📝 この記事のポイント
- エレベーターで乗り合わせた人と気まずい沈黙が続いて、降りるのが早まった。
- ただ、マンションの3階から12階までのわずかな時間、お互い目線を合わせないように天井を仰いだり、フロア表示を睨んだりするあの雰囲気に耐えられなかったのだ。
- 結局、私は自分の部屋の3つ手前の階で降りて、何食わぬ顔で非常階段を上った。
エレベーターで乗り合わせた人と気まずい沈黙が続いて、降りるのが早まった。
別に急ぐ用事があったわけじゃない。
ただ、マンションの3階から12階までのわずかな時間、お互い目線を合わせないように天井を仰いだり、フロア表示を睨んだりするあの雰囲気に耐えられなかったのだ。
結局、私は自分の部屋の3つ手前の階で降りて、何食わぬ顔で非常階段を上った。
無駄な労力と、ほんの少しの罪悪感。
こういう小さな日常の「あるある」が、私の生活には満ちている。
昔の私は、もう少し積極的だった、と思う。
いや、もっと正確に言えば、「積極的であろうと努力していた」のだ。
読書と映画は昔から好きだったけれど、それ以外にも「何か新しいことを始めよう」という意欲だけは旺盛だった。
例えば、陶芸教室に通ってみたり、水彩画を習ってみたり、週に一度はヨガスタジオの体験レッスンに顔を出してみたり。
どれもこれも、三日坊主ならぬ「三週間坊主」で終わってしまった。
道具だけは一丁前に揃えて、結局、押し入れの肥やしになっている陶芸用の電動ろくろは、見るたびに私の挑戦と挫折の歴史を物語っている。
あれ、マンション暮らしにはどう考えても不向きだったのに、なぜあの時の私は「これで自宅で素敵な器が作れる!
」と信じ込んでいたのだろう。
あの頃の自分に小一時間問い詰めたい気分になる。
それが今やどうだ。
何かを「始める」ことよりも、「やらない」ことの方が得意になってしまった。
昔は気になっていたカフェの限定メニューも、行列を見れば「また今度でいいか」とすぐに諦める。
映画館で新作を観るのも面倒で、結局、自宅のソファでサブスクの旧作を漁っている。
そんな私が、なぜか突然「ドラゴンボール」を読み始めたのだから、人生は何が起こるか分からない。
きっかけは、友人の何気ない一言だった。
「え、あんた、ドラゴンボール読んでないの?
人生損してるよ」と。
私は、ジャンプ黄金期をリアルタイムで過ごした世代ではあるけれど、なぜかドラゴンボールだけはまともに読んだことがなかった。
連載当時は、どうも絵柄が苦手で、筋骨隆々とした男たちが「かめはめ波ー!
」とか叫びながら戦っているのを横目で見ては、「また始まったよ」と冷めた目でスルーしていたものだ。
世間を賑わせた「フリーザ様」や「セル」といった名前は知っていたし、悟空がスーパーサイヤ人になるシーンの衝撃も、なんとなく雰囲気で分かっていたけれど、それがどれほどのものなのか、具体的なストーリーは全く知らなかった。
完全に「食わず嫌い」というやつだ。
友人の言葉に背中を押され、半信半疑で電子書籍で読み始めたのが数週間前。
最初のうちは、悟空がやたらと「おら、ワクワクすっぞ!
」と言っているのを聞いて、「ん?
この漫画、本当に面白いの?
」と訝しんでいた。
絵柄もやっぱり、ちょっとゴツいな、なんて思いながら。
それが、サイヤ人襲来あたりから雲行きが怪しくなってきた。
ベジータとナッパの登場だ。
特にベジータの、あの高慢ちきな物言いは、なんというか、妙に人間くさくて、ついつい続きを読んでしまう。
そして、ナメック星編、フリーザ登場。
ここからの展開が、まさにジェットコースターだった。
フリーザ様、いや、もう「様」をつけずにはいられない。
彼の圧倒的な強さと、残虐性、そして時折見せる小物感が、なんとも言えない魅力を放っている。
部下を容赦なく殺したり、星を破壊したりする一方で、自分の身長を気にして第三形態に変身した時に「美しいでしょう?
