📝 この記事のポイント
- ファミレスで隣の席の家族の会話が面白すぎて、料理が喉を通らなかった。
- 小学低学年くらいの男の子が、「パパ、おしっこ漏らしたことある? 」と真顔で問い、父親が「え、ないよ、まさか」と動揺しながら答える。
- そのやり取りを母親がニヤニヤしながら見ている。
ファミレスで隣の席の家族の会話が面白すぎて、料理が喉を通らなかった。
小学低学年くらいの男の子が、「パパ、おしっこ漏らしたことある?
」と真顔で問い、父親が「え、ないよ、まさか」と動揺しながら答える。
そのやり取りを母親がニヤニヤしながら見ている。
こういう他愛もない瞬間が、疲れた心には染みるんだよね。
僕の頼んだチーズインハンバーグはすっかり冷めて、固まりかけたチーズが「早く食べなさいよ」と語りかけてくるようだった。
昔の僕は、もう少し要領が良かったというか、楽観的だった気がする。
大学に入学したばかりの頃なんて、それこそが人生のピークだと信じて疑わなかった。
授業はテキトーに単位を取って、あとはひたすらバイトとサークル、そして友達とバカ騒ぎ。
就職なんてまだ先の話だし、なんとかなるでしょ、くらいに考えていた。
レポートの提出期限はいつもギリギリで、徹夜して書き上げるのが定番だったけれど、それでも「まぁ、間に合ったからいっか」と、根拠のない自信に満ち溢れていたんだ。
あの頃は、未来に対する漠然とした希望というか、自分は特別な存在だとでも思っていたのかもしれない。
根拠は特にない。
強いて言えば、親に褒められて育った経験くらいだろうか。
当時、僕の周りにも就職活動を始めた先輩たちがいたけれど、彼らが口にするのは「意外と楽勝だった」「とりあえず大手何社か受けたら内定出たよ」みたいな話ばかりだった。
もちろん、苦労した人もいたんだろうけど、そういう情報は耳に入ってこなかった。
聞く耳を持っていなかった、という方が正しいかもしれない。
僕の脳内では「就職活動=そこそこ頑張ればなんとかなるイベント」という認識が、がっちり固定されてしまっていた。
だから、卒業研究で忙しくなる3年生の終わりくらいまでは、ゼミの教授に「就活、どうするんだ?
」と聞かれても、「あー、そろそろですねー」なんて、適当な返事をしていたんだ。
あの頃の自分に、今の状況を教えてあげたら、きっと信じないだろうな。
いや、もしかしたら「他人事だと思って笑っていられるうちはまだマシだ」なんて、斜に構えていたかもしれない。
今の僕はどうかというと、あの頃の自分が呆れるくらい、ちっとも要領が良くない。
というより、要領が良いどころか、ただただ追い詰められている。
大学院に進学し、研究室とバイトの往復で、気づけば2度目の就職活動に突入していた。
去年のことだ。
約15社に応募して、書類選考を突破し、面接を重ねて、5社まで最終面接に進んだ。
正直、自分でも「これはもう、どこかには決まるだろう」と、淡い期待を抱いていた。
期待、というより確信に近いものがあった。
だって、最終面接まで行くってことは、それなりに評価されているってことだよね?
そう思っていたのに、結果は全滅。
見事に不合格の通知を突きつけられた。
メールで届く「ご期待に沿えず」の定型文を、何度読み返したことか。
あの時は、本当に目の前が真っ暗になった。
実験で失敗した時とは比べ物にならないくらい、心が折れた。
いや、実験の失敗はまだやり直せるけど、就活はそうはいかない。
結局、僕は大学院を休学して、もう一度就職活動に臨むことにした。
両親に頭を下げて、休学費用を捻出してもらった。
その時の親の顔が、今でも夢に出てくることがある。
申し訳なさで、胸が締め付けられるんだ。
休学したからには、もう後がない。
そう自分に言い聞かせて、毎日スーツを着て、パソコンに向かって企業研究をして、エントリーシートを書きまくる。
でも、去年の最終面接全滅の記憶がどうしても頭から離れない。
面接官の表情、自分が答えた言葉、その時の空気感。
全部がフラッシュバックして、自信を削り取っていく。
夜中に目が覚めて、天井を見つめながら「俺、このままずっと決まらないんじゃないか?
