📝 この記事のポイント
- 自販機で買ったコーヒーが想像と違う味で、一口で後悔した。
- 求めていたのはもっと深煎りの、胃の奥からじんわり温まるやつ。
- 一口飲んで、もういいや、と冷めた缶をバッグに滑り込ませる。
自販機で買ったコーヒーが想像と違う味で、一口で後悔した。
ああ、これじゃない。
求めていたのはもっと深煎りの、胃の奥からじんわり温まるやつ。
なのに、妙にフルーティーで酸っぱい。
一口飲んで、もういいや、と冷めた缶をバッグに滑り込ませる。
まるで、春一番で飛ばされた洗濯物を見つけた時の、あの諦めと似ている。
まあ、いっか。
そんな日もある。
今日はなんだか、そういう「まあ、いっか」の気分が強い日だった。
朝から湿気が肌にまとわりつく。
そろそろ衣替えの時期なのに、冬物のセーターがまだクリーニングに出せていない。
クローゼットの奥では、夏物たちが「まだか、まだか」と息を潜めているのが見えるような気がする。
息子の体操服も、そろそろ半袖に切り替えなきゃ。
でも、まだ朝晩は冷えるから、と毎年同じことを考えながら、半袖と長袖をミックスさせる日々。
スーパーのチラシを見ると、春キャベツの隣にサンマの文字。
季節の変わり目って、体も心も、そして胃袋も、なんだか落ち着かない。
今日のコーヒーの選択ミスも、きっとそのせいだ。
そんな「まあ、いっか」な気分を抱えて、私はなぜか新橋にいた。
パートの休憩時間、ちょっと気分転換にと、電車に乗って少し遠出してみたくなったのだ。
特に目的があるわけじゃない。
ただ、いつもと違う景色が見たかった。
新橋駅に降り立つと、独特のざわつき。
昼間なのに、あちこちから活気が漏れ出している。
ガード下の焼き鳥屋さんの匂い、呼び込みの声。
ああ、東京だなぁと思う。
少し歩くと、目指していたわけじゃないけれど、吸い寄せられるようにニュー新橋ビルが見えてきた。
テレビで見たことはあるけれど、実際に中に入るのは初めてだ。
雑多な感じが、妙に心地いい。
まるで、いろんな人生がぎゅっと詰まっている、宝箱みたい。
とりあえず、ランチでも食べようかな、と適当な店を探してウロウロしていた。
地下のフロアは、細い通路に小さな店がひしめき合っている。
ラーメン屋、居酒屋、喫茶店。
どこもかしこも昭和の匂いがプンプンする。
そういえば、息子が最近レトロゲームにハマっているって言っていたな。
このビルを見せたら、きっと目を輝かせるだろう。
そんなことを考えていた矢先、突然、異変が起きた。
ブツン、と。
音もなく、世界が暗闇に包まれた。
一瞬、目の前が真っ白になったかと思ったら、すぐに漆黒。
非常灯がぼんやりと点滅しているけれど、店の奥まではほとんど光が届かない。
え、何?
停電?
まさか。
ここは東京のど真ん中、新橋だぞ。
こんなことってある?
私は思わず、手に持っていたエコバッグをぎゅっと握りしめた。
心臓がドクン、と鳴る。
とっさに、スマホのライトをつけようとバッグを探したけれど、慌てていて見つからない。
周りからは、小さな悲鳴や、「え、マジ?
」「やばいじゃん」なんて声が聞こえてくる。
私も、内心「やばい」を連呼していた。
周りを見渡すと、半分くらいの人は、私と同じように立ち止まったり、スマホのライトをつけたりしている。
でも、もう半分くらいの人は、なぜか平然と飲み食いを続けているのだ。
薄暗い非常灯の下、ジョッキを傾けるサラリーマン。
箸を止めることなく、ラーメンをすすり続けるおじさん。
まるで、何事もなかったかのように。
彼らのテーブルには、スマホのライトなんて使われていない。
ただ、暗闇の中で、口と手が動き続けている。
え、なんで?
この状況で、よく普通に食べられるな、と私は正直驚いた。
世界が終わる時って、きっとこんな感じなのかも、と妙に納得してしまった。
半分がパニックになって、半分がいつも通り。
この人たちは、もし本当に世界が滅びても、きっと最後の最後までビールを飲んでいそうだ。
少し前の私なら、きっと彼らのことを「すごい精神力だな」と感心しただろう。
いや、もしかしたら「こんな時くらい、ちょっとは騒げばいいのに」なんて、内心イライラしたかもしれない。
でも、今日の私は違った。
「まあ、いっか」の気分が、私の心を妙に穏やかにしていた。
むしろ、彼らのその泰然自若とした姿を見て、ちょっと笑ってしまった。
いや、あの人たち、もしかして停電を楽しんでる?
飲み会が盛り上がっちゃってる?
なんて、勝手な想像が膨らむ。
結局、停電は数分で復旧した。
パッと電気がつき、店内に再び活気が戻る。
照明が戻った瞬間、みんなが一斉に「おお!
」と歓声をあげた。
そして、何事もなかったかのように、それぞれの日常に戻っていく。
私はといえば、結局あの店では何も食べずに、別の店へと向かった。
あの暗闇の中で、堂々と飲み食いし続けていた人たちの顔が、なんだか忘れられない。
あの人たちにとって、停電なんて、酔いを覚ますいいきっかけにもならないんだろうな。
むしろ、話のネタが一つ増えた、くらいに思っていそうだ。
私は、といえば、パートの休憩中に新橋まで来て、停電を経験し、結局何を食べるか悩んで別の店を探している。
この優柔不断さも、まあ、私らしいか。
結局、老舗の喫茶店に入って、ナポリタンとコーヒーを頼んだ。
今度はちゃんと、苦味のある深煎り。
口に広がる懐かしい味に、ほっと一息つく。
このナポリタンを一口食べるたび、あの暗闇の中、平然と飲み食いしていた人たちの顔が浮かんでくる。
彼らも、きっと日々の小さな停電くらい、へっちゃらなんだろう。
人生の停電も、きっとそうやって乗り越えてきたに違いない。
帰り道、空を見上げると、いつの間にか厚い雲が流れて、夕焼けが広がっていた。
少し肌寒いけれど、心地よい風が吹いている。
明日はきっと、もう少し暖かくなるだろう。
クローゼットの夏物たちも、そろそろ出番かな。
あの停電の時、私はただ呆然と立ち尽くしていたけれど、彼らは一歩も引かなかった。
飲み食いを続けた。
その違いって、なんなんだろう。
結局、どっちが正解とかはない。
ただ、私は私のペースで、彼らは彼らのペースで、それぞれの日常を生きている。
息子が待つ家に帰って、今日の出来事を話したら、きっと「ママ、面白いね」と笑ってくれるだろう。
そして、あのニュー新橋ビルを「レトロゲーセンみたいだね」と、目を輝かせながら見に行きたがるに違いない。
その時は、きっと非常灯だけじゃなく、煌々と電気がついていることを祈ろう。
そして、今度こそ、想像通りの味のコーヒーが飲めますように。
そう願いながら、私は家路を急いだ。
明日は、きっともっといい日になる。
まあ、いっか。
そんな気持ちで、また新しい一日を迎えるのだ。
💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。
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