なくなった靴下と、曾祖父の庭にあったもの

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📝 この記事のポイント

  • どうやらわが家の洗濯機には、異次元への扉が隠されているらしい。
  • 乾燥機から出てきたはずの靴下たちは、なぜか必ず片方だけ行方不明になる。
  • まるで「おい、お前、こっちの世界に来てみろよ」と、向こうから手招きされているかのようだ。

洗濯物を干していたら、靴下の片方がない。

これで今月3枚目である。

どうやらわが家の洗濯機には、異次元への扉が隠されているらしい。

乾燥機から出てきたはずの靴下たちは、なぜか必ず片方だけ行方不明になる。

まるで「おい、お前、こっちの世界に来てみろよ」と、向こうから手招きされているかのようだ。

家族からは「またか」と冷たい視線を浴びせられ、小学三年生の息子からは「パパ、靴下を食べる妖怪がいるんじゃない?

」と真顔で言われる始末。

いや、妖怪がいるなら、せめて両方食べてくれ。

片方だけ残されると、こっちとしては困るんだよ。

この手の生活の謎現象に直面するたび、僕はいつも言い訳を考える。

「いや、きっと洗濯機の奥に入り込んでいるだけなんだ」「いや、ひょっとしたら、どこかに穴が開いていて、そこから落ちたのかもしれない」などと、もっともらしい理由を並べ立てる。

しかし、どれもこれも説得力に欠ける。

結局のところ、僕の管理能力の欠如に尽きるのだろう。

でも、これだけは言わせてほしい。

妻が洗った時は、なぜか片方だけなくなることは少ない。

これは一体、どういうことなんだろうか。

妻が魔術師なのか、それとも僕の靴下にだけ特別な引力でも働いているのか。

まあ、多分、僕が適当に突っ込むから、洗濯ネットから出たり入ったりする際に、どこかに潜り込むんだろう。

反省はしている。

次はもっと丁寧に、一足ずつ洗濯ネットに収めるようにしよう。

たぶん、いや、きっと無理だろうけど。

そんな、日常のちっちゃなドタバタに頭を悩ませていたある週末のこと。

実家に子どもたちを連れて行った際、祖父がふと昔の話を始めた。

曾祖父、つまり祖父の父の話だ。

僕の中での曾祖父のイメージは、明治の終わりから大正、昭和にかけて生きた、どちらかというと「質素倹約」「武士は食わねど高楊枝」みたいな、ちょっと枯れた感じの昔の人、という漠然としたものだった。

戦後、日本が近代化の道を猛スピードで駆け上がった、その直前の世代。

僕らが子どもの頃に教わった歴史では、「戦前は貧しかった」「物資がなかった」というようなニュアンスが強かったように思う。

だから、曾祖父の暮らしも、当然そういうものだと勝手に思い込んでいたのだ。

ところが、祖父の話は僕の勝手なイメージを木っ端微塵に打ち砕いた。

「お前のおじいちゃん(曾祖父のこと)の家にはな、庭に立派な池があったんだよ。

鯉が泳いでいて、季節ごとに蓮の花が咲いて、それはもう見事だった。

春には椿、夏には百日紅、秋には菊、冬には水仙が咲き誇ってね。

池のほとりには茶室もどきの小さな東屋があって、そこで近所の旦那衆が集まっては、お茶を点てたり、和歌を詠んだりしていたんだ。


僕は思わず「ええっ!

」と声を上げた。

茶室に和歌?

僕の頭の中にあった曾祖父像は、農作業で汗を流し、質素な食事を囲む姿だったはずだ。

それが、池に茶室、和歌とは。

なんというか、僕の知る歴史の教科書とはまったく違う、はるかに豊かな文化がそこにあったらしい。

祖父は続けた。

「夏になると、庭で素麺を流したりもしたなぁ。

竹を組んで、冷たい湧き水を流して。

子どもたちはそれを追いかけて、キャーキャー言って。

当時は水道がまだ十分に普及してなかったから、そういう湧き水が貴重でね。

近所の人たちも水を汲みに来たもんだ。

おじいちゃんはよく、その水で冷やした西瓜をみんなに振る舞ってたよ。


流し素麺!

西瓜の振る舞い?

