📝 この記事のポイント
- 自販機で買ったコーヒーが想像と違う味で、一口で後悔した。
- たしか「微糖」って書いてあったのに、舌の上でざらつくような甘さが残る。
- ぬるくなりかけた缶を握りしめて、少し憂鬱な気分で会社の休憩室に向かう。
自販機で買ったコーヒーが想像と違う味で、一口で後悔した。
よくあることだ。
たしか「微糖」って書いてあったのに、舌の上でざらつくような甘さが残る。
ああ、これじゃない。
でも、もう買ってしまった。
ぬるくなりかけた缶を握りしめて、少し憂鬱な気分で会社の休憩室に向かう。
まだ五月だというのに、日中は汗ばむ陽気。
半袖でちょうどいい。
でも朝晩は肌寒いから、着るものに悩む。
体がついていかない。
頭の中もなんだかぼんやりする。
そんな気だるい午後の休憩時間、つい眺めてしまうのは、ネットの片隅で流れてくる他愛もない話だ。
目に入ったのは「同人誌を作る理由として『一般参加列に並びたくないからサークル参加する』って考える人もいる」というポスト。
これに、驚くほど多くの「わかる!
」「それな!
」という同意の声が集まっていた。
なんだか可笑しかった。
みんな、そんなに並ぶのが嫌なのか。
私も若い頃は、コミケとか、そういうイベントに何度か行ったことがある。
息子がまだ小さかった頃、アニメにハマっていた時期があって、限定グッズとかを求めて早朝から並んだりもしたっけ。
朝六時に最寄り駅に着いて、そこからさらに電車を乗り継いで。
まだ夜も明けきらないような時間から、たくさんの人が同じ方向へ向かって歩いている光景は、ちょっと異様で、でも高揚感もあって。
ずらりと並ぶ列は、まるで巨大な生き物のようだった。
何時間も立ちっぱなしで、足は棒になる。
途中で雨が降ってきて、急いで傘をさしたり。
真夏の日差しに焼かれながら、ペットボトルの水をちびちび飲んだり。
あの頃は体力があったな、と今さらながら思う。
並んで並んで、やっと手に入れたグッズを抱きしめて帰路につく時の達成感は、確かに特別なものだった。
でも、正直に言えば、あの疲労感は尋常じゃなかった。
家に帰って、もう何もする気が起きなくて、そのままお風呂にも入らず寝落ちしたことなんて一度や二度じゃない。
翌日は全身筋肉痛だし、熱が出るんじゃないかと心配になるくらい体がだるい。
それでもまた、次のイベントが告知されると、懲りずに「行っちゃう?
」なんて友だちと相談していたのだから、若さって恐ろしい。
その「並びたくないからサークル参加」という発想、最初は「へえ、そういう考え方もあるんだ」と少し驚いた。
だって、サークル参加って、そりゃあ並ばなくていいかもしれないけど、それ以上に大変なことがあるじゃないか。
締切に追われて徹夜したり、原稿で頭を抱えたり。
印刷所とのやり取り、設営、会計、搬入、搬出。
やること山積みだ。
それはそれで、別の苦労があるはず。
ちょうどこの間、会社の同僚が「推しのアイドルのライブ、チケットが全然取れなくて。
でもファンクラブ限定イベントには当たったから、グッズだけは買える!
」って嬉しそうに話していた。
私も少し前まで、好きなバンドのチケット争奪戦に参戦していたから、その気持ちはよくわかる。
人気のあるものは、本当に手に入りにくい。
手に入らないと、なぜか余計に欲しくなるんだよね。
「並びたくないからサークル参加」という言葉の裏には、そういう「手に入らないことへの諦め」や「もう少し楽に、好きなものに関わりたい」という気持ちがあるのかもしれない。
何時間も並んで、やっとたどり着いた場所で「売り切れました」の貼り紙を見た時の絶望感と言ったら。
あれは本当に、心が折れる。
それが何度か続けば、「もういいや、自分で作っちゃえ」ってなる気持ちも、わからなくもない。
でもね、結局どっちもどっちなんじゃないかな、と私は思う。
一般参加は、体力と忍耐力が必要。
灼熱の太陽の下で、あるいは極寒の風に吹かれながら、ひたすら待つ。
たまに奇跡的にスムーズに流れる時もあるけれど、基本は戦いだ。
その先に、お目当てのものが待っている。
まさに修行僧のよう。
かたやサークル参加は、クリエイティブな苦悩と事務的な作業が山積み。
でも、自分の手で何かを生み出す喜びがある。
作ったものが誰かの手に渡る時の達成感は、きっと格別だろう。
それは、並んで待つこととは違う種類の喜びであり、違う種類の苦労だ。
どちらも、その対象への深い愛情がなければできないこと。
私は今、正直どちらもできそうにない。
もう何時間も外で立ちっぱなしなんて、体力が持たない。
日焼けも気になるし。
そして、何かを創作するほどの情熱も時間もない。
中学生の息子は、最近テスト勉強でちょっとイライラしているし、夫は相変わらずマイペースだし。
パートの仕事もそれなりに忙しい。
一日があっという間に過ぎていく。
でも、だからこそ、それぞれの場所でそれぞれの形で情熱を注いでいる人たちを、なんだか尊く感じるのだ。
並ぶことを厭わない人たちも、並ぶのが嫌だからと自分で生み出す道を選んだ人たちも、みんな、自分の「好き」に正直で、そこに向かって突き進むエネルギーがある。
それは、傍から見ていると、ちょっと羨ましくなるくらいのパワーだ。
そういえば、つい先日、息子が「文化祭でクラスの出し物の企画を任されちゃってさあ」と、なんだか嬉しそうに、でも少し困った顔で話していた。
私も「大変だね」と言いつつ、内心では「青春だなあ」なんて思ったりした。
彼もまた、何かを生み出す側の「サークル参加者」みたいなものだ。
締め切りに追われて、徹夜しちゃったりするのかな。
季節は、五月から六月へと移り変わろうとしている。
日差しはますます強くなり、そろそろ梅雨の気配も感じ始める頃だ。
私の体は、この季節の変わり目にいつも少しだけ調子を崩す。
肩が凝りやすくなったり、頭が重くなったり。
そんな時には、誰かの熱量に触れると、少しだけ元気をもらえる気がする。
自販機のコーヒーは、結局半分も飲まずに捨ててしまった。
もったいないけれど、あの甘さがどうしても喉を通らなかったのだ。
一口で後悔したその味は、私にとっての「並びたくない」という気持ちに少し似ているのかもしれない。
でも、また別の日に、きっと美味しいコーヒーに巡り合うだろう。
それは、また別の「好き」に出会うようなものだ。
並ぶ人も、作って並ばない人も、みんなそれぞれの場所で、それぞれの「好き」を追いかけている。
それでいいんだ。
どっちが正しいとか、どっちが楽だとか、そんなことはどうでもいい。
ただ、その情熱が、ちゃんと自分を幸せにしてくれるなら。
それだけで十分、素晴らしいことじゃないか。
私も今日一日、ささやかな「好き」を見つけながら、なんとか生きていこうと思う。
次は、ちゃんとした喫茶店で、美味しいコーヒーを飲もう。
そう心に誓った、五月の終わりの午後だった。
💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。

