📝 この記事のポイント
- エレベーターで乗り合わせた人と気まずい沈黙が続いて、降りるのが早まった。
- うちのマンションのエレベーターは、なぜか壁が鏡張りになっている。
- 自分の顔の毛穴までくっきり見えるあの鏡は、きっと設計士の悪意か、あるいは「自分と向き合え」という哲学的なメッセージなのかもしれない。
エレベーターで乗り合わせた人と気まずい沈黙が続いて、降りるのが早まった。
うちのマンションのエレベーターは、なぜか壁が鏡張りになっている。
自分の顔の毛穴までくっきり見えるあの鏡は、きっと設計士の悪意か、あるいは「自分と向き合え」という哲学的なメッセージなのかもしれない。
どちらにせよ、私は毎朝、その鏡に映るちょっと疲れ気味の自分と、そして見知らぬ誰かと、無言の対峙を強いられている。
先日、いつものように朝食の準備をしながら、何気なくテレビをつけていた。
朝の情報番組、コメンテーターの軽妙なトークの合間に、ふと目にしたのが、お笑い芸人さんの顔写真だった。
その写真には、大きく「おい!
」という吹き出しが添えられている。
どうやら、その芸人さんがかつて出演した映画の公式アカウントが、その顔を大喜利の素材として採用した、という話らしい。
なんだかよく分からないけれど、画面の向こうで出演者たちが爆笑している。
私も、つられて口元が緩んだ。
「おい!
」か。
私も日常の中で、心の中でこのフレーズを叫ぶことが、何度かある。
それはたいてい、自分自身に対して、だったりする。
例えば、冷蔵庫の前で固まってしまい、結局何も決められずに扉を閉めてしまう時。
あるいは、読みかけの本をソファに置きっぱなしにして、別室で違う本を手に取ってしまう時。
そのたびに、もう一人の自分が私の脳内で、深くため息をつきながら「おい!
」とツッコミを入れている。
昔の私は、もっと何事にも計画的で、一貫性があったように思う。
二十代の頃は、カバンの中身も常に整理整頓されていたし、週末の予定は一週間前には決まっていた。
朝食は必ずパンとコーヒーと決めていたし、服も前日の夜にコーディネートを組んでから寝ていた。
完璧主義、とまではいかないけれど、少なくとも自分の中で「こうあるべき」というルールをしっかり持っていたような気がする。
それがいつからだろう。
三十代を過ぎたあたりから、だんだん「まあ、いっか」が増えてきた。
カバンの中には、なぜか去年の秋に食べたミント味の飴の包み紙が紛れ込んでいたり、読みかけの本が四冊同時に進行していたり。
特にひどいのは、週末の予定だ。
金曜の夜に「よし、明日はあれをやろう!
」と意気込むものの、土曜の朝、目が覚めると同時にその決意は風前の灯火。
午前中いっぱいはうだうだして、結局夕方になって「あれ?
今日は何もしなかったな」とぼんやり思う。
これもまた、心の中の私が「おい!
」と叫ぶ瞬間の一つだ。
昔の自分と今の自分を比べて、大きく変わったのは、「完璧」を目指すことを諦めた、という点かもしれない。
昔は、全てをきっちりこなせないと、なんだか自分がダメな人間のように思えていた。
ちょっとした失敗でも、いちいち反省し、次こそはと意気込んでいた。
でも、ある程度の年齢になると、完璧なんて幻想だということに気づく。
人間、少しくらいだらしなくても、地球は回るし、明日は来る。
そう思うと、肩の力がすっと抜けた。
変わったことといえば、他にもたくさんある。
例えば、昔は人前でくしゃみをすると、なんだか恥ずかしい気がして、必死に抑え込んでいた。
でも今は、「へっくしょん!
」と堂々と大音量でくしゃみをする。
なんなら、その後「あー、すっきりした!
」と独り言まで言ってしまう。
もちろん、周りに人がいなければ、の話だけど。
スーパーのレジで小銭を出すのに手間取っても、昔ほど焦らなくなった。
むしろ、「あれ、どこ行ったかな」なんて言いながら、のんびり探したりする。
これも、心の中の私が「おい!
」と叫ぶ光景の一つかもしれない。
でも、変わらないことも、もちろんある。
例えば、読書への情熱。
昔から、本だけは飽きずに読み続けている。
読むジャンルや作家の好みは少しずつ変化したけれど、本を開いている時のあの静かで豊かな時間は、何にも代えがたい。
本屋さんに行くと、まるで宝探しでもしているかのように、時間を忘れて棚と棚の間をうろうろしてしまう。
気づけば、予定になかった文庫本を何冊も抱えてレジに向かっていたりする。
これもまた、心の中の私が「おい!
」と叫ぶ瞬間だ。
もう一つ、変わらないのは「やろうと思ってできないこと」の多さだ。
例えば、部屋の片付け。
いつも「今日はここを徹底的にやるぞ!
」と決意するものの、いざ手をつけ始めると、途中で昔のアルバムが出てきたり、懐かしい手紙を見つけたりして、手が止まってしまう。
結局、思い出に浸っているうちに時間が過ぎて、片付けは中途半端なまま、なんてことがしょっちゅうだ。
あとは、運動習慣。
マンションのジムに入会して、最初の頃は意気揚々と週に三回通っていたけれど、最近は月に一度行けばいい方だ。
会費だけは律儀に引き落とされているのに。
これもまた、私の心の中の「おい!
」案件だ。
毎回、「今日は行こうかな、いやでも疲れてるし、明日にしよう」という葛藤が繰り広げられる。
そして大抵、明日に持ち越され、その明日もまた同じことの繰り返し。
そんな私だけれど、最近、ちょっとした変化があった。
スーパーで買い物をする時、以前は「今日の夕食は何にしよう」と献立をしっかり決めてから、必要なものをカゴに入れていた。
それが最近は、売り場で「あ、これ美味しそう」「今日は魚の気分だな」と、その場の直感で食材を選ぶようになった。
結果的に、冷蔵庫に似たような食材が二日続けて並んだり、予定外のものが増えて、予算オーバーになったりすることもあるけれど、なんだかそれが楽しい。
先日も、いつもは買わない高級な果物を見つけて、思わずカゴに入れてしまった。
一粒800円のシャインマスカット。
レジで会計を済ませながら、心の中で「おい!
」とツッコミを入れたけれど、なんだか気分は高揚していた。
家に帰って、丁寧に洗って口に放り込むと、瑞々しい甘さが口いっぱいに広がった。
ああ、買ってよかった、と心から思った。
たまには、衝動的な「おい!
」も悪くない。
きっと、あのテレビで見た芸人さんの「おい!!!」も、多くの人にとって共感できる、日常のちょっとしたズレや可笑しさを表現しているのだろう。完璧ではないけれど、どこか愛おしい、そんな人間の不完全さを。
私もまた、これからもきっと、自分のだらしなさや、やろうと思ってできないことに、心の中で「おい!
」とツッコミを入れ続けるだろう。
でも、それでいいのだ。
それが私なのだから。
そして時々、一粒800円のマスカットのように、衝動的な「おい!
」に身を任せて、ささやかな喜びを見つけるのも悪くない。
きっと、人生とはそういうものなのかもしれない。
エレベーターの鏡に映る、ちょっとばかりおとぼけ顔の自分に、私はそっと微笑んでみた。
今日も一日、頑張ろう。
あるいは、頑張らなくても、まあいっか。
💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。
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