鍵の置き場所とフェスのクローク、どちらも神のシステムかもしれない話

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📝 この記事のポイント

  • 帰宅したら、同じ建物の別の部屋のドアを開けようとしていた。
  • ポケットから取り出した鍵を差し込み、カチャカチャと回してみるものの、当然ながら鍵穴はうんともすんとも言わない。
  • いや、鍵穴は別に喋るわけではないのだが、とにかく開かない。

帰宅したら、同じ建物の別の部屋のドアを開けようとしていた。

ポケットから取り出した鍵を差し込み、カチャカチャと回してみるものの、当然ながら鍵穴はうんともすんとも言わない。

いや、鍵穴は別に喋るわけではないのだが、とにかく開かない。

おかしいな、と首を傾げたところで、ようやく隣のドアに目をやった。

ああ、こっちが我が家か。

もう何度目のことだろう、この失態。

どうにも最近、こういう小さなドジが増えたような気がする。

これも歳のせいだろうか、いや、昔から結構やらかしていた。

人間、そう簡単に変わるものではない。

定年してからというもの、すっかり毎日が日曜日で、規則正しい生活とは縁遠い。

朝は太陽が昇れば起き、日が暮れれば寝る。

そんな原始人みたいな生活を送っている。

若い頃は「毎日同じ時間に電車に乗って、同じ時間に会社に着く」というのが、どうにも窮屈で仕方なかったけれど、いざ自由になってみると、それはそれで困るものだ。

何せ、約束が減る。

誰かに「何時にどこで」と決められないと、人間は案外テキトーになってしまう生き物なのだ。

もちろん、趣味の釣り仲間との待ち合わせや、妻との買い物デート(と勝手に私が呼んでいる)なんかは、きちんと時間通りに行く。

むしろ、ちょっと早めに着いて、店先のベンチで人間観察をするのが密かな楽しみだったりする。

先日も、朝から釣りに行く約束をしていた。

午前五時、〇〇港の防波堤。

こんな早朝にもかかわらず、なぜか前夜の晩酌が弾んでしまい、気がつけば日付が変わっていた。

いや、正確には日付が変わったどころか、午前二時を回っていたのだ。

慌てて時計を見直して、思わず「あちゃー」と声が出た。

これは完全に寝坊コースだ。

枕元に置いていた目覚まし時計を、万が一に備えて二つセットしていたはずなのだが、なぜか両方とも鳴った記憶がない。

いや、鳴ってはいたのだろう。

しかし、私の意識の奥底にある「もう少し寝たい」という強い願望が、その音を都合よく遮断してしまったに違いない。

人間とは、なんと業の深い生き物だろうか。

結局、友人には平謝り。

彼は「まあ、いつものことだから気にすんな」なんて言ってくれる優しい男なのだが、それがまた私の罪悪感を刺激する。

こんな調子だから、昔からよく妻にも「あなたは約束を破る天才ね」なんて言われていたっけ。

でも、さすがにフェスの運営さんに「いつものことだから」なんて許してもらえるはずもない。

フェス、といえば、先週、孫に誘われて生まれて初めて「ロックフェス」というものに行ってきたのだ。

会場は人でごった返していて、普段、静かな防波堤で竿を垂らしている私には、ちょっとしたカルチャーショックだった。

若者たちの熱気に包まれ、耳をつんざくような爆音。

最初は「これは一体、何の罰ゲームだろう」なんて思っていたのだが、孫が楽しそうに飛び跳ねている姿を見ていると、なんだか私も楽しくなってきて、気がつけばリズムに合わせて体を揺らしていた。

まるで、大漁のイワシの群れが跳ねているような、そんな躍動感。

まあ、私の場合は、イワシというよりは、ちょっと古びたコイが浅瀬で藻掻いているような動きだったかもしれないけれど。

そこで目にしたのが、会場のあちらこちらに散乱する荷物の山だった。

タオルや上着、飲みかけのペットボトルなんかが、まるでゴミのように床に転がっている。

これでは人が通るたびに蹴散らされるし、何より危ない。

それに、この荷物が「ここは私の場所よ!

」なんて主張しているようにも見える。

なるほど、これはいわゆる「場所取り」というやつだろうか。

釣りの防波堤でも、たまに置き竿で場所取りをする人がいるけれど、フェスは桁違いの規模だ。

そんな状況を、腕を組みながら眺めていると、一台のカートがゆっくりと近づいてきた。

カートを押していたのは、会場スタッフらしき若い女性と男性。

彼らは床に放置された荷物を、黙々とカートに回収していく。

まるで、潮が引いた後の海岸で、漂着物を拾い集める人のようだ。

いや、彼らの表情はもっとキリッとしていたから、漁師が網を上げている瞬間の、あの真剣さに近いだろうか。

そして、回収された荷物には、小さな札がつけられていく。

孫に「あれは何をしているんだい?

」と尋ねてみたら、「ああ、あれはクロークに持っていくんだよ。

後で取りに行く時に1,000円払うんだ」と教えてくれた。

なるほど、1,000円か。

つまり、床に放置された荷物は、問答無用で回収され、預かり所に運ばれ、持ち主が取りに来る際には「クローク利用料」として1,000円を支払わなければならない、というシステムらしい。

これには、ちょっと感心してしまった。

危険防止にもなるし、場所取り対策にもなる。

しかも、利用料を徴収することで、運営側にはコスト回収と利益が発生する。

一石三鳥どころか、四鳥、五鳥くらいの効果があるのではないだろうか。

「これはまさに『神のシステム』だね」と、つい口から漏れた。

孫は「おじいちゃん、そんなこと言うんだ」と、ちょっと驚いた顔をしていたけれど、私にとっては本当に目から鱗が落ちるような発見だったのだ。

私の日常にだって、こんな「神のシステム」があれば、もう少し約束を守れるようになるかもしれない、なんて思ったものだ。

例えば、朝寝坊したら、自動的に冷蔵庫からプリンが没収されて、妻が美味しくいただいてしまうとか。

いや、それはちょっと悲しすぎるか。

このフェスのシステムを目の当たりにしてから、私の頭の中には、どこかで見た「忘れ物回収費用」のことが浮かんだ。

たとえば、電車の中に傘を忘れて、後日取りに行ったら、保管料として数百円を請求された、なんて話を聞いたことがある。

あれも、きっと「忘れ物をさせない」という注意喚起と、「保管にかかる手間賃」という両方の意味合いがあるのだろう。

世の中には、こうして私たちの「うっかり」や「だらしなさ」を、うまく仕組みの中に組み込んで、秩序を保とうとする知恵が溢れているのだなあ、と改めて感じた次第だ。

しかし、自分の家の鍵を隣のドアに差し込もうとする行為には、いくら探しても「システム」らしいものは見当たらない。

あれは完全に私の脳味噌のバグとしか言いようがない。

いや、もしかしたら、あれもまた、私の日常に静かな笑いを添えるための、ある種の「神のシステム」なのかもしれない。

だって、もし毎回すんなり家に辿り着けたら、こんな他愛もない話も、このエッセイで書くことはできなかったのだから。

そう考えると、自分のドジさえも、少し愛おしく思えてくる。

人間、いくつになっても、どこか抜けているくらいがちょうどいいのかもしれない。

そう、フェス会場の片隅で、ちょっと腰をフリフリしていた私のように。


💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。

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