📝 この記事のポイント
- 書店で立ち読みしていたら、知らない人に話しかけられて焦った。
- ただ、新刊コーナーで平積みになっていた「〇〇さんの美味しいひとりごはん」というレシピ本を、真剣な顔で読み込んでいただけだ。
- なにせ単身赴任先の食卓は、連日の茶色一色に染まりつつある。
書店で立ち読みしていたら、知らない人に話しかけられて焦った。
別に何か悪いことをしていたわけじゃない。
ただ、新刊コーナーで平積みになっていた「〇〇さんの美味しいひとりごはん」というレシピ本を、真剣な顔で読み込んでいただけだ。
なにせ単身赴任先の食卓は、連日の茶色一色に染まりつつある。
このままでは栄養が偏るどころか、僕自身の色彩感覚まで茶色に染まってしまうんじゃないか、と本気で心配している今日この頃なのだ。
で、レシピ本に没頭していたら、隣にいたおばあさんが「あら、お兄さんもお料理するの?
」と、まるで昔からの知り合いのような親しみやすさで語りかけてきた。
僕は一瞬固まって、いや、別に、と蚊の鳴くような声で返事をしたものの、どうやら彼女は僕を、そのレシピ本の著者と勘違いしていたらしい。
いやいや、僕がもしあの本の著者だったら、こんな寂れた単身赴任先で、レトルトカレーに卵を落とすかどうかで3分も悩んだりしない。
そもそもレシピ本の著者って、立ち読みしちゃダメなんじゃないだろうか。
そんなことを考えていたら、急に全身がむず痒くなって、結局何も買わずに店を出た。
帰り道、やけに人懐っこいカラスが僕の頭上を旋回していて、ふと、先日妻と電話で話した内容を思い出した。
あれは確か、僕が単身赴任先の部屋で、いつものように洗濯物を干しながら今日の夕飯の献立を考えていた時のことだ。
いや、献立と言っても、冷蔵庫にある残り物で何ができるか、という消去法的な思考回路なのだが。
その日は、キャベツの千切りが半分残っていたから、豚バラ炒めでも作るか、なんて漠然と考えていた。
そんな僕に、妻は唐突に言ったのだ。
「ねえ、プログラマーって、デスゲームとかもあって大変な仕事だよね」。
僕は一瞬、耳を疑った。
「え?
デスゲーム?
」と聞き返すと、妻はさらに畳み掛ける。
「そうそう、なんか、システム開発がうまくいかなくて、みんなで閉じ込められて、タイムリミットまでに完成させないと死んじゃう、みたいなやつ」。
僕は思わず、手にしていた乾燥ワカメを床に落としそうになった。
いや、確かに締め切りに追われることはあるし、徹夜だって年に数回はする。
顧客からの無理難題に頭を抱える夜もある。
でも、命懸けでシステムを開発したことなんて、一度たりともない。
もしそんなデスゲームがあったら、僕はきっと、一番最初にバグを見つけて、他の参加者から「お前、裏切り者か!
」とか言われて、真っ先に脱落するタイプだろう。
僕はプログラマーだが、プログラミングが得意なわけじゃない。
むしろ、仕様書を読んで、顧客の要望を理解し、それを開発チームに伝える、いわゆるブリッジSEみたいな役割が多い。
だから、自分でコードを書くことは、正直、苦手だ。
苦手どころか、僕が書いたコードはバグの温床になりがちで、昔、一度だけ「これ、誰が書いたんですか?
」と真顔で聞かれたことがある。
その時は、冷や汗をかきながら「あ、僕です」と正直に白状した。
すると、後輩が「先輩、僕が直します」と、まるで聖人のような顔で言ってくれた。
あの時は本当に頭が上がらなかった。
妻の「デスゲーム」発言を聞いてからというもの、僕の頭の中にはその言葉がこびりついて離れない。
一体、妻はどこでそんな情報を仕入れてきたのだろうか。
もしかして、僕が知らないだけで、世の中のプログラマーはみんな、密かに命を削ってシステム開発に励んでいるのだろうか。
いやいや、そんなはずはない。
僕の周りのプログラマーたちは、みんなごく普通の人間だ。
昼休みにはコンビニで買ったおにぎりを食べながら、昨日見たテレビ番組の話で盛り上がったり、週末の予定を立てたりしている。
デスゲームの参加者が、そんな悠長な話をするだろうか。
もしデスゲーム中に「今日のお昼は鮭おにぎり!
