📝 この記事のポイント
- 図書館で借りた本の返却期限が過ぎていて、延滞金を払う羽目になった。
- いつも使ってるあの自動貸出機で、ピピッとカードをかざして借りるまではスマートなのに、返す時だけはなぜか、誰かに見られているような妙な緊張感がある。
- 特に延滞金が発生すると、カウンターに直行して係の人と目を合わせなきゃいけないから、もうそれだけで一日分のエネルギーを使い切ったような気分になる。
図書館で借りた本の返却期限が過ぎていて、延滞金を払う羽目になった。
いつも使ってるあの自動貸出機で、ピピッとカードをかざして借りるまではスマートなのに、返す時だけはなぜか、誰かに見られているような妙な緊張感がある。
特に延滞金が発生すると、カウンターに直行して係の人と目を合わせなきゃいけないから、もうそれだけで一日分のエネルギーを使い切ったような気分になる。
たった百円ぽっちの延滞金だけど、その「しまった!
」感は千円払うのと大差ない気がするんだよね。
いや、千円なら財布から出す瞬間に「あ、これ今日のお昼代が…」とかリアルな痛みが伴うから、むしろ百円の方が精神的なダメージが大きいかもしれない。
なんか、もっと気軽に「あ、過ぎちゃった、テヘペロ!
」くらいのノリで払わせてほしい。
そうすれば、もう少し本も借りやすくなるんだけどなあ、なんて。
そんなことを考えていたら、ふと、数週間前に届いた一通のメールを思い出した。
大学の学籍アカウントに紐づけられたGoogleドライブから、「まもなく容量上限を超えます。
超過分は削除されます」みたいな、そっけない警告文。
昔から、ああいう事務的なメールって、どうも読み飛ばしちゃう癖があるんだよね。
なんか、見た目が全部同じで、感情がこもってない感じがして。
まるで、スーパーの開店前に並んでる段ボール箱みたいに、無表情で大量に積み重なってるから、どれが大事でどれがどうでもいいのか、判別不能になっちゃう。
だから、そのメールも「ああ、なんか来たな」くらいの認識で、特に気に留めてなかった。
どうせ、使ってないデータばっかりなんだろうし、むしろ整理してもらえてラッキー?
くらいの、かなり楽観的な解釈をしていたわけだ。
だけど、先日、仕事で急に過去の資料が必要になって、久しぶりにその「Googleドライブ」を開いてみたんだ。
そしたら、まあ、びっくり。
ファイルがない。
フォルダがない。
いや、厳密に言うと、フォルダはいくつか残ってるんだけど、中身がほぼ空っぽ。
まるでお引っ越しが終わった後のガランとした部屋みたいに、見慣れたアイコンが一つも転がってない。
え、うそでしょ?
私のあの「卒論関連資料(絶対消すな)」フォルダは?
「ゼミ発表用(激ヤバ)データ」は?
「友人との思い出写真(青春の全て)」はどこへ行ったの?
頭が真っ白になった。
いや、真っ白を通り越して、なんか、透明になった感じ。
存在しない、無、みたいな。
普段、在宅ワーカーとしてパソコンと猫と向き合う生活を送っていると、時間感覚がちょっとおかしくなるんだよね。
朝起きて、猫にご飯をあげて、コーヒーを淹れて、パソコンを開く。
気づけば夕方で、猫にご飯をあげて、夕食を作って、またパソコンを開く。
そんな繰り返しの中で、データっていうのは「そこにあるもの」として、空気みたいに当たり前すぎて、その存在を意識することなんて滅多にない。
でも、それが突然消え去ると、いかに自分がその存在に依存していたか、心の底から思い知らされるわけだ。
まるで、毎朝起きて当然のように顔を洗う蛇口から、ある日突然水が出なくなった時の絶望感と似ているかもしれない。
え、顔洗えないじゃん、どうしよう、みたいな。
慌てて大学のポータルサイトにログインして、学籍アカウントの利用規約とか、ストレージポリシーとか、そういう普段なら絶対に見ないような隅っこまで熟読してみた。
なんか、文字が小さすぎて、虫眼鏡が必要なんじゃないかと思うくらい。
そして、そこにはしっかり書いてあった。
「卒業後〇年経過したアカウントのドライブ容量は制限され、超過分は削除されます」って。
しかも、警告メールが複数回送られている、とも。
あ、なるほど。
あれ、やっぱり大事なメールだったんだ。
そして、私、見事にそれらをスルーしていたんだね。
自分のズボラさに、もう乾いた笑いしか出てこない。
その時、ふと、ある疑問が頭をよぎった。
そもそも「ドライブ」って、一体なんだろう?
