📝 この記事のポイント
- 銀行のATMで操作を間違えて、後ろに並んでいる人のプレッシャーを感じた。
- 横から「早くしろよ」という無言の圧力が飛んでくるようだ。
- いや、実際は誰もそんな風には思っていないだろう。
銀行のATMで操作を間違えて、後ろに並んでいる人のプレッシャーを感じた。
僕の指が焦燥感でプルプル震える。
横から「早くしろよ」という無言の圧力が飛んでくるようだ。
いや、実際は誰もそんな風には思っていないだろう。
僕が勝手にそう感じているだけだ。
単身赴任から帰ってきて、家族との生活に再適応しようとしているこの時期、妙に他人の視線が気になる。
小さな失敗が、とてつもなく大きく感じられてしまう。
結局、3回目でようやく引き出しボタンを押せた。
ふう、と息を吐く。
こういう時の「ふう」は、達成感ではなく、安堵に近い。
それから、少しだけ恥ずかしい。
僕はなんだか、いつでもどこでも、自分のペースで生きていけない人間なのだ。
もっと泰然自若と、世間の流れに身を任せられるようになりたい。
そんなことを思いながら、ATMの角に貼ってあった「〇〇銀行アプリなら待ち時間なし!
」というポスターを眺めて、また少しだけ敗北感を味わう。
僕はまだアプリでの入出金に慣れていない。
キャッシュカードを握りしめる方が、なぜだか安心する。
古い人間だと笑われるだろうか。
先日、テレビでエジプトのピラミッドの特集をやっていた。
僕は食い入るようにそれを見た。
昔、大学の卒業旅行で行ったきり、もう二度と行くことはないと思っていた場所。
ところが、画面に映し出された景色は、僕の記憶にあるそれとはまるで違っていた。
敷地内を巡回する無料のシャトルバスが走っているのだ。
ピラミッドの巨大な影の下、エアコンの効いたバスがスムーズに動いている。
僕が訪れた頃は、灼熱の砂漠を歩き、汗だくになりながら写真を撮ったものだ。
そして、そのバスの横を、例のラクダ使いがひょこひょこと歩いている。
あの、観光客を見つけるやいなや「写真撮ってやるよ!
」「ラクダに乗らないか?
」と片言の日本語で話しかけてくる彼らだ。
もちろん、無料なわけがない。
一枚写真を撮ってもらえば、チップを要求される。
乗ろうものなら、降りるまでに何回か料金を上乗せされる。
まるでアトラクションの料金体系だ。
僕もまんまと乗せられ、最終的に提示された金額の半分以下に値切って、なんとか脱出した記憶がある。
テレビの彼らは、シャトルバスの乗降場で観光客を待ち構えていた。
バスから降りてくる人々に向かって、相変わらず「マイフレンド!
」「ワンダフルピクチャー!
」と声を張り上げている。
でも、その隣をすーっとバスが通り過ぎていく。
あの暑い中、必死に観光客を追いかける彼らの姿は、昔と変わっていなかった。
でも、その横をバスが涼しい顔で走っている。
その光景が、なんとも言えずシュールだった。
現代文明の利器と、昔ながらの商売。
まるで隣り合わせの二つの世界が、そこに存在しているようだった。
妻は横で「昔は大変だったのねえ」なんて言いながら、スマホでピラミッドの画像検索をしていた。
「え、これ、本当にAI生成じゃないの?
」と目を丸くしている。
僕も最初見た時、そう思った。
あまりにもSFチックで、非現実的な風景に感じられたから。
でも、本当に今のピラミッドの周りは、そういうことになっているらしい。
文明は、確実に、僕らの知らないところで進化しているのだ。
僕の会社でも、最近、新しいシステムが導入された。
単身赴任中にガラッと変わったらしい。
帰任してきてから、僕は戸惑うことばかりだ。
例えば、会議室の予約。
以前はホワイトボードに手書きで記入すれば良かったのに、今は専用のアプリで、空き状況を確認し、ポチポチと予約する。
最初は「え、これでいいの?
