麻布台のおにぎりは高ぇんだよ、と斜に構えた私の話

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📝 この記事のポイント

  • 近所の定食屋で常連扱いされて、注文前にお茶が出てきた。
  • いつもの「から揚げ定食」を頼む気満々で座ったのに、なぜか今日は「生姜焼き定食」と口が滑りそうになった。
  • 慣れ親しんだ場所にいると、思考回路までが怠けてしまうらしい。

近所の定食屋で常連扱いされて、注文前にお茶が出てきた。

いつもの「から揚げ定食」を頼む気満々で座ったのに、なぜか今日は「生姜焼き定食」と口が滑りそうになった。

危ない。

慣れ親しんだ場所にいると、思考回路までが怠けてしまうらしい。

結局、いつものから揚げ定食に落ち着いたけど、この一連の流れが、私の日常における「安心感」の象徴みたいなものだ。

だって、何を頼んでも、あの間違いない味と、おばちゃんの優しい笑顔がセットでついてくるんだもん。

世の中には、こういう「安心感」とは真逆の場所がある。

それが、最近テレビや雑誌でやたらと特集されている、例の「麻布台ヒルズ」ってやつだ。

キラキラした高層ビル群に、見たこともないような洒落たお店がひしめき合っている。

正直、私のような実家暮らしの派遣社員には縁のない世界だと思っていた。

だけど、先日たまたま仕事で近くまで行く機会があって、好奇心に負けて足を踏み入れてしまったんだよね。

うん、もちろん、仕事はちゃんと終わらせてから、ね。

足を踏み入れた瞬間、まず空気が違う。

いや、物理的な話じゃなくて、なんていうか、そこにいる人たちのオーラというか、まとっているものが違う気がする。

みんな、なんかこう、背筋がシャンとしてて、自信に満ち溢れているように見えるんだ。

「私、こういう場所が似合う女ですけど?

」みたいな顔して歩いてるの。

私は必死で「私、別に場違いじゃないですよ?

」みたいな顔で歩いたけど、多分、周りから見たら完全にキョロキョロしてる観光客だっただろうな。

そんな麻布台ヒルズの中に、「麻布台ストア」という名のスーパーマーケットがあるらしい。

スーパーなのに「ストア」って時点で、もう普通のスーパーじゃないオーラをビンビンに感じていたんだけど、そこで売られているおにぎりの値段が、私の中で密かに話題になっていた。

なんせ、一個450円だって言うじゃない。

450円!

ですよ?

スーパーのおにぎりが!

それって、下手したら定食屋のランチの半分くらいの値段じゃない?

誰が買うんだよ、こんな高いおにぎり!

と、心の中で毒づきながら、そのお店を探した。

もちろん、買わないけど、見てやる!

っていう意地みたいなものがあった。

そして、ついにそのおにぎりとご対面。

ショーケースの中に、まるで宝石みたいに整然と並べられたおにぎりたち。

パッケージも、なんかこう、和紙っぽい素材で高級感を演出してるし、中身が見える窓からは、ツヤツヤしたごはん粒と、大きめにカットされた具材が覗いている。

鮭とか、明太子とか、定番のものだけじゃなくて、なんかこう、黒毛和牛のしぐれ煮とか、鯛めしとか、ちょっと凝ったやつもある。

たしかに見た目は美味しそうだ。

美味しそうだけど、450円。

いや、やっぱり高ぇよ、と心の中で毒舌を炸裂させていた。

「東京は怖いところだ。

こんなおにぎりを平気で売ってるなんて。

消費者をなんだと思ってるんだ」と、私は半ば呆れながら、半ば小馬鹿にするような気持ちで、そのおにぎりを眺めていた。

こんなもの買うのは、きっと、お金持ちで、舌が肥えてて、でも節約とかには興味がない、みたいな人たちなんだろうな、と勝手に想像を膨らませていた。

私の日常にある、一個150円のコンビニおにぎりとは、完全に別の次元に存在する食べ物なんだ、と。

そうやって自分を納得させようとしていた。

その日は結局、麻布台ストアでは何も買わず、そそくさとその場を後にした。

だって、450円のおにぎりなんて、私には「贅沢」を通り越して「暴挙」に近い。

もし買っちゃったら、その後の数日は、ランチを水だけで過ごすことになっちゃうかもしれない。

いや、それは言い過ぎだけど、それくらいのインパクトがある値段だった。

私の頭の中では、「高いおにぎり=ぼったくり」という図式が完成していたんだ。

しかし、数日後、職場の休憩室で耳にした会話が、私の凝り固まったおにぎり観を木っ端微塵に打ち砕くことになる。

「ねぇ、麻布台ストアのおにぎり、食べた?

