📝 この記事のポイント
- 公園のベンチで休憩していたら、鳩に囲まれてパニックになった。
- いや、正確には「休憩しようと思って座ったら、私が持っていたコンビニの塩パンの匂いを嗅ぎつけたらしい鳩軍団が、あっという間に四方八方から集結し、私の足元を取り囲んで身動きが取れなくなった」が正しい。
- 普段着ないスーツを着て、革靴で歩き回り、足の裏に豆ができていたところに、突然の鳩襲来である。
公園のベンチで休憩していたら、鳩に囲まれてパニックになった。
いや、正確には「休憩しようと思って座ったら、私が持っていたコンビニの塩パンの匂いを嗅ぎつけたらしい鳩軍団が、あっという間に四方八方から集結し、私の足元を取り囲んで身動きが取れなくなった」が正しい。
新社会人、初めての一人暮らし。
都会の公園には慣れていない。
普段着ないスーツを着て、革靴で歩き回り、足の裏に豆ができていたところに、突然の鳩襲来である。
もう、叫び声にならない悲鳴を上げながら立ち上がり、ほぼ飛び跳ねるようにしてその場を離れた。
いや、恥ずかしかった。
ベンチに座っていたおじいさんがニコニコとこちらを見ていたような、見ていなかったような……とにかく、あの鳩どもめ、今度こそ覚えておけ。
そんなわけで、週末は普段スーツで凝り固まった脳みそをリフレッシュすべく、ショッピングモールへ繰り出すのが最近の習わしになっている。
特に目的があるわけじゃない。
ウィンドウショッピングで目を保養し、流行の兆しをなんとなく察知して、ちょっとだけ「私も現代人なんですけど?
」という顔をしてみる。
そんな時間の使い方が、今の私には一番の贅沢だったりする。
先日も、これといって買うものもないのにぶらぶら歩いていた。
ふと、とある子供服の店先に足が止まった。
今まであまり意識したことがなかったのだけど、最近の子供服、特に男児向けのやつって、やたらと可愛いデザインが増えてないだろうか。
私が子供の頃の男の子の服といえば、まあ、ざっくり言うと「青か緑か茶色、たまに赤」みたいな色合いで、デザインも「電車!
車!
怪獣!
」みたいな、もう絵に描いたような男の子然としたものばかりだった気がする。
もちろん、それはそれで可愛いんだけど、なんていうか、バリエーションが少なかったというか、「THE・男の子」という型にきっちりはめ込まれているような印象だった。
それがどうだろう。
今や、店頭に並ぶ男児服は百花繚乱といった趣だ。
パステルカラーのパーカーに、オーバーサイズのデニムシャツ。
はたまた、くすみカラーのコーデュロイパンツに、まるで古着のようなプリントTシャツ。
ちょっと大人顔負けの、洗練されたデザインがそこかしこに溢れている。
しかも、昔ながらの「電車!
車!
怪獣!
」といったモチーフも、昔とはだいぶ様変わりしている。
例えば、パトカー柄。
昔はもっと、ザ・パトカー!
という直線的なデザインだった気がするけれど、今はもっとイラスト調というか、ゆるいタッチで描かれていたりする。
恐竜だって、リアルなティラノサウルスもいれば、やたらと愛嬌のあるデフォルメされた恐竜までいる。
色合いも、ただの緑じゃなくて、ミントグリーンだったり、ちょっとスモーキーなカーキだったり。
極め付けは、あの「アメリカンな働く車」シリーズだ。
ショベルカーとか、ミキサー車とか、消防車とか。
しかも、ただの車じゃなくて、ちょっとレトロな雰囲気のイラストになっていて、バックプリントには「BOOON!」「STOP!」「BANG!」みたいな、効果音が英語で書かれていたりする。
これなんか、私も着たいんですけど、と本気で思ってしまう。
というか、あの手のデザインは、ユニセックスで展開しても売れるんじゃないかと、勝手にマーケティング目線で考えてしまうほどだ。
思わず、可愛い男の子の服をじーっと眺めていたら、店員さんに「何かお探しですか?
」と声をかけられた。
「あ、いえ、ちょっと見てただけで……」と慌てて答える私。
いや、別に変なことをしているわけじゃないんだけど、20代半ばの独身女性が、子供服の、しかも男児服のコーナーで妙に目を輝かせているのは、傍から見たらどう見えていたんだろう。
「あら、おめでたかしら?
」とか、「甥っ子さんかどなたかへのプレゼントかしら?
」とか、優しい誤解をしてくれていたらいいんだけど。
まさか、「最近の男の子服って、私の子供の頃とは全然違うな〜!