」とか言っていたら、それはそれでシュールすぎて、別の意味でデスゲームになりそうだ。
気になって、僕は「プログラマー デスゲーム」で調べてみた。
もちろん、仕事中にこっそり、だ。
すると、出てくる出てくる。
なるほど、どうやらそれは、一部の漫画やアニメ、小説の世界で描かれる「プログラマーが参加するデスゲーム」というジャンルらしい。
しかも、結構な数がある。
システムの脆弱性を巡ってハッキング合戦をしたり、制限時間内にプログラムを完成させないと爆発したり、はたまた、AIに支配された世界で唯一プログラムを書き換えられる人間として奮闘したり……。
どれもこれも、僕の知っているプログラマーの仕事とはかけ離れた、とんでもない世界観だ。
妻はきっと、そういったエンターテイメント作品の情報を、どこかで断片的に見聞きして、僕の仕事と結びつけてしまったのだろう。
いやはや、それにしても、プログラマーという職業が、そんなにもドラマティックに描かれていることに驚きを隠せない。
僕の日常は、朝起きて、食パンを焼いて、インスタントコーヒーを淹れて、着替えて、満員電車に揺られて会社に行き、会議に出て、コードレビューをして、仕様書を読んで、たまに飲みに行って、帰ってきて、ご飯を食べて、風呂に入って、寝る。
これがルーティンだ。
命懸けのシステム開発なんて、どこにもない。
せいぜい、開発環境のセットアップで半日潰れたり、バグの原因が半角スペースだったりして、心の中で「死にたい」とつぶやく程度だ。
いや、これもデスゲームの一種なのかもしれない。
精神的な。
でも、妻がプログラマーの仕事を「デスゲーム」と表現したことによって、僕の仕事が彼女の中で、少しだけ特別なものになったような気がしたのも事実だ。
いや、別に「俺は命懸けで仕事してるんだぞ!
」とドヤ顔で語りたいわけではない。
ただ、単身赴任で離れて暮らす僕を、妻が心配してくれているのだ、と勝手に解釈することにした。
そう考えると、なんだか温かい気持ちになる。
いや、もし本当にデスゲームに巻き込まれたら、僕は真っ先に逃げ出すと思うけど。
そういえば、以前、友人が言っていた。
「転勤族って、全国のスーパーの生鮮食品コーナーの特色に詳しくなるよね」。
まさしくその通りで、ここ数年で訪れた街のスーパーでは、必ず地元の野菜や魚をチェックするようになった。
特に、練り物コーナーには目がない。
各地域で、形も味も違う練り物を見つけると、それだけでちょっとした旅気分になれる。
単身赴任先で自炊をするようになってから、そういう「小さな発見」が、日々のささやかな楽しみになっているのだ。
そして、その練り物選びにも、僕なりの譲れないこだわりがある。
それは、「パッケージの裏に、魚肉の種類がしっかり書いてあること」。
いや、別に成分表示を隅々まで読み込むタイプじゃない。
ただ、なんとなく「スケソウダラ」とか「グチ」とか、具体的な魚の名前が書いてあると、信頼できる気がするのだ。
これが「魚肉(その他)」とか「魚肉(国産)」とか、妙にぼかした表現になっていると、途端に買う気が失せる。
なぜかは自分でもよくわからない。
ただの直感だ。
でも、この譲れないこだわりのおかげで、僕はこれまで何度か、スーパーの練り物コーナーで20分近くも立ち尽くしたことがある。
店員さんからは、きっと「この人、練り物に命懸けてるな」と思われているかもしれない。
結局のところ、僕のプログラマーとしての日常は、デスゲームとは程遠い、地味で平和なものだ。
システム開発に命を懸けることもないし、爆弾を解除するために徹夜するなんてこともない。
せいぜい、練り物の原材料を巡って、自分の心の中で葛藤するくらいだ。
でも、妻が僕の仕事を「デスゲーム」と認識しているおかげで、たまに電話をするたびに、彼女は僕の無事を案じてくれる。
それはそれで、悪くないのかもしれない。
僕も、たまには「ああ、今日もなんとか、バグの爆弾を解除できたよ」なんて、嘘八百を並べてみようか。
いや、それはやりすぎか。
きっとすぐにバレて、余計な心配をかけてしまうだろう。
単身赴任の生活は、良くも悪くも、自分のペースで過ごせる。
だからこそ、自分のこだわりが際立つ。
例えば、バスタオルの畳み方ひとつとっても、僕は誰にも譲れない流儀がある。
縦に三つ折りにしてから、さらに横に三つ折り。
これが一番、棚に収まりが良く、見た目も美しい。
そして、使う時は、端から丁寧に広げていく。
これを怠ると、一日がどこかちぐはぐな気持ちになるのだ。
まるで、システムに小さなバグが潜んでいるような、そんな落ち着かない気分。
今日も僕は、スーパーで練り物の原材料表示を凝視し、豚バラ肉のグラム単価を計算し、そして無事に帰宅して、バスタオルを完璧な三つ折りに畳む。
妻の言うデスゲームとは無縁の、ごくごく平和な日常だ。
でも、この平和な日々の中にこそ、僕にとっての「譲れないこだわり」という名の、小さな戦いが隠されているのかもしれない。
そして、いつか妻が僕の仕事の真実を知った時、どんな顔をするのか、今からちょっとだけ楽しみだったりする。
きっと、「え、そうなの?
」と、拍子抜けした顔をするんだろうな。
それでいいのだ。
命懸けのシステム開発より、平和な食卓が一番だから。
💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。
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