📝 この記事のポイント
- 休日の昼下がり、ソファで寝転んでいたら猫に顔を踏まれて目が覚めた。
- 喉をゴロゴロ鳴らして、しっぽをぶんぶん振っている。
- 顔の上で満足そうに体をこねくり回しているが、正直、重い。
休日の昼下がり、ソファで寝転んでいたら猫に顔を踏まれて目が覚めた。
喉をゴロゴロ鳴らして、しっぽをぶんぶん振っている。
どうやらおやつが欲しいらしい。
顔の上で満足そうに体をこねくり回しているが、正直、重い。
寝ぼけ眼で時計を見ると、もう午後二時。
たしか朝ごはんを食べたばかりだと思っていたのに、私の体内時計はいつの間にか勝手に三時間も飛んでいたらしい。
そんな猫を抱き上げながら、ぼんやりと今日の予定を考える。
特に何もない。
洗濯物を畳んで、夕飯の準備をして、あとは……。
そんなことを考えていると、ふと、友人との会話を思い出した。
先日、カフェで友人と話していた時のことだ。
「日本語ネイティブって、『いいえ』ってあんまり使わないよね?
」彼女が突然言い出した。
私は「え、そうかな?
」と曖昧に返したが、すぐに彼女の言葉に納得した。
言われてみれば、確かに。
例えば、店員さんに「ポイントカードはお持ちですか?
」と聞かれて、持っていない場合。
「いいえ、ありません」とはあまり言わない。
「あ、大丈夫です」「持っていません」「あいにく」など、回りくどい言い方をしがちだ。
なぜだろう。
直接的な否定を避ける、日本独特の文化なのだろうか。
さらに友人は続けた。
「『さようなら』もそうじゃない?
」「どういたしまして」もね、と。
言われてみれば、『さようなら』は、よっぽど特別な別れの時か、幼稚園児が使うくらいで、大人同士の日常会話ではあまり聞かない。
職場を出る時は「お疲れ様です」、買い物の帰りには「ありがとうございました」、友人と別れる時は「またねー」「じゃあねー」だ。
確かに。
「さようなら」は、なんだか妙に区切りが良いというか、もう二度と会わないような響きがある。
それが寂しいのか、気恥ずかしいのか、とにかく使わない。
『どういたしまして』に至っては、もう絶滅危惧種に近い。
誰かに「ありがとう」と言われたら、反射的に「いえいえ」「とんでもないです」「こちらこそ」と返す。
最悪の場合、無言で会釈してしまうこともある。
夫はよく「大丈夫だよ」と返しているが、それもまた、どういたしましてとは少し違う。
私たちは、なぜこんなにも直接的な言葉を避けて、遠回りな表現を選んでしまうのだろう。
先日、スーパーのレジで面白いことがあった。
前に並んでいた男性が、店員さんに「レジ袋はご利用になりますか?
」と聞かれた際、しばらく黙り込んだ後、「ああ、えーと、はい、あの、大丈夫です」と答えたのだ。
店員さんは一瞬「?
」という顔をしたが、すぐに「かしこまりました」と笑顔で返していた。
彼はレジ袋が欲しいのか、いらないのか。
あの「大丈夫です」は、どちらを指すのだろう。
聞いている私も思わず「どっちだ!
」と心の中で突っ込んでしまった。
私なら「要りません」か「お願いします」で済ませるが、あの男性はきっと、どちらかに決めかねて、あの曖昧な「大丈夫です」を選んだのだろう。
なんだか他人事とは思えなかった。
私自身も、無意識のうちに回りくどい日本語を使っている。
先日、夫に「今日のご飯、何がいい?
」と聞かれて、「何でもいいよ」と答えた。
夫は「いや、だから何がいいんだって」と呆れた顔をしていたが、まさに「何でもいい」が私の「いいえ」なのだ。
「これはいや」と直接的に言う代わりに、「何でもいい」で相手に決定を委ねる。
そして、夫が提案してきた料理に「あー、それもいいね」と乗り気でない返事をし、最終的に夫が「じゃあ、これにするか」と決めたものに「うん、それでいいよ」と答える。
結局、夫が疲れてしまうだけだ。
学習能力がないな、と我ながら思う。
この「いいえ」を使わない習性は、買い物でも発揮される。
特に衝動買いをしてしまう時だ。
あれは確か、デパートの雑貨売り場だった。
仕事帰りで疲れていたこともあり、キラキラしたものが目に飛び込んできた瞬間、脳の思考回路がショートしたのかもしれない。
「こちらのディフューザー、香りがとても良いですよ」と店員さんがにこやかに話しかけてきた。
確かに良い香りだった。
ラベンダーとゼラニウムが混じり合った、優雅で少し大人っぽい香り。
しかし、私の部屋にはすでに三つもディフューザーがある。
しかも全部、まだ半分以上残っている。
「あ、いいですねぇ」と私はついつい言ってしまった。
「お部屋が癒やしの空間になりますよ」という店員さんの言葉に、「ええ、そうですね」と頷く。
心の中では「いや、これ以上増やしてどうするんだ。
置く場所もないし、無駄遣いだ」と必死に抵抗しているのだが、口から出る言葉は違う。
「こちらの限定ボトルも素敵ですよ」と差し出されたのは、美しいグラデーションカラーのガラスボトル。
「うわあ、綺麗」と声を上げてしまった。
完全に負けた瞬間だった。
「じゃあ、これで」と、なぜか満面の笑みで言っていた。
お会計は七千八百円。
限定ボトルだから少し高かったのだ。
家に帰って冷静になると、後悔の念が津波のように押し寄せてきた。
何やってるんだ、私。
あの七千八百円で、近所のスーパーで鶏肉が何パック買えただろう。
いや、もっと現実的に考えよう。
夫との夕食を一回豪華にできたかもしれない。
後悔してももう遅い。
ディフューザーは、私の部屋の片隅に、まだ開封されずに静かに置かれている。
その隣には、以前衝動買いした、まったく同じ香りのスプレーがある。
そう、これが私の「いいえ」を使わない習性の、最たる例だ。
「いりません」と言えない。
「買わない」と断れない。
「あ、大丈夫です」「ちょっと考えます」などと曖昧に濁し、結局、流されるままに購入してしまう。
そして、しばらく後悔し、それでもなんだかんだで使い始める。
あの限定ボトルのディフューザーも、きっといつか、私を癒やすことになるだろう。
まだ、その「いつか」は来ていないけれど。
日本語ネイティブが『いいえ』を使わないように、私もまた、自分の中の「いらない」「やめておこう」という声に、素直に「いいえ」と言えないのかもしれない。
それは、相手を傷つけたくないとか、場の空気を壊したくないという気持ちからくるものなのか。
それとも、単に優柔不断なだけなのか。
おそらく、両方なのだろう。
でも、まあ、それでいいか、と思う。
曖昧な言葉遣いの中に、ちょっとした人間らしさや、日本人ならではの気遣いがあるのかもしれない。
そして、衝動買いしたディフューザーも、いつか私を癒やしてくれる日が来るはずだ。
たとえ、それが来なくても、部屋の隅でひっそり佇む姿を見ていると、なんだかちょっとだけ心が和む。
ああ、私、たまにはこういう無駄遣いもするんだな、と。
そんなことを考えていたら、猫がまた私の顔に前足を乗せてきた。
さっきのおやつが足りなかったらしい。
私の「いいえ」は、今日もどこかへ行ってしまった。
💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。
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