この恐竜Tシャツ、可愛いな〜!
私も着たいな〜!
」なんて思っている、ただの冷やかし客だとは、店員さんも夢にも思わないだろう。
恥ずかしい。
顔から火が出そうになった私は、そそくさとその場を後にした。
しかし、この「男児服進化論」をぼんやりと考えていると、ふと、昔自分が何かにハマって、また飽きて、そして何かのきっかけで戻る、みたいな経験を思い出した。私の場合、それは「絵を描くこと」だった。
小学生の頃は、絵を描くのが大好きで、特に動物の絵ばかり描いていた。
スケッチブックは何冊も使い切り、学校の図工の時間も、自宅でも、ひたすら鉛筆を走らせていた。
夢は漫画家かイラストレーター。
ノートの端っこには、常にオリジナルのキャラクターが描かれていたし、クラスメイトの似顔絵を描いてあげては、「似てるー!
」と喜ばれるのが、何よりの喜びだった。
それが、中学生になると、なんだか急に恥ずかしくなってしまったのだ。
「絵なんか描いてる場合じゃない、勉強しなきゃ」とか、「周りの友達はもっと大人っぽい趣味があるのに、私だけ子供っぽい」とか、変なプライドが邪魔をして、だんだん描かなくなってしまった。
部活と塾と、友人との他愛ないおしゃべり。
そういうものに夢中になって、いつの間にか絵を描くことからは遠ざかっていた。
あの頃の私は、なぜか「絵を描く自分」を隠したがっていたような気がする。
高校生、大学生になっても、その傾向は変わらなかった。
たまに、授業中に落書きをしたり、友人の誕生日カードにイラストを描いたりすることはあったけれど、それはあくまで「ちょっとしたお遊び」という位置づけ。
スケッチブックを開いて、じっくりと絵と向き合う、なんてことは、もう何年もしていなかった。
そして、社会人になって、初めての一人暮らし。
仕事に慣れるので精一杯で、週末はひたすら睡眠と現実逃避。
そんなある日、ふと立ち寄った本屋さんで、たまたまイラストレーションの雑誌が目に入った。
パラパラとめくってみると、そこに載っていたイラストが、なんだか昔の私をくすぐるものだった。
動物、植物、ちょっと不思議な世界観。
昔の私が大好きだったテイスト。
その雑誌を衝動買いして家に帰り、何気なく本棚の奥から、数年ぶりにスケッチブックを取り出してみた。
鉛筆を握るのも久しぶり。
最初は全然感覚が掴めなくて、線はヨレヨレ、構図はバラバラ。
でも、描いているうちに、少しずつ、少しずつ、あの頃の感覚が蘇ってくるような気がした。
気づけば、夢中になって数時間が経っていた。
出来上がった絵は、決して上手とは言えないけれど、それでも何だか心が満たされたような、不思議な感覚だった。
「ああ、私、この時間が好きだったんだな」と、今さらながらに気づかされた。
昔、男の子の服が画一的だったように、私もまた「こうあるべき」という型に自分をはめ込んでいたのかもしれない。
絵を描くのは子供っぽい、とか、社会人たるものもっと生産的な趣味を持つべき、とか。
でも、そんなの、結局は自分が勝手に作り上げた固定観念だったんだなと、今は思う。
最近の男児服だって、昔ながらの「電車!
恐竜!
」なデザインもあれば、ちょっと大人顔負けのシックなデザインもある。
選択肢が増えるって、素晴らしいことだ。
誰かの「こうあるべき」に縛られず、もっと自由に、自分が「これだ!
」と思うものを楽しめばいい。
そう考えると、あの鳩に囲まれてパニックになった私も、子供服売り場で店員さんに声をかけられて焦った私も、きっと「こうあるべき」からちょっとだけ外れた自分に戸惑っただけなのかもしれない。
いや、鳩に関してはただただ怖かっただけなんだけど。
「最近の男の子の服って可愛いですよね〜」なんて、いつか、何のてらいもなく店員さんに話せる日が来るだろうか。
あるいは、「この恐竜のTシャツ、私も着たいんですけど、大人サイズないですか?
」と、真顔で尋ねられるくらい、図太くなれる日が来るだろうか。
とりあえず、次の週末は、新しいスケッチブックと、色鉛筆でも買いに行こうかな。
それと、あの公園のベンチには、しばらく近づかないようにしよう。
鳩どもめ、今度こそ、覚えておけ。
次に会うときは、私が絵に描いてやるからな。
きっと、とびきりふっくらと、そしてちょっとだけ意地悪そうな顔に。
💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。
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