魔法の調味料、日本の食卓に帰る

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📝 この記事のポイント

  • 銀行のATMで操作を間違えて、後ろに並んでいる人のプレッシャーを感じた。
  • いつもならサッと終わるはずが、なぜかパスワードを3回も打ち間違える。
  • 後ろから聞こえる「チッ」という舌打ちに、もういっそ預金全額を下ろして逃げ出してしまいたい衝動に駆られた。

銀行のATMで操作を間違えて、後ろに並んでいる人のプレッシャーを感じた。

いつもならサッと終わるはずが、なぜかパスワードを3回も打ち間違える。

焦る。

焦るとまた間違える。

後ろから聞こえる「チッ」という舌打ちに、もういっそ預金全額を下ろして逃げ出してしまいたい衝動に駆られた。

幸い、4回目で無事に取引完了。

冷や汗を拭きながら、自動ドアを押し開ける。

外の空気は、もうすっかり秋めいて肌寒い。

単身赴任から帰ってきて半年。

家族との生活にも、ようやく慣れてきた気がする。

いや、慣れてきたのは僕の方か。

最初は戸惑うことばかりだった。

朝食のパンは耳を切るのか切らないのか。

洗濯物はいつ畳むのが正解なのか。

僕が不在の間に、家族のルールは密かに更新されていたらしい。

まるで新しい会社に転職した気分だった。

季節の変わり目は、毎年ちょっと体調を崩しやすい。

気温の変化についていけないというか、体が衣替えを拒否しているというか。

先日も、鼻水が止まらなくて、ティッシュの箱を抱えながら食卓に座った。

妻が僕の皿に、温かい煮物をよそってくれる。

「これ、出汁がよく効いてるね」と僕が言うと、娘がニヤリと笑った。

「パパ、それね、ママがアメリカで発明した魔法の調味料でできてるんだよ」

魔法の調味料。

そんな仰々しいもの、僕の知る限りでは家にない。

訝しげに妻を見ると、彼女は「あー、バレたか」と苦笑いしている。

彼女が言ったのは、めんつゆ、ごま油、すき焼きのたれ、そしてほんだし(顆粒)。

この4つを駆使して、アメリカでの自炊生活を乗り切っていたらしい。

聞けば、アメリカのスーパーには日本の調味料が少ない。

あっても妙に高い。

醤油はかろうじて手に入るけれど、それだけではレパートリーが広がらない。

そこで妻は、この4つの「禁止カード」を編み出した。

めんつゆは、煮物にも麺類にも万能。

ごま油は炒め物、スープ、和え物となんでもござれ。

すき焼きのたれは、肉料理の味付けを一手に引き受ける。

そして、ほんだしは日本の味の根幹を支える。

「これさえあれば、大抵の和食は作れたのよ」と妻は得意げに話す。

「アメリカで、日本食レストランに行くと、日本人のお客さんがね、みんな『うわぁ、この味、懐かしい!

僕もアメリカにいた時は、自炊に苦労した。

ひたすら鶏肉を焼いて、塩胡椒で味付けする日々。

タバスコとケチャップが僕の親友だった。

日本のスーパーで当たり前のように並んでいる「焼肉のたれ」や「中華あじ」が、どれだけ偉大だったか。

異国の地で初めて知る、日本の調味料の底力。

帰国して、日本のスーパーの充実ぶりに感動した。

ずらりと並んだドレッシングの種類の多さ。

漬物コーナーの奥深さ。

あれもこれもとカゴに入れていると、すぐにレジ袋がパンパンになる。

そして、その中には必ずめんつゆ、ごま油、すき焼きのたれ、ほんだしが入っている。

かつての僕なら、そこまで意識することなく買っていた調味料たち。

今ではもう、彼らを「禁止カード」と呼んでしまう妻の気持ちが、痛いほど分かる。

ある日の夕食は、鶏肉の照り焼きだった。

甘辛い香りが食欲をそそる。

一口食べると、ご飯が止まらない。

これ、きっとすき焼きのたれを使ってるな、と僕は確信した。

妻に聞くと、ビンゴ。

娘が「パパ、おかわり!

」と空っぽになった茶碗を差し出す。

僕も負けじと、もう一杯。

日本の食卓は、なんて豊かだ。

季節の移ろいを感じるたびに、僕は過去と現在を行ったり来たりする。

アメリカで過ごした夏は、どこまでも乾燥していて、日差しが強かった。

日本の夏は、湿気と蝉の声。

そして、秋が来ると、からっとした空気と金木犀の香りが、少し寂しい気分にさせる。

単身赴任から帰ってきて、この季節感を家族と分かち合えることが、何よりも嬉しい。

先日、近所のスーパーで、珍しい醤油を見つけた。

高級な丸大豆醤油。

思わず手に取って、裏の成分表示をじっくりと見てしまう。

かつての僕なら、値段と「特選」の二文字で決めていたはずだ。

でも、アメリカでの経験が、僕の味覚と調味料への意識を変えた。

たかが醤油、されど醤油。

一本の醤油の向こうに、壮大なドラマがあることを知ってしまった。

僕がアメリカで「禁止カード」にしたのは、おそらくカップ麺だった。

あの手軽さと、故郷の味。

ちょっと疲れた時、どうしても日本の味が恋しい時、そっと棚から取り出して、お湯を注ぐ。

あの罪悪感と安堵感が入り混じった瞬間を、何度経験したことか。

妻は、アメリカで日本の調味料が「禁止カード」になったと言う。

僕も、アメリカではカップ麺が「禁止カード」だった。

どちらも、異国の地で、日本の味を支える最後の砦。

そして、日本の食卓に帰ってきた今、それらは「魔法の調味料」や「手軽な贅沢」へと、その役割を変える。

人間って面白い。

環境が変われば、価値観も変わる。

当たり前だったものが、かけがえのないものになる。

そして、また当たり前の日常に戻ると、そのかけがえのなさを忘れて、また新しい「禁止カード」を探してしまう。

きっと、それもまた、僕たちの日常の一部なのだろう。

家族との食卓で、娘が「この煮物、アメリカの味がする!

」と叫んだ。

妻と僕は顔を見合わせて笑う。

ああ、僕たちの日常は、こんなささやかな発見と笑いに満ちている。

これこそが、僕が一番求めていたものだったのかもしれない。

外は、もうすっかり冬の気配が漂い始めている。今夜の夕食は何だろう。もしかしたら、妻がまた新しい「禁止カード」を発掘しているかもしれない。そんなことを考えながら、僕は温かいお茶をすすった。


💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。

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