今日も「なぜこんなに…」と首を傾げているだろう。
理由が分からなくても、肉が売れるのはいいことだ。
僕も、理由が分からずATMの操作を間違えた。
でも、最終的には目的を果たせた。
急にバーベキューの肉が売れるのも。
僕がATMでまごつくのも。
季節の変わり目、新しいことへの期待感、そしてちょっとした戸惑い。
そんなものが、ごちゃ混ぜになっているのかもしれない。
冬の間に溜め込んだエネルギーが、春の陽気で一気に放出される。
そんな自然のサイクルに、僕ら人間も乗っかっている。
たかがバーベキュー、たかがATM。
でも、その中に、僕たちの暮らしの小さな物語が詰まっている。
そう思えば、また明日も、ちょっと頑張れる気がする。
春の匂いを感じながら、僕は家路を急いだ。
今夜の夕食は、マルキンで買ってきた鶏ももの唐揚げにしよう。
子どもたち、喜ぶかな。
そんな小さな期待が、僕の足取りを軽くした。
きっと、あの肉屋の店主も、僕らお客さんの笑顔を見て、少しは報われているはずだ。
理由なんて、分からなくていい。
ただ、目の前の肉が売れて、みんなが美味しいって言ってくれる。
それだけで、十分なのかもしれない。
季節は巡り、僕らの暮らしもまた、ゆるやかに変化していく。
春の風が、少しだけ冷たい。
でも、その中に、確かな温かさを感じた。
そんな土曜日の午後。
僕の再適応の日々は、まだ始まったばかりだ。
💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。

