隣の庭のニラと、世界の言葉と僕の舌

📝 この記事のポイント

  • 歯医者の予約をすっぽかして、受付から確認電話がきて冷や汗をかいた。
  • 思わず「え、今日でしたっけ? 」なんて間の抜けた返事をしてしまい、電話口の受付のお姉さんの声がほんの少しだけトーンダウンした気がして、さらに冷や汗が止まらない。
  • 予約帳に大きく「キャンセル料」と赤字で書かれているのが幻視できた。

歯医者の予約をすっぽかして、受付から確認電話がきて冷や汗をかいた。

思わず「え、今日でしたっけ?

」なんて間の抜けた返事をしてしまい、電話口の受付のお姉さんの声がほんの少しだけトーンダウンした気がして、さらに冷や汗が止まらない。

ああ、もう僕の信用は地の底だろうな。

予約帳に大きく「キャンセル料」と赤字で書かれているのが幻視できた。

いや、キャンセル料は取られないはずだけど、なんか精神的なものとして。

午前中のアポイントが消えたことで、ぽっかり空いた時間をどう過ごそうか。

ちょうど妻が「戸棚の奥に眠ってるあれ、フリマアプリに出してくれない?

」と言っていたのを思い出した。

あれ、というのは、僕が独身時代に買った、ちょっといい値段がした割に数回しか使わなかったコーヒーメーカーだ。

やけに存在感を放つメタリックなボディが、今の我が家の落ち着いた雰囲気にはまるで合わない。

いっそ粗大ゴミに出そうかと話していた矢先だった。

よし、出品するぞと意気込んで、写真を撮るために戸棚を開けた。

埃をかぶったソレを引っ張り出し、きれいに拭き上げてから光の当たる場所で何枚か撮影。

うん、我ながらよく撮れた。

少しでも高く売れますようにと祈るような気持ちで、説明文を打ち込んでいく。

「デザインに一目惚れして購入しました。

数回使用しましたが、その後は大切に保管しておりました。

引っ越しを機に出品します。

本格的なコーヒーが楽しめますよ!

」なんて、ちょっと盛った表現を混ぜつつ、心を込めて入力。

これで売れるはずだ。

すぐに誰かが買ってくれるに違いない。

そう、期待に胸を膨らませて「出品」ボタンをタップした。

ものの数分で通知が鳴り、さっそく「いいね!

」がついた。

これは幸先がいい。

さらに数分後、また通知。

今度は「コメント」だ。

やった!

質問が来たぞ!

喜び勇んで画面を開くと、そこに表示されていたのは、見慣れない文字の羅列だった。

「안녕하세요! 이 커피 머신은 아직 판매 중인가요?」…え?

何語?

一瞬フリーズした。

韓国語だ。

かろうじて「アンニョンハセヨ」だけは聞き取れるが、その先はまったく分からない。

もしかして、翻訳アプリを使えばいいのか?

慌てて別のアプリを立ち上げ、その韓国語のコメントをコピペして翻訳してみた。

「こんにちは!

このコーヒーマシンはまだ販売中ですか?

」ああ、なるほど。

つまり、買ってくれるってことか!

そうか、最近は海外の人もフリマアプリを使うんだな。

これは国際交流だ!

すごいぞ、僕のコーヒーメーカー、世界へ羽ばたくのか!

僕は意気揚々と、翻訳アプリで「はい、まだ販売中です。

ご興味をお持ちいただきありがとうございます!

」と日本語を入力し、それを韓国語に翻訳して返信した。

完璧だ。

これでスムーズに取引が進むだろう。

僕の国際的な商売人としてのキャリアが、ここから始まるのかもしれない。

期待に胸が膨らむ。

まさか、歯医者のすっぽかしから、こんな展開になるとは。

人生、何が起きるかわからないものだ。

しかし、その後のやり取りは、僕の期待を鮮やかに裏切っていった。

「이 커피 머신은 어떤 기능을 가지고 있나요?」
「サイズはどのくらいですか?


「保証はありますか?


次々と質問が飛んでくる。

そして、その度に僕は翻訳アプリを行ったり来たり。

一度や二度ならまだしも、商品の細かな仕様や配送方法、支払い方法に至るまで、かなり綿密な質問が続いた。

まるで、デパートの店員になった気分だ。

いや、それ以上かもしれない。

日本の顧客相手なら、せいぜい「いくらになりますか?

」とか「値下げできますか?

」くらいなのに。

彼女は本当に熱心だった。

「このコーヒーメーカーの電源プラグは、お住まいの国で使えますか?


