📝 この記事のポイント
- カラオケで十八番を歌ったら、キーが合わなくて途中でリセットした。
- いや、正確には「リセット」というより「諦め」に近い。
- 普段なら高音パートもそこそこ出るはずなのに、今日は全く声が伸びない。
カラオケで十八番を歌ったら、キーが合わなくて途中でリセットした。
いや、正確には「リセット」というより「諦め」に近い。
普段なら高音パートもそこそこ出るはずなのに、今日は全く声が伸びない。
マイクを握りしめたまま、うっすらとモニターに映る自分を見て、これはもう無理だなと悟った。
隣で熱唱しているシェアハウスの住人、ケンタロウは完全に自分の世界に入り込んでいる。
彼が歌い終えるのを待って、そっとドリンクバーへ向かい、レモン水をごくごく飲んだ。
喉の渇きを潤すというよりは、自分の不甲斐なさを洗い流すような勢いだった。
週末の昼下がり、こうして熱唱するのも悪くないんだけど、なんか今日は波長が合わない一日な気がする、なんて漠然と考えていた。
昨日も、朝食当番だったのに、パンをトースターで焦がしてしまった。
タイマーをセットしたはずなのに、なぜか食パンは炭と化し、キッチン中に香ばしい、いや、焦げ付いた匂いが充満した。
急いで窓を開けて換気したけど、後から起きてきたミヤビは「あれ、なんか燻製でも作ったの?
」と目を擦りながら聞いてきた。
ごめん、としか言えなかった。
結局、焦げ付いたパンは廃棄処分になり、僕らはコンビニで買ってきたツナマヨおにぎりと、賞味期限ギリギリの牛乳で朝食を済ませた。
シェアハウスの当番制って便利だけど、たまにこういう小さな失敗で胃袋に直接響くから、責任重大なんだよね。
でもまあ、コンビニのおにぎりって、いざという時に本当に頼りになる。
あの絶妙な塩加減と、しっとりした海苔のバランスは、家庭ではなかなか再現できない職人技だと思う。
僕が一番好きなのは、セブン-イレブンの「手巻おにぎり 熟成直火焼き紅しゃけ」なんだけど、あの香ばしさと塩味が最高なんだよね。
ああ、また食べたくなってきた。
そんな焦げ付いた一日と不発のカラオケに続くように、今日、車を運転中に、とんでもない光景に遭遇したんだ。
スーパーへ買い出しに行く途中、いつものように幹線道路を走っていたら、少し先の横断歩道が赤信号になった。
僕はゆっくりとブレーキを踏み、停止線で止まった。
ふと左側の歩道を見ると、小学生くらいの男の子たちが3人、きゃっきゃと騒ぎながら立っているのが見えた。
彼らはランドセルを背負っているから、学校帰りなのだろう。
みんな、見るからに元気いっぱいで、特に真ん中の子は、なんだかやけに自信満々な顔つきをしている。
手に持った野球ボールをポコポコと地面に叩きつけながら、何かを企んでいるような、そんな雰囲気だった。
信号はまだ赤。
僕の車の前には、もう一台、軽自動車が止まっている。
その軽自動車の運転手も、きっと彼らの存在に気づいているだろう。
子供たちはお互いの顔を見合わせ、ニヤニヤしている。
すると、突然、真ん中の子が「行くぞ!
」と叫んだかと思うと、一目散に横断歩道へ飛び出したんだ。
まだ信号は赤なのに。
しかも、僕の車のすぐ手前、というよりは、ちょっと斜め前あたりに、わざとらしいくらい急停止したんだ。
その瞬間、僕は思わずアクセルから足を離し、完全にブレーキを踏み込んでしまった。
ギギギッと鈍い音がして、車は急停止。
もちろん、まだ速度は出ていなかったから事故にはならなかったけど、心臓がドキンと跳ね上がったのは確かだ。
頭の中では「何やってんだ、こいつら!
」という怒号が響いた。
とっさにクラクションを鳴らした。
短く、「プッ」と。
すると、どうだ。
僕の目の前で急停止したその子は、振り返って、残りの2人の友達と顔を見合わせ、満面の笑みを浮かべたんだ。
いや、笑うどころじゃない、大ウケしている。
腹を抱えて笑い転げそうになっている。
残りの2人も、親指を立てて「やったな!
