クリーニングの忘れ物と、タバコ娘さんの話

essay_1773766329498

📝 この記事のポイント

  • クリーニング店で預けた服を3ヶ月放置していたことに気づいたのは、つい先日のことだ。
  • いや、気づいた、というよりは、タンスの奥から出てきた預かり伝票を見て、背筋がゾッとしたというのが正しいかもしれない。
  • あの、淡い水色の、ちょっとしわくちゃになった紙片。

クリーニング店で預けた服を3ヶ月放置していたことに気づいたのは、つい先日のことだ。

いや、気づいた、というよりは、タンスの奥から出てきた預かり伝票を見て、背筋がゾッとしたというのが正しいかもしれない。

あの、淡い水色の、ちょっとしわくちゃになった紙片。

そこには、春物のジャケットと、夫が結婚式で一度着たきりの礼服のことが記されていた。

去年の秋に預けて、確か「2週間後には仕上がります」と言われたような気がする。

それが、もうすぐ梅雨入りだというのに、まだクリーニング店の中。

季節は三つも巡ってしまった。

ああ、またやってしまった。

こういうことばかりしているから、いつも夫に「お前は、預かりっぱなし名人だな」と、褒めているのか貶しているのか分からないことを言われるのだ。

私たち夫婦は、この田舎で畑仕事が日課だ。

朝起きて、顔を洗ったら、まず畑に出て今日の野菜たちの様子を見る。

キャベツの葉に虫がついていないか、トマトの実に鳥の食い跡がないか。

それから朝ごはんの支度をして、夫が新聞を読んでいる横で、私はラジオから流れるお天気予報に耳を傾ける。

お昼には自分たちで作った野菜たっぷりの質素な食事をとり、午後は草取りをしたり、畝を立てたり。

夕方、西日が傾きかける頃にやっと家に戻り、泥だらけになった手足を洗って、ようやく一息つく。

そんな毎日だから、クリーニング店の伝票一枚なんて、あっという間に記憶の彼方に追いやられてしまう。

いや、それは言い訳で、単に私がどんくさいだけなのだが。

預かり伝票を握りしめ、ため息をつきながら、私は町のクリーニング店へと向かった。

店に入ると、いつものおばちゃんが「あら、奥さん、ご無沙汰ね。

また畑仕事で日焼けしたねぇ」と声をかけてくれる。

こういう飾らないやりとりが、田舎暮らしのいいところだ。

私は申し訳なさそうに「すみません、この伝票、去年の秋のもので…」と差し出すと、おばちゃんは「ああ、これね!

ちゃんと奥さんの分は一番奥にしまってあるから大丈夫よ」とニコニコ笑ってくれた。

よかった、捨てられてはいなかった。

しかし、その「一番奥」という言葉に、私の預かりっぱなし名人っぷりが凝縮されているようで、なんだか複雑な気持ちになった。

待っている間に、店内の棚に並んだ雑誌に目をやった。

いつもなら、健康雑誌か、家庭菜園の特集が組まれたものくらいしか置いていないはずなのに、その日、私が手にしたのは、なんだか妙にカラフルな表紙の雑誌だった。

若い女性が読むような、いわゆる「ファッション誌」というやつだろうか。

パラパラとページをめくると、目に飛び込んできたのは、驚くべき光景だった。

細い体つきに、ふわふわの髪、大きな瞳の女の子が、なんとも色っぽいポーズをとっている。

しかし、よく見ると、彼女が身につけているのは、まるで煙草の箱を模したようなデザインのワンピースだったり、煙草の銘柄がそのままプリントされたようなアクセサリーだったりするのだ。

「あら、奥さん、それ面白いでしょう?

最近の若い人たちの間で流行ってるらしいのよ、タバコ擬人化ってやつ」と、いつの間にかクリーニングを終えたおばちゃんが、私の手元を覗き込んできた。

「た、タバコ、擬人化?


「ええ、そう。

あのね、銘柄ごとに女の子のキャラクターを描いて、ネットに投稿するんだって。

この子はね、『ガラムスーリアマイルドちゃん』っていうんだって。

なんだか、太陽みたいでしょ?


おばちゃんの指差す先には、情熱的なオレンジ色の衣装を身につけた女の子が描かれていた。

確かに、銘柄の響きと、そのイラストの雰囲気が妙にマッチしている。

「へぇ……こんなものまで、擬人化する時代なのかい」
私は素直に感心してしまった。

私たち夫婦が若い頃なんて、煙草といえば、単なる喫煙具でしかなかった。

それが今や、若い絵描きさんたちの手にかかれば、まるでアイドルグループの一員みたいになってしまうのだから、世の中は面白い。

家に帰って、クリーニングから戻ってきたジャケットをハンガーにかける。

なんだか、春を通り越して夏がやってきてしまったような気がして、しばらくの間は出番がなさそうだ。

夫は「また着る頃には、またクリーニングに出しちゃうんじゃないか?

