📝 この記事のポイント
- 図書館で借りた本の返却期限が過ぎていて、延滞金を払う羽目になった。
- 貸出カードを出すと、カウンターのお姉さんが「お客様、こちらの絵本、3日過ぎてまして…」と申し訳なさそうに言う。
- 先日、友人の子どもが遊びに来て、その子が夢中になってた『こねこのぴっち』シリーズの最終巻。
図書館で借りた本の返却期限が過ぎていて、延滞金を払う羽目になった。
三連休明けの月曜日、朝イチで図書館へ。
貸出カードを出すと、カウンターのお姉さんが「お客様、こちらの絵本、3日過ぎてまして…」と申し訳なさそうに言う。
絵本。
そう、絵本。
別に私自身が読むわけじゃない。
先日、友人の子どもが遊びに来て、その子が夢中になってた『こねこのぴっち』シリーズの最終巻。
これがもう、何度読んでも飽きないらしく、結局返却期限ギリギリまで粘って読み聞かせをしてたのだけど、すっかり忘れてた。
私の頭の中では、友だちの子どもが帰った時点で「本を返した」ことになっていたらしい。
脳って勝手に記憶を書き換えるから困る。
延滞金、まさかの80円。
たった80円なのに、なんかめちゃくちゃ罪悪感。
コンビニで缶コーヒー1本買えるじゃないか。
いや、最近の缶コーヒーはもうちょっと高いか。
あ、そういえば、この前スーパーで見かけた、ちょっといい豆を使ったっていうレギュラーコーヒー、あれも確か200円くらいだったな。
今度買ってみようかな。
そんなことを考えていたら、ふとスマホのニュースアプリの通知が目に入った。
宮内庁が公開したという、悠仁さまが蹴鞠を体験されているお写真。
わあ、これ、すごい!
と思わず声を出しそうになった。
いやもう、本当に似合いすぎ。
あの、平安貴族みたいな、あの独特の格好。
狩衣(かりぎぬ)っていうんだっけ?
あの、ゆったりしたシルエットと、烏帽子(えぼし)をかぶっていらっしゃる姿が、なんというか、こう、妙にピタッときている。
まるで、タイムスリップしてきたみたいというか、むしろこれが本来の姿なのでは?
とさえ思ってしまうほど。
いや、本当にさ、写真見た瞬間、「え、マジ?
CGじゃないの?
」って本気で疑ったもん。
それくらい違和感がなくて。
なんか、こう、ご先祖様から脈々と受け継がれてきた「貴族のDNA」みたいなものが、どわーっと花開いた瞬間を見た気がした。
蹴鞠って、平安時代に貴族のたしなみとして流行ったらしいじゃない?
優雅に鞠を蹴り上げて、落とさないようにパスし合うっていう。
それも、ただ蹴るだけじゃなくて、鞠が地面に落ちないように、いかに美しく、優雅に、そして長く続けるかが重要だったとか。
なんか、今のフットサルとかサッカーとは全然違う、独特の美学があるんだよね。
それで、その写真を見てたら、なんか私の中の「古の何か」がざわめき出したんだよね。
ああ、なんかこの感じ、わかる気がする!
って。
いや、別に私は平安貴族の血を引いているとか、そんな高貴な家柄だとか、夢にも思ったことはないし、むしろごくごく庶民の、いや、庶民の中でもさらに末席くらいの、しがない在宅ワーカーなわけだけど。
でも、人間って、脈々と受け継がれてきた遺伝子とか、そういうのってあるじゃない?
たとえば、別に家系が漁師だったわけでもないのに、魚介類には目がないとか。
祖母がすごい倹約家だったから、私もついスーパーで半額シールを探しちゃうとか。
そういう、なんか、自分では意識してないけど、根っこにある「性(さが)」みたいなもの。
私の場合は、なんだろう?
って考えてみた。
そういえば、うちの猫たち。
ミケとサビ。
この子たち、やたらと紐とか棒とか、ヒラヒラしたものが好きで、見つけると目をキラキラさせて飛びつくんだよね。
特にミケなんて、私がちょっとした袋の取っ手とか、包装紙についてるリボンとかを、何気なく床に置いておくと、一瞬で「獲物だ!
」って顔になって、狩猟本能丸出しで飛びかかってくる。
そして、ものすごい勢いでブンブン振り回して、最後はボロボロにして満足げな顔をしてる。
その姿を見てると、「ああ、あんたもそうやって、遠い昔、野山を駆け巡ってたんだねぇ…」なんて、ちょっとしんみりしたりする。
そして、そのミケの姿が、蹴鞠に興じる悠仁さまの姿と、なぜか私の脳内で重なったんだよね。
いや、全然違うだろ、って自分でもツッコミを入れたけど、あの「血が騒ぐ」感じ、なんだか通じるものがあるような気がして。
それで、気になっちゃって。
蹴鞠って、具体的にどういうルールなんだろう?
