📝 この記事のポイント
- 久しぶりに料理をしたら、塩と砂糖を間違えて悲惨な結果になった。
- 正確には、鶏肉のソテーをしようと、下味用の塩と、照り焼きソース用の砂糖を、なぜか同時に手に取ってしまって、パニックに陥ったのだ。
- 気がつけば、フライパンの中では甘じょっぱい謎の物体が、もはや鶏肉としての尊厳を失いかけていた。
久しぶりに料理をしたら、塩と砂糖を間違えて悲惨な結果になった。
正確には、鶏肉のソテーをしようと、下味用の塩と、照り焼きソース用の砂糖を、なぜか同時に手に取ってしまって、パニックに陥ったのだ。
気がつけば、フライパンの中では甘じょっぱい謎の物体が、もはや鶏肉としての尊厳を失いかけていた。
妻に申し訳なさそうに「ごめん、今日は出前でいいかな」と提案したら、幼児を抱えた妻は、一瞬ぎょっとした顔のあと、むしろ嬉しそうに頷いた。
普段からろくに料理をしないくせに、たまに台所に立つとこれだ。
どうにも要領が悪いという自覚はある。
我が家は在宅勤務になってから、食事の準備は妻に任せっきりになっている。
妻は専業主婦で、日中は幼い娘の相手で手いっぱいだから、せめてもの償いにと、週に一度くらいは僕が腕を振るう(という建前)ことになっているのだけれど、いつもこの手の失敗で終わる。
最近はもっぱら、休日の昼食にサッポロ一番塩ラーメンを作って、その上に冷蔵庫の残り物を適当に乗せる「ラーメンプロ」を自称している。
これもラーメンの基本である「塩」という文字だけを頼りにしているわけで、いつか「味噌」の文字と間違えて、とんでもないものを生み出しやしないかと、ひそかに恐怖している。
ラーメン作りすら、僕にとっては一種の挑戦なのだ。
そんな塩と砂糖すら区別がつかない僕が、先日ネットニュースで目にした「京都大学の27歳女性准教授」の話には、思わず二度見してしまった。
履歴書的には高卒、数学オリンピックに挑むため高校を転校、大学と大学院を中退しては飛び級を繰り返す、とある。
異次元すぎる、という見出しに納得するしかない。
なにしろ僕の人生は、大学も大学院も、なんなら幼稚園から高校まで、全ての過程を滞りなく、むしろ教科書通りに満期終了してきた人間なのだ。
なんなら大学も一浪して、周りの友人たちより一年遅れて入学したくらいだ。
飛び級なんて、漫画や映画の中だけの話だと思っていた。
彼女の経歴を読んでいて、ふと思ったことがある。
僕が学生時代にハマっていたものは、一体なんだったのだろう、と。
高校時代は、友人と集まっては延々とゲームをしていた。
特に「桃太郎電鉄」は、朝までやっても飽き足らず、寝不足のまま授業中に居眠りをして、先生にチョークを投げつけられたこともあった。
大学に入ってからは、オンラインゲームに夢中になり、寝食を忘れてキャラクターを育て上げた。
あの頃の情熱と集中力を、もし学業に向けていたら、僕もひょっとしたら「飛び級」とまではいかなくても、もう少し華々しい学生生活を送れたのではないか。
いや、きっと無理だろう。
僕にはゲームという明確な「ゴール」があったからこそ、熱中できたのだ。
学問には、ゲームのようなわかりやすいゴールが見えなかった。
それが僕の限界だったのかもしれない。
そして、そのゲームも、結婚して子どもが生まれてからは、すっかりやらなくなった。
たまにコントローラーを握っても、昔のように時間を忘れて没頭することはできない。
頭の片隅で「そろそろ娘のおむつ替えの時間かな」「明日の朝食、パンが足りるかな」なんて雑念がよぎり、集中力が途切れてしまう。
昔は一度ハマると、周りの声が聞こえなくなるくらい熱中できたのに。
ゲーム熱も冷めてしまい、もはや僕の趣味といえば、休日の昼間に娘を抱っこして近所を散歩するくらいのものだ。
これも、妻が娘と少しでも離れてゆっくりしたいだろうという、まあ、なんというか、僕なりの気遣いと、あと、単純に運動不足解消のためだったりする。
そんな僕が、あの准教授のニュースを読んで、少しだけ考えさせられたのは、「飽きる」ということについてだった。
彼女はきっと、与えられた環境やカリキュラムに「飽きて」しまい、次々と新しい刺激を求めた結果、飛び級を繰り返すことになったのだろう。
僕の場合、ゲームに飽きて、別のゲームに手を出し、また飽きて、というのを繰り返していた。
それは、学問という崇高なものとは程遠い、ただの「飽き性」と呼べるものだ。
でも、もしかしたら、その根底にある「もっと面白いものはないか」という探求心は、形こそ違えど、共通するものなのかもしれない。
いや、さすがにそれはこじつけが過ぎるか。
僕と彼女では、あまりにも地平が違いすぎる。
でも、そうやって、何かに夢中になったり、飽きたり、また別のものに挑戦したり、そしてまた最初のものに戻ってきたり、という繰り返しが、人生というものなのかもしれない。
ラーメンプロを自称する僕が、たまには本格的な鶏肉のソテーに挑戦して、塩と砂糖を間違えてしまう。
そして、また出前に頼んでしまう。
そんな失敗を繰り返しながら、少しずつ、ほんの少しずつでも、前に進んでいる、と信じたい。
いつか、僕も「ラーメンプロ」を卒業して、塩と砂糖を間違えないくらいには料理ができるようになる日が来るのかもしれない。
その時はきっと、妻も娘も、今度こそ心から喜んでくれるだろう。
いや、やっぱり出前のほうが喜ぶか。
そんなことを考えながら、今日も出前アプリを眺める僕だった。
💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。
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