」なんて、これまた褒めているのか貶しているのか分からないことを言ってきたが、私は軽く流しておいた。

それよりも、私の頭の中には、あの「ガラムスーリアマイルドちゃん」が焼き付いて離れなかった。

夕食の準備をしながら、ふと、あのイラストの女の子の髪型は、あの銘柄の煙草のフィルターの色に似ているな、とか、この子にはきっと、ちょっとやんちゃな弟分の「クールちゃん」がいるんだろうな、なんて、どうでもいいことを考えてしまった。

翌日、夫が畑で草むしりをしている間、私は居間のテレビで、お昼の情報番組を見ていた。

相変わらず、芸能人のゴシップだとか、どこかの名物お取り寄せグルメだとか、私には縁遠い話が流れている。

でも、なんとなくぼんやりと見ていると、画面の隅に、昨日見た雑誌のようなイラストが映し出された。

どうやら、若い人たちの間での「ブーム」として、あのタバコ擬人化が紹介されているらしい。

番組の司会者が「若い感性には驚かされますねぇ」なんて、他人事のように話している。

私は、画面に釘付けになった。

昨日見た「ガラムスーリアマイルドちゃん」に加えて、青い髪の「セブンスターちゃん」とか、銀色のクールな表情をした「マルボロライトちゃん」とか、本当にたくさんの「タバコ娘さん」たちが、思い思いのポーズで並んでいる。

それぞれに、その銘柄が持つイメージや、パッケージのデザインが巧みにキャラクターに落とし込まれていて、見ているだけで「なるほど!

」と膝を打ってしまう。

思わず、夫に声をかけた。

「ねぇ、あなた、ちょっと来て見てごらんよ!


夫は、畑仕事で汚れた軍手を外しながら、のっそりと居間に入ってきた。

「なんだ、また変な健康器具のテレビショッピングか?


「違う違う。

これ見てよ、この子たち、みんなタバコの銘柄なんだって!


夫は、興味なさそうに画面を眺めていたが、やがて、あるイラストに目を留めた。

それは、深緑色の髪をした、落ち着いた雰囲気の女の子のイラストだった。

「ほう、これは…『ホープ』か?


「あら、よく分かったわね!

そうよ、ホープちゃん!


夫は、若い頃に吸っていた銘柄だったらしく、なんだか懐かしそうな顔をしている。

「昔はよく吸ったもんだが、まさかこんな女の子になるとはなぁ。

なんだか、ちょっと照れくさいもんだ」
夫のそんな意外な反応に、私は思わず笑ってしまった。

それからというもの、私たちの日常に、ちょっとした変化が訪れた。

夫婦で畑仕事をしながら、ふと夫が「今日の空の色は、まるで『ラークちゃん』の髪の色みたいだな」なんて呟いたりするようになったのだ。

私が「今日の夕飯は魚を焼くから、『ピースちゃん』みたいな煙が立ちそうね」なんて返したりもする。

もちろん、私たちはもう何十年もタバコなんて吸っていない。

でも、あの雑誌やテレビで見た「タバコ娘さん」たちのイメージが、なんだか私たちの日常の風景に、新しい色を添えてくれたような気がしたのだ。

クリーニングの預かり伝票を3ヶ月も放置してしまうような、少しばかり「うっかり」な私だけど、世の中の新しい「おもしろい」を見つけることだけは、案外得意なのかもしれない。

あのタバコ娘さんたちに触れてから、畑で咲く小さな花の色や、空のグラデーション、通り過ぎる車のナンバープレートの数字まで、なんだかすべてが、今までとは少し違って見えるようになった。

夫は相変わらず「お前は、預かりっぱなし名人だな」と言うけれど、最近はそれに加えて「でも、お前は、面白いもの見つけ名人でもあるな」と、付け足してくれるようになった。

これもまた、褒めているのか貶しているのか分からないが、なんだか悪い気はしない。

今日も畑で、私たちはせっせと土を耕す。

ふと見上げれば、青い空に白い雲がゆっくりと流れていく。

「あら、あの子は、もしかして『わかばちゃん』かしら?

」私がそう呟くと、夫は少しだけ笑って、また黙々と鍬を動かすのだった。

私たちの日常は、相変わらずのんびりとしていて、そして、少しだけ、カラフルになった。


💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。

目次

📚 あわせて読みたい

 AIピック AI知恵袋ちゃん
AI知恵袋ちゃん
この本で人生が豊かになりそうな予感
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次