って。
スマホで検索してみたんだよね。
そしたら、やっぱりというか、現代のスポーツとは一線を画する、雅(みやび)な世界が広がっていた。
鞠の重さとか、革の素材とか、蹴り方にもちゃんと作法があって。
「アリ」「ヤァ」「オウ」っていう掛け声があるらしい。
なんか、かっこいい。
しかも、鞠を落とさないように蹴り続けることを「鞠を繋ぐ」って表現するんだって。
なんか、それだけでもう、風流さが半端ない。
さらに調べていくと、蹴鞠って、単なる遊びじゃなくて、神事と結びついていたり、人間関係を円滑にするためのコミュニケーションツールとしても機能していたらしい。
鞠が落ちないようにみんなで協力する中で、一体感が生まれる。
いやあ、奥が深い。
そして、そういう背景を知ると、悠仁さまのお姿がより一層「本物」に見えてくるから不思議だ。
私にも、そういう「血が騒ぐ」瞬間ってあるのかな?
って考えたんだけど、やっぱり私の中にも「先祖の血」が脈々と流れていると思うんだよね。
それが、例えば、妙に古民家カフェが好きだったり、畳の部屋でゴロゴロするのが至福の時間だったり、あとは、やたらと古い着物とか骨董品とかに惹かれたりする、あの感覚。
あれって、きっと、遠い昔の誰かの記憶が、私の遺伝子の中に残ってるんじゃないかなって。
私の「古の何か」は、どうも「ものづくり」に強く反応するらしい。
別に特別な才能があるわけじゃないけど、なんか、こう、指先を動かして何かを生み出す作業が好きで。
小学生の時とか、やたらと編み物とか刺繍とかにハマってたし、今も、たまに気分転換にビーズアクセサリーを作ったりする。
で、先日、ふと立ち寄った雑貨屋さんで、手毬のキットを見つけちゃって。
なんか、色とりどりの刺繍糸で、ちっちゃな鞠を作るやつ。
それを見た瞬間、「あ、これだ!
」って思ったんだよね。
手毬って、蹴鞠とは違うけど、あれもまた日本の伝統的な遊びであり、工芸品じゃない?
美しい幾何学模様を、ひたすら針と糸で縫い上げていく作業。
それを見た瞬間、なんだか私の遺伝子が「キター!
」って叫んだ気がしたんだ。
しかも、そのキット、めちゃくちゃ難しそうで、説明書も細かい字でぎっしり。
完成までめちゃくちゃ時間かかりそうだし、絶対途中で挫折しそうな気もしたんだけど、なんかもう、どうしても作りたくなっちゃって。
勢いで買って帰ってきたものの、結局まだ手をつけてないんだけど。
でも、たぶん、あれをチクチク縫い始めて、「あー、もう無理!
」って投げ出したくなるくらいの集中と、そして「あ、これ、できた!
」って満足感を得る、その過程自体が、きっと私にとっての「蹴鞠」みたいなものなんだろうな、って思った。
そういえば、猫のミケも、よく私がおもちゃで遊んであげてる最中に、突然ものすごい集中力を見せて、獲物を追いかけるモードに入る瞬間がある。
その時の目の輝きとか、耳をピクッと立てる仕草とか、全身からほとばしる「本気」のオーラ。
あれを見ていると、きっとミケの中の「狩人」の血が騒いでいるんだろうな、って思う。
そして、そのミケが、私が買った手毬のキットの箱を、どうやら「新しい遊び道具」だと思って狙っている。
私がちょっと席を外した隙に、箱の隅っこをカリカリ齧ろうとしてるのを、何度か目撃した。
いやいや、それ、私の「血脈」が騒いで買ってきちゃったやつだから!
って、慌てて取り上げたりしてる。
結局、私の日常は、図書館の延滞金を払うくらいにはドジだし、猫にいたずらされるし、買ったばかりのキットはまだ手つかずだし、悠仁さまのように優雅に蹴鞠を嗜むわけでもない。
なんなら、鞠を蹴るどころか、うっかり自分の足の小指を柱にぶつけて「イテテ!
」ってなるのが関の山だろう。
でも、なんか、こう、自分の内側で「これ、好き!
」とか「なんか気になる!
」って思う、その衝動みたいなものは、遠い昔から受け継がれてきた「血」の叫びなのかもしれないな、なんて、ちょっと壮大なことに思いを馳せてみたりする。
そして、今日も今日とて、ミケは私の膝の上で「グルルル…」と喉を鳴らしながら、私が手慰みにいじっている髪ゴムを狙っている。
彼女の瞳には、狩りの炎が燃え盛っている。
ああ、この子もまた、小さな「蹴鞠」に夢中なのだな、と。
そんなことを考えながら、私はそっと髪ゴムを猫の目の前から隠すのだった。
だって、これは私のものだし、そのうちまた、どこかの延滞金を払う羽目になったりするかもしれないから、大事にしないとね。
💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。
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