」と半信半疑だった。
誰かに割り込まれたりしないのだろうか、と不安になったりもした。
結局、これも慣れなのだろうけど、その「慣れるまで」が、僕にはどうも億劫に感じられる。
家のこともそうだ。
単身赴任中は、自分のことだけ考えれば良かった。
朝起きて、顔を洗って、コーヒーを淹れて、適当なパンをかじる。
洗濯物は、週末にまとめてクリーニングに出すか、コインランドリーで済ませる。
食事は、外食かコンビニ弁当。
すべてが僕のペースで、僕の都合で回っていた。
でも今は違う。
朝食は妻と子供たちに合わせて、和食だったり洋食だったり。
洗濯物は、毎日、山のように出る。
子供の服は、なぜあんなに汚れるのか。
先日も、衣替えの時期で、クローゼットの中がとんでもないことになっていた。
僕の夏服と冬服がごちゃ混ぜになり、子供たちのサイズアウトした服が段ボールにぎっしり。
妻が「ねえ、これどうするの?
」と溜息をつく。
僕は「あー、また今度でいいんじゃない?
」なんて呑気なことを言ったものだから、妻の眉間のシワが深くなった。
ごめんなさい。
妻は、僕が単身赴任中に、家のことを全部一人でやってくれていた。
子供たちの学校の準備、買い物、食事の支度、そして僕の分の衣替えまで。
僕が帰ってきて、少しは楽になったと思いきや、僕の存在自体が、妻にとってはまた別の「仕事」になっているのかもしれない。
僕が自分でできることは、自分でやらなくては。
当たり前のことだけど、それがなかなかできない。
長い単身赴任生活で、すっかり「お客様モード」が染み付いてしまっていたのだ。
ピラミッドのラクダ使いとシャトルバスの話に戻るけれど、彼らは、まさに僕と妻の関係の縮図のようにも見える。
ラクダ使いは、昔ながらのやり方で、足で稼ぐ。
必死に声を張り上げ、観光客を捕まえようとする。
一方、シャトルバスは、無言で、そして確実に、人を運ぶ。
効率的で、快適だ。
どちらが良い悪いという話ではない。
どちらも、それぞれの役割を果たしている。
僕も、ラクダ使いのように、必死で頑張らなければいけない部分もある。
でも、時にはシャトルバスのように、スマートに、効率的に動くことも求められる。
家族の中での僕の役割。
それは、ラクダ使いのような情熱と、シャトルバスのような安定感、両方を持ち合わせることなのだろうか。
先日、子供の運動会があった。
僕は張り切ってビデオカメラを回した。
ここぞとばかりに、子供の活躍を追いかけた。
でも、他の親御さんたちは、皆、スマホで撮影している。
軽々と、そして鮮明に。
僕は肩にずっしりくるビデオカメラを抱え、汗だくになりながら、なんだか少しだけ時代遅れのような気がした。
でも、僕のカメラには、僕にしか撮れない、僕だけの視点がある。
そう思えば、少しだけ気分が晴れる。
シャトルバスが便利なのは間違いない。
でも、ラクダに乗るからこそ見える景色もある。
多少不便でも、自分で道を切り開く楽しさ。
それもまた、人生の醍醐味なのかもしれない。
帰り道、スーパーで買い物をして、レジで会計を済ませた。
セルフレジがずらりと並ぶ中、僕は敢えて有人レジに並んだ。
レジのお姉さんが、手際よく商品をスキャンしていく。
その様子を眺めながら、僕はふと思った。
結局、新しいものも古いものも、どちらも必要とされているのだ。
僕みたいに、ちょっとおっちょこちょいな人間も、世の中には必要なのかもしれない。
うん、きっとそうだ。
きっと、どこかに。
少しだけ、力が湧いてきた。
明日は、まずクローゼットの整理から始めよう。
そして、その次は、ATMアプリのダウンロードだ。
たぶん。
いや、きっと。
💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。
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