まるでどこかの観光地や料亭の話を聞いているようだ。

僕がイメージしていた「戦前の貧しさ」とはあまりにもかけ離れた、むしろ現代の僕らの暮らしよりも、ある意味では贅沢で、ゆとりのある生活風景がそこにはあった。

「それだけじゃないぞ」と祖父はさらに話を重ねた。

「おじいちゃんの家には、お抱えの職人さんもいたんだ。

庭の手入れをする庭師さん、屋根を葺く職人さん、それから大工さん。

みんな代々、うちに出入りしてくれてね。

もちろん、普段はそれぞれ自分の仕事をしてるんだけど、何かあるとすぐに来てくれた。

毎年、お盆と正月には、みんなで餅つきをして、大勢でご馳走を食べたもんだよ。

おじいちゃんはそういうのを大事にする人だったからなぁ。


お抱えの職人さん!

もう、これは完全に僕の想像を超えている。

僕らの世代からすると、庭師さんを呼ぶのも、屋根を直すのも、大工さんにお願いするのも、それなりに一大イベントであり、それなりのお金がかかることだ。

それが「お抱え」となると、もう規模が違う。

曾祖父は、僕の知らないところで、とんでもない「旦那様」だったらしい。

祖父の話を聞きながら、僕は少しばかり苦笑いをしてしまった。

僕らは「戦後、日本は経済成長を遂げて豊かになった」というストーリーを信じて疑わないけれど、それは一面的な見方に過ぎないのかもしれない。

地域によっては、階層によっては、戦前からすでに豊かな文化や生活があった。

そして、その豊かさは、ただお金がある、ということだけではなく、地域の人々との繋がりや、自然との調和の中にこそあったのかもしれない。

「でもさ、じいちゃん」と僕は尋ねた。

「そういう豊かな暮らしがあった一方で、本当に貧しい人もたくさんいたんだよね?


祖父は頷いた。

「もちろんさ。

おじいちゃんの家は、その地域では恵まれた方だった。

でも、少し離れた村に行けば、食べるものにも困っている家はいくらでもあった。

病気になっても医者にかかれず、亡くなってしまう人も少なくなかった。

学校に行けない子どももたくさんいたしね。

同じ時代を生きていても、見える景色は人それぞれだったんだ。


なるほど、と僕は思った。

近代化のイメージは画一的で、戦前は一括りに「貧しい」と教えられがちだけど、実際には大きな格差が存在し、豊かな人々は豊かな暮らしを享受していた。

そして、その豊かさは、現代の僕らが「豊かさ」と定義するものとは、少しばかり質が違うようにも思える。

実家からの帰り道、助手席に座る妻がスマホで何かを調べている。

「ねぇ、あなた。

この辺りにも、昔は立派な屋敷がたくさんあったみたいよ。

地図で見ると、この道沿いにも豪農の家があったって書いてあるわ」と教えてくれた。

僕らは、普段、何の気なしに車で通り過ぎている道が、かつてはもっと多様な暮らしの舞台だったのだと、ようやく気づいた。

自宅に戻って、またしても洗濯機から出てきた片方だけの靴下を眺める。

今月4枚目だ。

僕はため息をつきながら、残された片割れをそっと引き出しにしまった。

いつか、もう片方が異次元から帰ってくることを願いながら。

「パパ、今日のご飯、何にする?

」と、キッチンから長男の声がする。

「カレーがいい!

」と次男も続く。

「よし、今日はカレーにしよう!

」僕は元気よく答えた。

曾祖父の庭にあった池や茶室、流し素麺の記憶は、僕の中ではまだぼんやりとした輪郭しか持たないけれど、いつか子どもたちにも、僕らのルーツにある多様な「豊かさ」の物語を語ってやれる日が来るだろうか。

そのためには、まず、この靴下行方不明事件を解決するところから始めないと。

そう思いながら、僕は冷蔵庫からカレールーを取り出した。

たぶん、解決は無理だろうけど。

そしてきっと、また来月も靴下は片方だけになるんだろう。

それでも、まあ、いっか。

そんな小さな失敗を笑い飛ばせるくらいの、ゆとりある暮らしを、僕も少しは手に入れたいものだ。

曾祖父のように、とはいかないまでも。


💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。

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