」と問いかけるあのシーンには、思わず吹き出してしまった。
悪役なのに、どこかコミカルで、憎めない。
いや、憎むべき敵なんだけど、なぜか目が離せない。
読み始めたら最後、もう止まらなかった。
スーパーのレジで並んでいる時も、洗濯機が止まるのを待っている間も、風呂に入っている時でさえ、防水パックに入れたスマホで読み進めていた。
あの頃の私なら、きっと「こんなに夢中になるなんて、時間がもったいない」とか言って、すぐに飽きていたことだろう。
それが、50代になって、まさか少年漫画にこれほど熱中するとは。
我ながら、人生って面白い。
気がつけば、フリーザ編のクライマックス。
悟空がスーパーサイヤ人に覚醒する瞬間だ。
あの、怒りとともに髪が逆立ち、金色のオーラを纏うシーン。
それまで何度も、悟空が窮地に追い込まれるたびに「早く覚醒しないのかね?
」とやきもきしていた私にとって、あのカタルシスは想像以上だった。
漫画を読みながら、思わず「うわーっ!
」と声を出してしまった。
隣の部屋の人に聞こえていなければ良いが。
あの瞬間、私の心の中で何かが弾けた。
「これは、少年漫画のエポックメイキングにほかならないな」
本気でそう思った。
それまで私は、少年漫画というのは、友情・努力・勝利といった単純な方程式で成り立っているものだと、どこか斜に構えて見ていたのかもしれない。
だが、ドラゴンボールのフリーザ編は、それだけでは語れない深みがあった。
登場人物たちの成長、葛藤、そして理不尽なまでの強敵との戦い。
そこには、普遍的なテーマが詰まっている。
読書や映画で様々な物語に触れてきたつもりだったが、まさか少年漫画にここまで感情を揺さぶられるとは。
私の凝り固まった固定観念が、音を立てて崩れていくのを感じた。
この年になっても、新しい発見があるというのは、なんとも喜ばしいことだ。
昔の私は、流行には敏感で、何かと新しいものに手を出していたけれど、結局は上っ面をなぞるだけで終わっていた。
それが今、50を過ぎて、それまで全く興味のなかった「ドラゴンボール」という、ある意味で「昔からそこにあったもの」の真髄に触れて、心底感動している。
これは、私の中で変わったこと、いや、変化したというよりは、ようやく「素直になれた」ということなのかもしれない。
もちろん、変わらないこともある。
いや、むしろ変わらないことの方が多い。
例えば、部屋の隅に山積みになった、いつか読もうと思っている本のタワー。
あれは一向に崩れる気配がない。
先日、友人に「積ん読が趣味なんだ」と自慢げに話したら、「それは趣味じゃなくて、ただの怠惰だよ」とバッサリ斬られた。
まあ、その通りなんだけれど。
そして、エレベーターでのあの気まずい沈黙も、きっとこれからも私を悩ませ続けるだろう。
次に同じ状況になったら、私はまた一つ前の階で降りて、何食わぬ顔で非常階段を上るに違いない。
そういう、ちょっとした臆病さや、面倒くさがりなところは、きっと一生変わらないのだろう。
でも、それでいい、と今は思う。
完璧じゃなくていい。
相変わらず三日坊主で、積ん読を増やし、エレベーターの沈黙に耐えられない私だけれど、ふとしたきっかけで、昔の自分では見向きもしなかった「フリーザ様」の魅力に気づき、少年漫画の奥深さに感動できる。
そんな、ちょっとした発見や感動があれば、日々のささやかな不完全さも、案外悪くないものだ。
むしろ、そういう余白があるからこそ、意外な面白さに出会えるのかもしれない。
さて、次はどの少年漫画に手を出してみようかな。
今度は「ハンターハンター」あたりが気になっている。
いや、その前に、この部屋の隅にある本のタワーをどうにかしないと、また新しい漫画を読み始める言い訳ばかりが増えてしまいそうだ。
でも、それはまた、別のお話。
💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。
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