📝 この記事のポイント
- 夜中にトイレに起きたら、廊下で猫と鉢合わせして両者固まった。
- 真っ暗闇の中、突然現れた黒い塊に私が「ひゃっ」と声を漏らせば、猫の方も「にゃっ」と短い悲鳴を上げて飛び退く。
- こんなやり取り、もう何年続けていることやら。
夜中にトイレに起きたら、廊下で猫と鉢合わせして両者固まった。
真っ暗闇の中、突然現れた黒い塊に私が「ひゃっ」と声を漏らせば、猫の方も「にゃっ」と短い悲鳴を上げて飛び退く。
こんなやり取り、もう何年続けていることやら。
そろそろお互い学習してほしいものだと、薄ぼんやりとした常夜灯の下で苦笑いした。
猫はしっぽをぴんと立てて、まるで「まったく、おばあちゃんは寝ぼけているんだから」とでも言いたげな顔をしている。
私も負けじと「あんたこそ、こんな時間に何してるのさ」と心の中で言い返しながら、そっと頭を撫でてやる。
ひんやりとした毛並みが、夏の夜の熱気を少しだけ和らげてくれた。
その日は朝から蒸し暑く、庭のトマトも少し元気をなくしているようだった。
朝の水やりを終え、汗だくのまま食卓につくと、冷蔵庫で冷やしておいた麦茶がいつもより美味しく感じられた。
ふと窓の外を見ると、隣の奥さんがちょうど洗濯物を取り込んでいるのが見えた。
目が合うと、にこやかに手を振ってくれる。
「おはようございます、暑いですねえ」と、ガラス越しでもわかるほどの大声で挨拶を交わす。
このやり取りも、もう何年になるだろう。
お互いの生活のリズムが、まるで時計の振り子のようにぴったりと合っている気がして、小さな幸せを感じる瞬間だ。
彼女が取り込んでいるのは、おそらく小学校の体操服と、ご主人のワイシャツだろう。
我が家の物干し竿には、私が昨日着たワンピースと、猫のお気に入りのタオルケットが風に揺れている。
それぞれの暮らしがあって、それでいて、同じ太陽の下で同じように汗を流している。
そんな当たり前のことが、なんだかとても愛おしく思えた朝だった。
仕事から帰宅したのは、午後6時を少し回った頃だった。
日中の暑さは少し和らいだものの、アスファルトからはまだ熱気が立ち上っていた。
玄関のドアを開けると、クーラーの効いた涼しい空気がふわっと体を包む。
と同時に、リビングからドタバタと騒がしい音が聞こえてきた。
今日は息子夫婦と孫のリュウタが遊びに来ている日だったことを思い出し、思わず笑みがこぼれる。
リュウタは小学2年生。
最近、恐竜とか昆虫とか、あとは漫画の「バキ」に夢中な男の子だ。
私が部屋着に着替えようと廊下を歩いていると、リビングからリュウタが駆け寄ってきた。
「ばーば!
ばーば!
みてほしいのある!
」と、私のスカートの裾を引っ張る。
その満面の笑みを見たら、もう「疲れたからちょっと待って」なんて言えるはずもない。
私も「あらあら、なあに?
」と、少しばかり期待を込めてリュウタの手を握り返した。
きっと、今日学校で作った工作かなにかを見せてくれるのだろう。
それとも、新しい虫の図鑑でも買ってきてもらったのかな、なんて思いながらリビングへ向かった。
リビングに入ると、息子がソファで苦笑いをしながらスマホをいじっている。
嫁はキッチンで夕飯の準備をしているようだった。
リュウタはというと、部屋の真ん中に仁王立ちしている。
そして、私が彼に視線を向けた途端、リュウタは「パパとママには見せたけど、ばーばにはまだでしょ!
」と得意げな顔で叫び、次の瞬間、両腕を大きく広げ、まるで背中に鬼の顔が浮かび上がっているかのように全身を反らせたのだ。
そう、それはまさに、漫画「グラップラー刃牙」シリーズに登場する地上最強の生物、範馬勇次郎が、その圧倒的な力を誇示する際の、あのポーズだった。
一瞬、何が起こったのか理解できず、私は固まってしまった。
期待していたのは、折り紙で作ったカブトムシとか、絵の具で描いた家族の絵とか、そんなほのぼのとしたものだったのに。
まさか、孫から「地上最強の生物」を披露されるとは。
しかも、リュウタは真剣な顔で、額に汗を浮かべながら、そのポーズを完璧に再現しようとしている。
「どう?
ばーば、すごい?
」と、ぜいぜい息を切らしながら聞いてくる。
私は吹き出すのを必死でこらえながら、「すごいねえ、リュウタ。
ばーば、ちょっとびっくりしちゃったよ」と、なんとか声を絞り出した。
息子はソファから「母さん、笑ってやってくださいよ」と助け舟を出してくれたけれど、もう私の口角は吊り上がりっぱなしだ。
まさか、こんな形で「期待を裏切られる」経験をするとは。
人生、本当に何が起こるかわからないものだ。
リュウタの勇次郎ポーズを見ていると、なんだか可笑しくて、同時に少し感動してしまった。
彼は真剣なのだ。
自分の好きなものを、全身で表現しようとしている。
その純粋な熱量に、私はすっかり心を奪われてしまった。
夕飯は、嫁が作ってくれた生姜焼きだった。
リュウタはその日、私が「すごいね」と褒めたことを何度も自慢げに話していた。
食卓では、リュウタが勇次郎について熱弁を振るい、息子が「そんなに強くならないでくれよ」と冗談を言ったり、嫁が「野菜も食べなきゃ強くならないわよ」と諭したり。
そんな他愛もない会話が、夏の夕暮れの食卓を温かく包んでくれた。
食後、庭に出ると、空にはまだ少しだけ夏のオレンジ色が残っていた。
隣の奥さんの家の窓からは、夕食の準備をしているのか、カチャカチャという食器の音が聞こえてくる。
少し離れたところで、近所の飼い犬が「ワン!
」と一声吠え、それに呼応するように、うちの猫が「ニャー」と鳴いた。
それぞれの家で、それぞれの暮らしが営まれている。
それが、ごく自然で、ごく当たり前のこと。
リュウタの勇次郎ポーズも、私と猫の深夜の鉢合わせも、隣の奥さんとの朝の挨拶も、全てがこの日常という名の大きな絵の一部なんだなあ、としみじみと感じた。
最近、町内会の回覧板で、秋祭りの準備委員を募集しているのを見た。
正直なところ、ちょっと面倒だな、というのが本音だ。
でも、きっとそこにも、新しい発見や、ちょっとした笑いがあるに違いない。
人生って、結局のところ、そんな小さな「期待と裏切り」の繰り返しなのかもしれない。
でも、その「裏切り」が、意外と悪くなかったりする。
むしろ、想像もしなかった可笑しさや、温かさを運んできてくれることもある。
まるで、今日のリュウタの勇次郎ポーズのように。
庭の片隅で、私が育てている朝顔が、一つだけ花を咲かせていた。
夕暮れの薄明かりの中で、青い花びらがしっとりと開いている。
まだ小さなつぼみもたくさんついていて、明日もまた、きっと新しい花を見せてくれるだろう。
私はその朝顔をじっと見つめながら、明日、リュウタがどんな「サプライズ」を用意してくれるのか、密かに楽しみにしている自分がいることに気づいた。
人生、そんなもん、と言ってしまえばそれまでだけど、その「そんなもん」の中にこそ、キラキラとした宝物が隠されているのかもしれないね。
そんなことを思いながら、私は夏の夜風に吹かれて、少しだけ微笑んだ。
💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。
