寿司レーンと世間の声、ちょっと厄介な距離感の話

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📝 この記事のポイント

  • 回転寿司で、隣のレーンを流れていく「えびアボカド」に目を奪われて、自分のタブレットでの注文を完全に忘れた。
  • 「あ、これ美味しそう! でも自分の皿はまだ来てないし、何を注文したっけ? 」と一瞬思考が停止した。
  • こういう、どうでもいい隣の皿が気になって、自分のことに集中できない瞬間って、日常に結構あるもんだよね。

回転寿司で、隣のレーンを流れていく「えびアボカド」に目を奪われて、自分のタブレットでの注文を完全に忘れた。

「あ、これ美味しそう!

でも自分の皿はまだ来てないし、何を注文したっけ?

」と一瞬思考が停止した。

こういう、どうでもいい隣の皿が気になって、自分のことに集中できない瞬間って、日常に結構あるもんだよね。

「ごめん、今日の夕飯、何にするんだっけ?

」「え、あんた当番でしょ」と妻の声が背後から飛んできた。

そうだった。

今日は僕の夕食当番だ。

冷蔵庫には、昨日の残りの豚こま肉と、しなしなになりかけた白菜がある。

よし、豚バラと白菜のミルフィーユ鍋ならぬ、「豚こまと白菜の雑多鍋」でどうにかごまかせないか。

いや、ごまかすんじゃなくて、これはこれで一つの創作料理だ。

そう自分に言い聞かせながら、スーパーのレジで「レジ袋はご利用ですか?

」と聞かれ、「あ、お願いします」と反射的に答えてしまい、その瞬間にマイバッグを肩にかけたままだったことに気づく。

この間抜けさも、ある種の日常風景だ。

最近、とある音楽イベントが直前で中止になったというニュースを耳にした。

TOKYO MXが協力するイベントで、人気アーティストのNight Tempoさんがゲスト出演する予定だったらしい。

ところが、その中止の理由がなかなか、こう、僕たちの日常にも通じるような、なんとも言えない話だった。

要するに、『5時に夢中!

』という番組の視聴者が、アーティストの名前をちょっと、いや、かなり品のない言葉にひっかけて、面白がって投稿しちゃったらしいんだよね。

それがアーティストご本人の目に触れて、気分を害され、結果として出演キャンセルになったと。

この話を聞いて、まず頭に浮かんだのは「うわー、やっちゃったね」という、どこか他人事のような、でも人ごとではないような複雑な感覚だった。

僕自身、昔、友人のあだ名を面白がってちょっと変な風に呼んでいたら、めちゃくちゃ怒られたことがある。

悪気はなかったんだ、本当に。

ただ、その時は「場が盛り上がればいいかな」くらいの軽い気持ちだった。

でも、相手にとっては全然笑い事じゃなかった。

むしろ、深く傷つけてしまっていたんだと、後から気づいて猛省した。

世間話のつもりで言った一言が、思わぬ方向に転がっていくことって、本当によくある。

Night Tempoさんの件は、まさにその延長線上にあるような気がした。

テレビ番組の視聴者投稿という、ある意味で開かれた場。

そこで飛び交う言葉は、まるで回転寿司のレーンを流れる皿のようだ。

次々に新しい言葉が流れてきて、みんながそれを取ったり、見送ったりする。

でも、その中には、誰かにとって美味しい寿司ネタもあれば、誰かにとっては「これはちょっと…」という、賞味期限切れのネタみたいな言葉も混ざっている。

そして、今回は、その賞味期限切れどころか、明らかに毒性のあるネタが、当事者の目の前に流れてきてしまった。

「いやいや、でもさ、そんなの気にする?