私が知ってる「ドライブ」といえば、自動車を運転する「ドライブ」か、ゴルフのティーショットを打つ「ドライバー」くらいなものだ。
それが、なんでパソコンの中の記憶領域を「ドライブ」と呼ぶんだろう?
昔、パソコンを買った時に「ハードディスクドライブ」って聞いたことがあるような、ないような。
なんか、そういう語源的なものが気になりだしたら、もう止まらない。
仕事の手を止めて、調べ始めた。
調べた結果、なるほど、そういうことだったのかと。
昔のコンピューターは、データを記録するために、円盤状の「ディスク」を高速回転させて読み書きしていたらしい。
そのディスクを回す装置が「ドライブ」と呼ばれていて、それが転じて、データを保存する場所全体を「ドライブ」と呼ぶようになったんだとか。
へー、知らなかった。
なんか、勝手に「データをぐいぐい中に押し込むからドライブ」とか、「ドライブスルーみたいにデータが行き交うからドライブ」とか、意味不明な解釈をしてたけど、全然違った。
この発見は、私にとってちょっとした衝撃だった。
だって、普段何気なく使っている言葉の裏側に、そんな昔ながらの物理的な動きがあったなんて。
まるで、毎日当たり前のように使っているスプーンが、実はどこかの鍛冶屋さんが一つ一つ手作業で叩いて作ったものだった、と知るような驚きだ。
いや、さすがにそれは違うか。
でも、なんか、こう、見えないところにちゃんと歴史があるんだな、と。
それにしても、私のパソコンの中にある「ドライブ」は、一体どこにあるんだろう?
物理的に回転するディスク、って言われると、なんか、ガタガタ動いてそうじゃない?
ノートパソコンの中に入ってるってことは、私がこのパソコンを膝の上に乗せてカタカタ文字を打ってる間も、どこかで円盤がギュンギュン回ってるってこと?
それを想像すると、なんか、パソコンが愛おしくなってきた。
頑張って回ってるんだな、お前。
熱くなりがちなのも、きっとそのせいだね、と。
いや、今のパソコンはSSDだから、もう円盤は回ってないらしいけど。
そこは、ロマンとして残しておきたい。
結局、失われたデータは、二度と戻ってくることはなかった。
まあ、過去の自分が「どうせ使わないだろう」と判断して放置したんだから、自業自得といえばそれまでなんだけど。
でも、やっぱり、なんか、心にぽっかり穴が開いたような、そんな気分。
大学時代の、あのどうしようもなくキラキラしてた(と、今となっては思う)時期の、ちょっとおかしなレポートや、友達とのどうでもいいチャットログなんかが、根こそぎ消えてしまった。
でも、それもまた、人生だよね、なんて。
昔のデータが消えても、私の日常は何も変わらない。
猫は相変わらず私のキーボードの上で寝てるし、朝ごはんのパンは今日も焦げ付いた。
夕方のニュースでは、どこかの地域でまた「ヒグマが目撃されました」と報じていた。
私の生活は、相変わらず、些細なこだわりと、どうでもいい疑問と、猫の毛にまみれて続いている。
それに、消えてしまったドライブの代わりに、私の頭の中には、新しい「ドライブ」が生まれた気がする。
それは、昔のパソコンが持っていた、物理的に回るディスクの「ドライブ」。
なんだか、古き良きものへの郷愁と、新しいものへの好奇心が混ざり合った、ちょっと不思議な感覚。
今度、ハードオフにでも行って、昔のパソコンがどんな音を立てていたのか、ちょっと見てみようかな。
いや、それより、まずは返却期限を忘れずに、図書館の本を返しに行かなきゃ。
また延滞金を払うのは、さすがにもう勘弁してほしいから。
💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。
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