📝 この記事のポイント
- 公園のベンチで休憩していたら、鳩に囲まれてパニックになった。
- ちょっとした日差しの中、ぼんやりとスマホを眺めていたら、突然足元で「ポッポー! 」と鳴く声がしたかと思えば、瞬く間に私の周囲がグレーの絨毯で埋め尽くされていたのだ。
- まるで私が巨大な餌袋であるかのように、彼らは頭をカクカクさせながら、じりじりと距離を詰めてくる。
公園のベンチで休憩していたら、鳩に囲まれてパニックになった。
ちょっとした日差しの中、ぼんやりとスマホを眺めていたら、突然足元で「ポッポー!
」と鳴く声がしたかと思えば、瞬く間に私の周囲がグレーの絨毯で埋め尽くされていたのだ。
まるで私が巨大な餌袋であるかのように、彼らは頭をカクカクさせながら、じりじりと距離を詰めてくる。
何事かと思って顔を上げると、目の前の鳩が私の視線に怯むどころか、むしろ「何かお持ちですか?
」とでも言いたげに首を傾げている。
そのあまりの図々しさに、反射的に「ひっ!
」と情けない声が出てしまった。
都会の鳩は、人が餌を与えないと知っていても、とりあえず寄ってくるのがデフォルトらしい。
初めての一人暮らしで、公園のベンチすら安らぎの場ではないのかと、私は少しがっかりした。
新社会人になって初めての一人暮らしを始めてから、早半年。
私は「自炊」という未知の概念と格闘する日々を送っている。
スーパーの特売品を駆使して、クックパッドの「簡単!
時短!
」レシピと睨めっこ。
結果、週の半分は同じ味付けの鶏むね肉を食べている。
いや、別に鶏むね肉が嫌いなわけじゃない。
むしろ好きな方だ。
ただ、あまりにも頻繁すぎて、最近は鶏肉が私に話しかけてくる幻聴すら聞こえる気がする。
「またお前か……」と。
そんな自炊疲れの週末に、私はよくサイゼリヤに吸い込まれる。
吸い込まれる、という表現がぴったりくるくらい、私の意思とは関係なく足が店に向かうのだ。
世間では「サイゼリヤは安い」という定説がある。
確かに、ミラノ風ドリアは300円、グラスワインは100円。
アンケートで「好きな食べ物」に「ミラノ風ドリア」と答える人がいても、別に恥ずかしくないくらい市民権を得ている。
私も初めて行った時は感動したものだ。
「これなら毎日来てもお財布に優しい!
なんて素晴らしいんだ!
」と、まるで救世主に出会ったかのような気分になった。
しかし、この「安い」という言葉には、なにか魔法がかかっている。
それは、まるで沼の入り口に立つ者が、その深さに気づかずに足を踏み入れるような、甘美な罠なのだ。
初めて一人サイゼリヤに挑戦した日、私は意気揚々とミラノ風ドリアと辛味チキンを注文した。
これでワンコインちょっと。
なんて素晴らしいんだ!
と思っていたら、隣のテーブルから女子高生たちの楽しそうな声が聞こえてきた。
「あー、やっぱピザもいっちゃう?
」「フォカッチャも食べたいよね」「あとさー、ポップコーンシュリンプも頼もうよ!
」「ドルチェも忘れずにね!
」と、次々にメニューを追加していく。
彼女たちのテーブルは、まるで食べ放題のビュッフェのように賑やかだった。
それに比べて私のテーブルは、わずか2皿。
なんだか寂しい。
急に貧乏くさい気分になって、私もついつい追加でマルゲリータピザを注文してしまった。
「まあ、ピザも500円しないし、まだ安い安い」と自分に言い聞かせたものの、気がつけば、あれもこれもと欲しくなるのがサイゼリヤの魔力だ。
辛味チキンをもう一皿、エスカルゴのオーブン焼き、そして何より、あのフライドポテト。
細くてカリカリのあれを頼まないなんて選択肢はありえない。
もちろん、食後にはコーヒーゼリーと、ワインも追加でデカンタに突入。
気づけばお会計は2,000円を超えていた。
あれ?
安いって話じゃなかったっけ?
確かに、一個一個は安い。
しかし、満足するまで食べると、結局そこそこの値段になる。
いや、下手したらちょっと良い定食屋でランチを食べるより高くなることだってザラにある。
この「一個一個は安い」という言葉の裏に隠された真実を、世間はもっと知るべきなのではないか。
私は一人、心の中で警鐘を鳴らしていた。
サイゼリヤの「安い」という言葉は、まるで「沼」だ。
一度足を踏み入れると、その居心地の良さに抗えず、気づけば深みにハマっている。
そして、満腹になった後で初めて、沼の底でふと我に返る。
「あれ?
こんなはずじゃなかったのに……」。
この感覚、初めての一人暮らしで家具を揃えた時と酷似している。
ニトリやIKEAに行けば、「このお皿、たったの200円!
」「このタオル、3枚で500円!
」と、一つ一つの安さに感動して、あれもこれもとカゴに入れていく。
そしてレジで合計金額を見て、「え、まじか」となるのだ。
サイゼリヤと一緒じゃないか。
一個一個は安いのに、満足のいく生活を送ろうとすると、結局高くつく。
この世の真理か?
でも、この現象、男子高校生なら理解できる気がする。
彼らにとってサイゼリヤは、一種の聖地だ。
部活帰りに飢えた腹を抱えて、ファミレスに入ってメニューを開けば、そこには夢のような世界が広がっている。
ミラノ風ドリアを3皿、辛味チキンを2皿、山盛りポテト、ピザ、そしてドリンクバー。
彼らは遠慮なく注文するだろう。
もちろん、一人2,000円を軽く超える。
でも、あの年代の「満腹」は、我々新社会人女子のそれとは桁が違う。
胃袋の底なし沼具合が違うのだ。
だから彼らにとっては、2,000円で腹一杯になれるサイゼリヤは「安い」という認識なのだろう。
彼らの純粋な「安さ」への信頼を前にすると、私の斜に構えた「結局高いじゃん」という見方は、少しばかり野暮ったく思えてくる。
公園のベンチで鳩に囲まれてパニックになった後、私は結局、サイゼリヤに向かっていた。
もう、自炊疲れと鳩疲れで思考能力が低下していたのだ。
店内で席に着くと、反射的にミラノ風ドリアと辛味チキンを注文し、さらにグラスワインを追加した。
「もういいや、今日は好きなものを好きなだけ食べよう」と、半ばやけくそ気味に心の中で呟いた。
だって、たまにはいいじゃないか。
一人暮らしの自由なんだから。
結局、この日のお会計も2,000円を超えていたけれど、私はなぜか清々しい気持ちだった。
鳩に囲まれて怯えた私を、サイゼリヤの魔力は優しく包み込んでくれた。
一つ一つのメニューは確かに安い。
そして、その安さに引き寄せられ、気づけば満腹になっている。
そして、満腹になった後のちょっとした後悔と、それと引き換えに得られる満足感。
この一連の流れこそが、サイゼリヤという場所の醍醐味なのかもしれない。
結局、私はサイゼリヤの沼から抜け出せない。
いや、抜け出す気もない。
だって、この「結局高くつくけど満足」という体験も含めて、私の初めての一人暮らしの日常なのだから。
たまには、鳩も満足するまで何かを欲しがる気持ちを理解できるような気がした。
もちろん、私は何もあげないけどね。
💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。
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