」って声も聞こえてきそうだけど、これはもう、人の気持ちの問題だからね。

しかも、名前って、その人そのものじゃないか。

それを下品に扱われるというのは、アイデンティティを否定されるようなものだよ。

僕だって、たまに妻から「あなたって、どうしていつもそうやって、脱ぎっぱなしの靴下を…」とか言われると、別に名前をいじられてるわけじゃないけど、なんかこう、胸にチクリとくるものがある。

それが不特定多数から、しかもメディアを通して、ってなると、そのチクリはもう、ナイフで刺されるような痛みなのかもしれない。

イベントが中止になったのは残念だし、楽しみにしていたファンもたくさんいたはずだ。

僕だって、もし好きなアーティストのライブが、そんなくだらない理由で中止になったら、きっと「なんでだよ!

」って叫びたくなるだろう。

期待していたものが、あっけなく裏切られる。

それは、夕食当番の日に「今日は美味しいもの作るぞ!

」と意気込んで、冷蔵庫を開けたら野菜室が空っぽだった時の絶望感に似ている。

でも、この一件、意外と悪いことばかりじゃないのかもしれない、とも思うんだ。

もちろん、アーティストを傷つけたことや、イベント中止になったことは、決して良いことじゃない。

でも、これを機に、ちょっと立ち止まって考える機会になったんじゃないかな。

「言葉って、意外と人を傷つけるんだな」とか、「面白がって言ったことが、取り返しのつかないことになるんだな」って。

テレビの向こう側の人たちも、近所のおじさんもおばさんも、みんな同じ人間なんだって、改めて気づかされたというか。

うちの近所の奥さんで、口癖が「あら、〇〇さん、また太った?

」って人がいるんだけど、最初は「え、失礼な!

」って思ったんだ。

でも、よく聞くと、その人、誰にでも同じように言ってる。

むしろ、それが「元気?

」くらいの挨拶なんだとわかってからは、なんだか面白く見えてきた。

「ええ、奥さんも元気そうですね!

」って、ちょっと強気で返すと、ケラケラ笑ってくれる。

近所付き合いって、そういう微妙な距離感と、言葉の受け止め方の調整みたいなものなのかもしれない。

最初は「え、なんでそんなこと言うの?

」って戸惑うんだけど、その人の人間性や、言葉の背景が見えてくると、意外と悪くない、むしろ愛嬌に思えてくることだってある。

Night Tempoさんの件は、相手が見えない分、より一層言葉の距離感が難しかったのかもしれない。

顔が見えないからこそ、言葉は時に凶器になるし、逆に、顔が見えないからこそ、普段言えないような本音や、面白い発想が飛び出すこともある。

どっちが良いとか悪いとか、一概には言えない。

でも、一つ言えるのは、言葉には重みがある、ってことだ。

人生って、そういうもんだよね。

期待したものが裏切られることはしょっちゅうだし、なんでこんなことになったんだ?

って頭を抱えるような出来事も、きっとこれから何度も訪れるだろう。

でも、その度に「もうダメだ」って諦めるんじゃなくて、「まあ、これも人生か」って、ちょっと肩の力を抜いて、笑い飛ばすくらいの余裕があったら、案外悪くないんじゃないかな。

僕の夕食当番も、冷蔵庫が空っぽでも、妻から「あんたの料理、いつも同じ味だね」って言われても、「まあ、それが俺の味だから!

」って、胸を張って言えるくらいの図太さで、これからも生きていきたいと思う。

隣のレーンに流れてくる美味しそうな寿司に目を奪われつつも、自分の注文した皿が来るのを、ニヤニヤしながら待つ。

そんな、ちょっと間抜けで、でもどこか達観した目線で、これからも日常を眺めていきたい。

世の中、完璧なことなんて、そうそうないんだから。

それじゃ、今夜の豚こまと白菜の雑多鍋、隠し味にちょっとだけ、近所の奥さんからもらった柚子胡椒でも入れてみるかな。

意外とそれが、最高の一品になるかもしれない。

期待しすぎず、でもちょっと期待して、いざ実食。

人生、そんなもんでしょ。


💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。

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