」と、漠然とした不安に襲われることも少なくない。
周りの友人や先輩の話を聞くと、今の就職活動には、昔の氷河期とはまた違った種類の重圧があるらしい。
「今は逃げ場がないよね」と、先日、バイト先の先輩がポツリと呟いた。
彼も同じように就活で苦労した経験があるらしく、僕の顔を見て、何かを察したようだった。
「昔は、とりあえずどこかには滑り込めるみたいな空気もあったけど、今はもう、そういう選択肢すら許されない感じがする」と。
確かに、昔の就職活動って、とりあえずどこかに決まったらそれでOK、みたいな大らかな部分があったのかもしれない。
それこそ、僕の父親の世代なんて、大学を出たら会社が迎えに来てくれた、なんて都市伝説のような話を聞いたことがある。
もちろん、それは言い過ぎだろうけど、少なくとも今ほど殺伐とはしていなかっただろう。
今の就活は、企業側も学生側も、お互いを探り合う視線が鋭すぎる気がする。
僕らが企業を選ぶと同時に、企業もまた僕らを厳しく選別する。
どこか一社に決まれば終わり、ではなく、本当に自分に合った場所なのか、将来性はあるのか、ワークライフバランスは、給料は、福利厚生は……。
考えれば考えるほど、選択肢は増えるのに、正解が見えなくて、どんどん身動きが取れなくなる。
そして、もし選ばれたとしても、それが本当に自分の望んだ結果なのか、ずっと自問自答を繰り返すことになる。
結局、内定が出ても、その先もまた不安は尽きないんだ。
逃げ場がない、というのは、そういうことなのかな、と思ったりする。
変わったことと言えば、僕の日常の習慣だろうか。
昔は、朝起きるのが苦手で、目覚ましを5回くらいスヌーズにして、ようやくベッドから這い出すような人間だった。
でも、今は違う。
朝6時には目が覚める。
いや、目覚ましが鳴る前に目が覚める、と言った方が正しいかもしれない。
それも、すっきりと起きるわけではなく、漠然とした焦燥感に突き動かされるように、だ。
そして、朝食はちゃんと食べるようになった。
昔は朝食を抜くことも多かったけれど、今は少しでも体に良いものを、と、納豆と卵と味噌汁を欠かさない。
まるで修行僧のようだ。
これは、健康管理というより、自分を律することで、少しでも就活の成功率を上げたいという、藁にもすがる思いからきている。
あとは、情報収集に対する執着心も変わった。
昔は、気になるニュースがあっても、見出しをサラッと読む程度で終わっていたのに、今は違う。
新聞の経済面から、ビジネス系のウェブサイト、果ては就職活動専門の掲示板まで、あらゆる媒体に目を通す。
業界の動向、企業の戦略、競り合うライバル企業の動き。
まるで株のトレーダーのような情報収集量だ。
以前は、テレビでニュースを見ても「ふーん」で終わっていたのに、今は「これはあの企業にどう影響するんだろう」とか、「もしかしたら、このニュースが面接で聞かれるかも」とか、常に就活と紐付けて考えてしまう。
純粋に情報を楽しむというより、情報を武器にしようとしている自分がいる。
変わらないこと、と言えば、やっぱり怠惰な部分だろう。
いくら朝早く起きるようになったり、情報収集を欠かさなくなったりしても、根っこの部分は変わらない。
例えば、毎日ストレッチをしようと、一念発起してヨガマットを買ったのに、結局三日坊主で終わった。
最初はYouTubeの動画を見ながら、真剣にポーズを取っていたのに、いつの間にかマットは部屋の隅でホコリをかぶっている。
あれは、僕が「意識高い系」になろうとした、数少ない試みの一つだった。
あとは、英語の勉強もそうだ。
TOEICの参考書を何冊か買って、最初の一週間は毎日1時間、机に向かった。
でも、2週間目に入ると、だんだん腰が重くなって、結局、今では本棚の飾りと化している。
休学して時間ができた分、もっと有効活用しなきゃ、と頭では分かっているのに、どうしても体が動かない時がある。
夕食の後、疲れてソファに横になったら、そのまま寝落ちしてしまうなんて日常茶飯事だ。
朝、目覚ましが鳴る前に起きることはできるのに、その後の時間の使い方は、昔と何も変わっていない。
就活に関する作業はできるけれど、それ以外の、自分のスキルアップとか、心身のリフレッシュとか、そういう「すぐには結果が出ない」ことに関しては、途端にモチベーションが続かなくなる。
結局、僕は昔から変わらず、目先の目標にしか集中できない、怠惰な人間なんだろうな、と思う。
ファミレスで冷え切ったハンバーグを食べ終えて、ブラックコーヒーを一口飲む。
苦味が舌に残る。
隣の家族は、もうデザートのプリンを囲んで、また楽しそうな会話をしている。
なんだか、彼らの平和な日常が、今の僕には少し眩しい。
でも、この感じ、嫌いじゃない。
むしろ、こういう光景があるからこそ、また明日も頑張れる気がするんだ。
会計を済ませて店を出ると、外はもうすっかり日が暮れていた。
バイトに向かうには、まだ少し時間がある。
このまままっすぐバイト先に向かうのもいいけれど、少しだけ、遠回りして帰ろうかな。
コンビニに寄って、ついでに缶コーヒーでも買って、夜風に当たりながら、今日の家族の会話を思い出してみるのも悪くない。
もしかしたら、その中に、僕が今、見つけられない「逃げ場」のヒントが隠されているかもしれないし、ないかもしれない。
まぁ、どっちでもいいや、と今は思う。
ただ、少しだけ、日常から離れたい気分だった。
💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。
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