あれ、美味しいよね」
「うん、美味しい!

ちょっと高いけど、あの味なら納得だよね。

それに、あそこってさ、あの老舗米屋さんが作ってるんでしょ?


「そうそう!

だからお米が全然違うんだよね。

あと、具材もちゃんとこだわってて、手作業で握ってるんだって」
「へぇ、そうなんだ!

……え?

老舗米屋?

手作業?

ちょっと待って。

私の「高いおにぎり=ぼったくり」という図式が、ガラガラと崩れ落ちる音がした。

まさか、あの450円のおにぎりに、そんな「ストーリー」があったなんて。

私は完全に、見た目と値段だけで判断していたのだ。

恥ずかしくなって、私は思わず「あの、それって、どこの老舗米屋さんなんですか?

」と、会話に割り込んでしまった。

話を聞けば、創業100年を超えるような、名の通ったお米屋さんが、麻布台ストアのために特別に作っているおにぎりらしい。

しかも、お米の選定から炊き方、具材の仕込み、そして一つ一つ手で握る工程まで、すべてにこだわりが詰まっているという。

それはもう、スーパーのおにぎりというより、もはや「高級料亭のおにぎり」と呼ぶべきものじゃないか。

「『手間』『ストーリー』『希少性』は値段のうち」――誰かがそう言っていたような気がする。

この言葉が、その時、私の頭の中でフラッシュバックした。

私の中で「スーパーのおにぎり」というカテゴリーに無理やり押し込めていたから、値段に納得できなかっただけなんだ。

これは、もはや「芸術作品」の一種なのかもしれない。

いや、言い過ぎか。

でも、それくらいの価値が込められているってことなんだろう。

この勘違いに気づいた時、私は真っ赤になった。

麻布台ストアで「高ぇよ!

」と心の中で毒づいていた自分が、あまりにも浅はかに思えたからだ。

あの時、私は完全に「分かってない人」だった。

場違いなのは、おにぎりを値踏みする私の貧しい感性の方だったかもしれない、とさえ思った。

その日から、麻布台ヒルズを見る目が、少しだけ変わった。

いや、ヒルズ自体は相変わらずキラキラしていて、私には縁遠い世界であることに変わりはないんだけど、少なくとも、そこで売られているものに対する見方が変わった、というか。

それからというもの、私はあの麻布台ストアのおにぎりが気になって仕方ない。

一度は買わないと決めたのに、老舗米屋さんの手作りおにぎり、という「ストーリー」を聞いてしまったら、もう好奇心が止まらない。

やっぱり、人間って、知らないことを知ると、どんどん興味が湧いてくる生き物なんだな、とつくづく思う。

実は私、昔、海外ドラマにどハマりしていた時期があって。

毎日、仕事から帰ったら、ご飯も食べずにパソコンにかじりついて、シーズン1から最新作まで一気見してたんだよね。

特に、主人公が毎回とんでもない事件に巻き込まれるやつ。

もう「早く次のエピソードが見たい!

」って気持ちで、寝不足になりながら見てた。

でも、ある日、急に飽きちゃって。

気づいたらもう何ヶ月も見てない。

だけど、ふとした瞬間に、またあの主人公の顔が頭に浮かんで、「あれ、そういえばあのドラマ、どうなったんだっけ?

」って気になり始めて。

そうやって、また見始める、っていうのを何度か繰り返してる。

ハマる→飽きる→またハマる。

趣味って、そういうものなのかもしれない。

麻布台のおにぎりも、私にとってはその「ハマる」の一歩手前にあるのかもしれない。

一度は「高すぎる」と切り捨てたのに、今はもう「食べてみたい」という気持ちでいっぱいだ。

もしかしたら、一口食べたら、「なんだ、やっぱりコンビニのおにぎりで十分じゃん」って思うかもしれないし、いやいや、「こんなに美味しいなら、450円出す価値あるわ!

」って感動するかもしれない。

どっちに転んでも、私にとっては新しい発見になるはずだ。

近いうちに、また麻布台ヒルズに行く機会があったら、今度は思い切って、あの老舗米屋のおにぎりを買ってみようと思う。

そして、一口食べた時に、どんな味がするのか、どんな気持ちになるのか、それをじっくりと味わってみたい。

450円のおにぎりを食べる、というちょっとした「非日常」を、今の私は楽しみにしている。

そして、その体験を、いつか誰かに「麻布台のおにぎりは高ぇんだよ、と斜に構えてた私がさ…」って笑い話として話す日が来るんだろうな。

その時に、きっとまた近所の定食屋で、から揚げ定食を頬張っている自分がいるような気がする。

変わらない日常と、たまに訪れる非日常。

そのバランスが、きっと人生を面白くするんだ。


💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。

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