デザフェスの探し物、そして底なし沼の買い物道

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📝 この記事のポイント

  • いや、いつものことだと認めたくない自分が、いつも同じパターンを繰り返している。
  • 例えば、古くなった排水溝のブラシとか、もう買い替え時だとわかっているスポンジとか。
  • フッと目に入った、使いもしないだろう「猫の形をしたクリップ」とか、なぜか「この色、良いな」と感じてしまった「小さなガラスの器」とか。

100円ショップで必要なもの1つだけ買うつもりが、15個持ってレジに並んだ。

いつものことだ。

いや、いつものことだと認めたくない自分が、いつも同じパターンを繰り返している。

必要なもの一つ。

例えば、古くなった排水溝のブラシとか、もう買い替え時だとわかっているスポンジとか。

そういう地味な日用品をカゴに入れる。

ここまではいい。

そこからが問題なのだ。

フッと目に入った、使いもしないだろう「猫の形をしたクリップ」とか、なぜか「この色、良いな」と感じてしまった「小さなガラスの器」とか。

ああ、あれも、これも、と。

気付けばカゴは満載で、レジで会計を済ませた後、袋をぶら下げて店を出る頃には、当初の目的の品が何だったかすら、一瞬忘れている。

この「一つだけ買うつもりが、いつの間にか増えている」現象は、僕の人生のあちこちに根を張っている。

昔、まだ義理の娘が小さかった頃、三人で近所のショッピングモールへ行った。

娘の新しい上履きを一足買う、ただそれだけのつもりが、なぜか三人分の妙に柄の揃ったTシャツと、僕が読む時間もない小説のシリーズ全巻と、妻が「これ、家にあったら可愛いかもね」と言っただけの「謎の置物」を抱えていた。

会計で妻が「ねえ、上履きどこ?

」と聞いてきて、初めて上履きを買い忘れたことに気づいたときは、さすがに笑った。

笑うしかなかった。

それ以来、大事なものは一番最後にカゴに入れる、というルールを自分に課しているのだが、効果のほどは、まあ、ご想像にお任せする。

先日、そんなことをぼんやり考えながら、リビングの棚を眺めていた。

そこに飾ってある、手のひらサイズの小さな陶器の家がある。

煙突から煙がモクモクと上がっているように見える、ちょっと変わったデザインだ。

窓もドアも無くて、ただ「家」という概念だけが凝縮されているような。

これが、もう10年くらい前に、東京ビッグサイトで開催されたデザインフェスタ、通称デザフェスで買ったものなのだ。

あの頃はまだ、前の妻と二人暮らしだった。

休日の気ままなデートで、ふらっと立ち寄ったデザフェス。

会場の熱気と人の多さに圧倒されつつ、あちこちのブースを覗いていたとき、その小さな陶器の家が目に留まった。

特に必要でもないし、使い道があるわけでもない。

ただ、その佇まいがやけに心を掴んだ。

「可愛いね」と妻が言った。

「うん」と僕が頷いた。

それだけで、即座に購入を決めた。

値段はたしか、3,000円くらいだったと思う。

あの時も、会場で「これ一つだけ」と思って買ったはずなのに、結局は革のキーホルダーと、謎の布製バッグと、どこで使うのか分からない小さな木製の動物フィギュアまで買っていた。

デザフェスの魔力とでも言うべきか。

あの熱気と、作り手たちの情熱に当てられると、財布の紐がゆるゆるになる。

それはもう、底なし沼だ。

家に帰ってきて、「これ、何に使うの?

」と妻に聞かれ、「いや、可愛いから」と答える僕。

あの頃から、何も変わっていない。

その小さな陶器の家を、今の妻も気に入ってくれている。

義理の娘も、たまに手のひらに乗せて、じっと眺めていることがある。

「これ、何?

」と聞かれたので、「うーん、お父さんが昔、買った家かな」と答えると、「ふーん」と、特に興味もなさそうな顔でまた眺めだす。

でも、時々、棚の違う場所に移動させていたりする。

ちゃんと気にかけてくれているのだ。

先日、テレビで偶然、デザフェスに関する番組を見た。

あの陶器の家をふと思い出した。

そういえば、あの作家さんの名前、全然覚えていないな、と。

陶器の裏にサインらしきものはあったけれど、達筆すぎて読めない。

あの頃は、ただ「可愛い」というだけで買ってしまい、作家さんとの会話もそこそこに、次のブースへ行ってしまっていた。

ちょっと、もったいないことをしたな、と思った。

この、特に使い道のない、でも僕にとっては大切なこの陶器の家を作ったのは、一体どんな人なのだろう。

どんな思いで、これを生み出したのだろう。

そんなことを考えると、急に作者の顔が見たくなった。

「この作者さん、見つかるといいな」と、軽い気持ちで、昔のデザフェスのカタログを引っ張り出してみた。

あの頃は、まだ紙媒体のカタログがしっかり存在していたのだ。

埃をかぶった段ボール箱から、ヨレヨレになったカタログを発掘し、ページをめくる。

膨大な数の出展者リスト。

あの日の記憶を辿りながら、陶器のブースを探す。

手描きの地図、小さな写真。

もしかしたら、もう作家活動を辞めてしまっているかもしれない。

そう思いながら、諦めずに探していたら、あっけなく見つかった。

僕の記憶の中では、もっと「探すぞ!

」と意気込んで、何日もかけるような、壮大な探求になるはずだった。

それが、意外とあっさり。

見つけたのは「陶工房〇〇」というブース名と、作家さんの名前、そして当時のウェブサイトのアドレスだった。

サイトを覗いてみると、今でも元気に活動されているようだ。

当時と変わらない、独特の温かみのある作風。

あの小さな陶器の家も、今は少し形を変えながらも、同じコンセプトで作り続けられていた。

なんだか、ホッとした。

同時に、くすぐったいような、嬉しいような気持ちになった。

あの時の「可愛い」という直感は、間違っていなかったのだな、と。

結局、僕の買い物癖は、相変わらず治らない。

一つだけ買うつもりが、いつの間にかカゴは満載。

必要ないものまで買ってしまう。

でも、その「必要ない」はずのものが、たまに人生に彩りを与えてくれる。

あのデザフェスの陶器の家のように。

あの時の衝動買いが、十年経っても、僕の家のリビングで静かに佇み、家族に愛されている。

そして、その作者の姿を、こんなにも簡単に見つけることができた。

これも、僕の買い物の失敗談の一つかもしれないけれど。

失敗と言い切れないのは、それがちゃんと、僕の日常の一部になっているからだろう。

あの陶器の家を眺めながら、今日も僕は、レジに向かうカゴの中身が増えていくのを、見て見ぬふりをする。

それでいいのだ。

それが僕なのだから。


💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。

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