合わない服と合わない心、返品期限はとっくに過ぎている

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📝 この記事のポイント

  • ネットで注文した服のサイズが合わなくて、返品の手続きが面倒で放置している。
  • たぶんこのままずっと、クローゼットの奥深くで「いつか着るかもしれない」という淡い期待とともに眠り続けるんだろう。
  • だって、ピチピチすぎて腕を上げたらシャツがめくれ上がり、まるで「見て見て、僕のへそ! 」とアピールしているみたいになるんだから。

ネットで注文した服のサイズが合わなくて、返品の手続きが面倒で放置している。

たぶんこのままずっと、クローゼットの奥深くで「いつか着るかもしれない」という淡い期待とともに眠り続けるんだろう。

いや、きっと着ない。

だって、ピチピチすぎて腕を上げたらシャツがめくれ上がり、まるで「見て見て、僕のへそ!

」とアピールしているみたいになるんだから。

試着した時に鏡に映った自分を見て、思わず「おいおい、誰だそのムキムキのイケメンは…って、俺かよ!

」と一人ツッコミを入れてしまった。

いや、イケメンではないな。

ただ単に太っただけだ。

それを認めたくない気持ちと、返品のハードルの高さが拮抗している。

ああ、人生ってこういうことの連続なんだよな、と、なぜか合わない服一枚から壮大な哲学に辿り着きそうになったので、慌てて頭を振って思考を中断した。

この返品放置癖、何も服に限った話じゃない。

冷蔵庫の奥に鎮座する賞味期限切れのプリンとか、読みかけで放置された自己啓発本とか、あと、なによりも僕自身の「一人でいることが好き」っていう設定。

これも返品したいんだけど、どこにどう手続きすればいいのかわからない。

そもそも、この設定、誰が送りつけてきたんだっけ?

「俺、一人が好きなんだよね」

初めてそのセリフを口にしたのは、確か大学生の頃だったと思う。

サークルの飲み会で、周りがみんな恋人だの友達だのの話で盛り上がっている中、自分だけが蚊帳の外にいるような気がして、つい虚勢を張ってしまった。

実際は、みんなでワイワイ騒ぐのも好きだったし、誰かに構ってもらいたい気持ちも山々だったのに。

ただ、そこで「俺も誰かと一緒にいたいな」なんて言おうものなら、「お前みたいな奴が?

」みたいな冷ややかな視線が飛んでくるんじゃないか、と勝手に思い込んでいた。

その恐怖が、僕を「一人好き」というキャラに仕立て上げたのだ。

ああ、なんて悲しい、不器用な自己プロデュースだろう。

それからというもの、僕は「一人好き」の演技を磨き続けた。

カフェで一人で本を読む(ただし内容は頭に入ってない)、一人旅に出かける(ただしホテルでは寂しくて枕を濡らす)、一人で映画を観に行く(ただし上映中、隣のカップルの笑い声が気になって集中できない)。

完璧なソロ活動家を演じきっていたと思う。

誰も僕の内心のドタバタに気づくことはなかっただろう。

少なくとも、僕はそう信じていた。

結婚してからも、その設定は微妙に引きずっていた。

「今夜は一人でゆっくりしたいな」なんて言って、妻に気を使わせていたこともあった。

正直に言えば、ただゴロゴロしてたいだけで、別に一人じゃなくても良かったのに。

むしろ、隣に誰かいてくれた方が、くだらない話をしたり、テレビのチャンネル争いをしたり、そういう日常のささやかな衝突こそが、僕にとっては心地よかったりしたのだ。

でも、一度口に出してしまった「一人好き」というセリフは、まるで強力な呪縛のように僕を縛り続けた。

離婚を経験して、文字通り「一人」になった時、僕はついに自分の設定ミスに気づいた。

当初は「やった!

これで誰にも気兼ねなく、好きな時に好きなことができる!