「電圧は大丈夫ですか?


さらには、専門的な質問まで。

僕は慌てて説明書を引っ張り出し、プラグの形状や電圧の情報を調べ、翻訳アプリで文章を作成する。

何度も何度も、日本語と韓国語を往復し、誤解がないように慎重に言葉を選んだ。

これは、もう、コーヒーメーカーを売るというより、国際的な交渉だった。

しかも、相手の質問の意図を汲み取ろうと、いつも以上に集中力を要する。

正直なところ、だんだん面倒になってきた。

最初は「国際交流だ!

」と浮かれていたけれど、このペースでやり取りが続けば、一週間はかかりそうだ。

そして、最終的に「検討します」とか言われて、買わない、なんてオチもありうる。

僕の心の中で「まあ、いいか」という諦めが芽生え始めた。

結局、そのやり取りは丸一日続いた。

そして、夜になって、ついに彼女は「今回は見送らせていただきます。

丁寧なご対応ありがとうございました。

」と、丁寧な韓国語でメッセージを送ってきた。

うん、やっぱりか。

やっぱり買わなかったか。

正直、ほっとした気持ちと、少しばかりの徒労感が混じり合った。

国際的な商売人への道は、どうやらまだ遠いらしい。

僕は、結局、コーヒーメーカーを元の戸棚の奥に戻した。

数日後、日本のユーザーさんがパッと買ってくれたのは、また別の話。

でも、この経験は、意外と悪くなかった。

僕が住むこの街は、妻の実家がすぐ近くということもあって、近所付き合いが結構密だったりする。

隣の奥さんとは、ゴミ出しのついでに立ち話をして、庭で採れたらしいニラを分けてもらったりする。

「これ、美味しいのよ、ニラ玉にすると最高!

」なんて、日本語で話していると、当たり前だけど、言葉の壁なんて感じない。

ただ、最近、少しずつこの街も変わってきているのを感じる。

駅前の八百屋さんには、以前はなかった外国の野菜が並ぶようになったし、小さな商店街にも、僕の知らない国の言葉を話す店員さんが増えた。

スーパーでレジを待っていると、後ろから聞こえてくる会話が、日本語じゃないこともしばしば。

最初は少し戸惑った。

何を話しているんだろう、僕たちの悪口じゃないだろうか、なんて、変な被害妄想にとらわれたりもした。

でも、ある日、いつものようにスーパーのレジで並んでいると、僕の前に並んでいた外国人の女性が、カゴいっぱいの食材を落としてしまったんだ。

コロコロと転がるリンゴやトマト。

咄嗟に僕は、日本語で「あっ!

」と声を上げ、一緒に拾い始めた。

彼女は、少し驚いた顔をして、でもすぐにニコッと笑って、僕には分からない言葉で何か言った。

たぶん、「ありがとう」って意味だったんだろう。

僕も「大丈夫ですよ」と日本語で返し、お互いに笑顔で頷いた。

言葉は通じなくても、心は通じるんだな、と、その時妙に納得した。

翻訳アプリで四苦八苦したあのフリマアプリのやり取りとは、全然違う感覚だった。

結局のところ、僕のコーヒーメーカーが世界へ羽ばたくことはなかったし、僕が突然、色んな国の言葉をペラペラ話せるようになるわけでもない。

でも、それでいいのかもしれない。

世の中には、便利なツールがたくさんあって、言語の壁なんてあっという間に取り払われる時代になっていくのかもしれない。

遠い国の誰かと、まるで隣人かのように、同じ言葉で話せるようになる日も来るだろう。

それは、きっと素晴らしいことだ。

僕がフリマアプリで体験したように、最初は少し戸惑うかもしれないけれど、新しい世界が広がるはずだ。

ただ、その一方で、言葉が通じないからこそ生まれる、あの独特の距離感や、お互いの察し合い、そして笑顔で分かり合える瞬間の温かさも、きっとなくならないんだろうな。

歯医者の予約をすっぽかして、結局コーヒーメーカーは海外に売れず、隣の奥さんからニラをもらって、スーパーで知らない言葉の人と笑顔を交わす。

人生なんて、そんなもんだ。

期待通りにはいかないし、回り道ばかり。

でも、その回り道で、意外と素敵なものに出会えたりする。

そして、僕らはきっと、これからも変わらず、それぞれの言葉で、それぞれの日常を、それぞれの方法で、生きていく。

それで十分だ。

とりあえず、今夜はもらったニラで、妻とニラ玉を作ろうかな。


💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。

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