」と、まるで少年時代の夏休みのように浮かれていた。

夜中にラーメンを食べても、洗濯物をため込んでも、誰にも咎められない自由。

ああ、これこそが僕の求めていたものだ、と。

ところが、数週間もすると、その自由は途端に寂しさへと変貌した。

週末、子どもたちが僕の家にやってくる日だけが、僕の生活に彩りを与えてくれる。

小学2年生の娘と年中組の息子。

彼らが来ると、家の中は一気に騒がしくなる。

リビングには散らかったおもちゃ、床には謎のシミ、冷蔵庫の中は瞬く間に空っぽになる。

でも、それがいい。

先週の土曜日のことだ。

夕食に子どもたちが大好きなハンバーグを作った。

最近、娘が「パパのハンバーグ、ちょっと焦げてるのが美味しいんだよね」と言ってくれるので、あえていつもより長めに焼いている。

もはや焦げているのがデフォルトだ。

焦げたところをカリカリと食べる娘の顔を見ていたら、息子が突然、「パパ、お顔にご飯ついてるよ!

」と指をさした。

慌てて口元を拭うと、娘が「違うよ、ママ!

パパのおひげだよ!

」と笑い転げる。

僕はおひげなんて生やしていない。

きっと、ご飯粒をひげに見立てて、僕をからかっているのだろう。

そんな他愛もない冗談が、僕の心を温かくする。

彼らが帰った後の部屋は、急にシーンと静まり返る。

残されたのは、食べかけのお菓子と、遊びっぱなしのおもちゃと、そして、何よりも大きな「不在」の空気だ。

その静けさの中で、僕はいつも思う。

ああ、やっぱり僕は「一人好き」なんかじゃないんだ、と。

僕が本当に恐れていたのは、孤独そのものじゃなかった。

誰かと一緒にいて、自分の意見を否定されたり、行動を批判されたりすることだったんだ。

自分のダメな部分や不器用なところを、誰かに見つけられて、失望されるのが怖かった。

だから、「俺は一人でいるのが好きだから」という鎧を身につけて、自分を守っていただけなんだ。

まるで、ネットで買ったピチピチの服を着て、「これ、わざとワンサイズ小さいの選んだんだよね。

筋肉見せたくてさ」とでも言っているかのように。

誰もそんなこと言ってないし、聞かれてもいないのに、勝手に言い訳して、勝手に自分を納得させていた。

子どもたちが帰った後の静かなリビングで、僕は飼い猫のミミを抱き上げた。

ミミは僕の膝の上で満足そうに喉を鳴らしている。

この猫も、最初は「一人で気ままに過ごしたい」という僕の願望にぴったりだと思って飼い始めた。

散歩もいらないし、あまり手がかからないし、と。

でも、実際は毎日決まった時間に「ご飯くれ」とニャーニャー鳴き、僕がパソコンに向かっていると、キーボードの上にどっかり座り込んで邪魔をする。

夜は僕の布団に潜り込んできて、朝までぐっすり眠る。

全然気ままじゃない。

むしろ、僕の方がミミに合わせている。

それでも、ミミが僕の足元に体を擦り寄せてくるたびに、僕の心はほんの少しだけ満たされるのだ。

ミミを撫でながら、僕はクローゼットの奥に追いやられた服のことを思い出した。

あの服、返品期限はとっくに過ぎているだろうな。

でも、不思議と後悔はない。

たぶん、あの服を買った時の僕は、本当の自分とは違う「こんな自分になりたい」という理想を投影していたんだと思う。

そして、実際に着てみて「あれ?

なんか違うな」と気づけた。

それはそれで、一つの発見だったのかもしれない。

これからは、もう少しだけ素直に、自分の「好き」や「嫌い」を表現していこうと思う。

誰かに否定されるのが怖い気持ちは、きっとこれからも完全に消えることはないだろう。

でも、それでも、誰かと一緒にいることの温かさや、他愛もない会話の楽しさを、もっと大切にしたい。

今度、子どもたちが遊びに来たら、あのピチピチの服をネタに笑い話でもしてみようか。

きっと娘は「パパ、なんでそんな変な服買ったの?

」と呆れるだろうし、息子は「パパ、パンパン!

」と言って僕のお腹を叩くだろう。

それでいい。

それで十分だ。

そして、いつか本当に自分にぴったりの、着心地の良い服を見つけられたらいいな。

返品しなくても済むような、そんな服を。

いや、まあ、どうせまたネットでポチッとして、「思ってたのと違う!

」ってなるんだろうけどね。

それが僕なんだから、仕方ない。

とりあえず、次は失敗しないように、ちゃんとサイズ表を三度見くらいしてから注文しよう。

たぶん、無理だけど。


💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。

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