」みたいなジェスチャーをしている。
完全に、僕がクラクションを鳴らすことまで計算づくの、いわゆる「度胸試し」だったんだ。
彼らにとっては、僕の急ブレーキも、クラクションも、全てが成功の証なんだろう。
やられた、と思った。
完全に彼らの手のひらの上で転がされている。
僕の心臓はまだバクバク言っているのに、彼らはまるで遊園地のアトラクションを楽しんだ後のように、興奮冷めやらぬ様子で、赤信号を無視して横断歩道を渡っていった。
いや、まだ赤だって!
信号無視してるから!
彼らが渡り終えるのを、僕は呆然と見送った。
ふと、軽自動車の運転手を見ると、その人も僕と同じように呆れたような、でもどこか懐かしむような顔で、子供たちの後姿を見ていた。
僕も、昔、同じようなことをした記憶があるような、ないような。
いや、さすがに車の前に飛び出すような危険なことはしてないはずだけど、学校の帰り道で、友達と無駄に大きい声で叫びながら走ったり、自転車でわざと水たまりに突っ込んだり、みたいな馬鹿なことはやった気がする。
あの頃って、どうしてあんなに無意味なことに熱中できたんだろう。
今考えれば、ただの迷惑行為だけど、当時はそれが最高に面白かったんだよね。
信号が青に変わり、僕は再びアクセルを踏んだ。
スーパーに着いても、まだあの子供たちの笑顔が頭から離れなかった。
彼らの純粋な悪意のない、だけどちょっとイタズラ心が過ぎる行動に、なんだか胸の奥がざわざわした。
あのエネルギー、どこから湧いてくるんだろう。
僕なんて、最近は休日に家でゴロゴロしているだけで一日が終わっちゃうこともしばしばなのに。
いや、ゴロゴロするのも立派な休日だ。
ゴロゴロしている間に、冷蔵庫の残り物で何か作れないかな、とか、明日の当番はどんな料理にしようかな、とか考えているから、決して無駄ではない。
そう、無駄じゃない。
スーパーで、僕は食材を選びながら、子供たちのこと、そして自分のことを考えていた。
棚に並んだ色とりどりの野菜や、鮮やかな魚たち。
今日の夕食当番は僕だ。
シェアハウスの夕食は、みんなのリクエストも考慮しつつ、僕がその日の気分で決めることが多い。
今日は何にしようかな。
冷蔵庫には、ミヤビが買ってきた鶏むね肉と、ケンタロウが食べ残したキャベツの千切りが残っていたはず。
それと、昨日焦がしたパンの代わりに、トースト用の食パンも買っておかないと。
結局、今日の夕食は、鶏むね肉とキャベツを使った、彩り野菜の塩炒めにすることにした。
それと、シェアハウスの冷蔵庫にいつもある卵で、ふわふわの卵スープでも添えよう。
スーパーのレジで、会計を待っている間に、ふと後ろに並んだおばあさんが持っているカゴの中を見た。
そこには、食パンと牛乳、そして、なぜか小さめのチョコバナナが一本入っていた。
おばあさんも、きっと誰かのために、あるいは自分へのご褒美に、それを買うのだろう。
食パンを見ると、また昨日の焦げ付いたパンを思い出して、ちょっと苦笑いしてしまった。
僕らは日々、小さな失敗を繰り返しながら生きている。
朝食のパンを焦がしたり、カラオケでキーが合わなかったり、車の前に飛び出す小学生に心臓をバクバクさせられたり。
でも、そういうちょっとした出来事の積み重ねが、日常なんだよな、きっと。
あの子供たちも、大人になったら今日のことを忘れてしまうかもしれないし、僕もまた新しい、どうでもいい失敗を重ねていくのだろう。
でも、それが人間らしいっていうか、なんだか愛おしいな、なんて思うんだよね。
シェアハウスに帰って、早速夕食の準備に取り掛かった。
鶏むね肉を一口大に切り、キャベツはざく切りにする。
ニンジンやピーマンも加えて、フライパンで炒める。
ジュージューと油が跳ねる音、野菜がしんなりしていく様子、そして香ばしい匂い。
料理って、五感をフルに使うから、集中できていい。
あの小学生たちの無邪気な笑顔を思い出しながら、少しだけ塩コショウを多めに振った。
よし、これでご飯が進むはずだ。
みんなも、日々の小さな出来事に、笑ったり、呆れたり、ちょっとだけ感動したりしながら、今日を生きているんだよね。
僕も、また明日、何か新しい「あるある」に出会うのかもしれない。
それが、焦げ付いたパンかもしれないし、また別の誰かの度胸試しに遭遇することかもしれない。
でも、まあ、それもまた人生の一部だ。
とりあえず、今日の夕飯は失敗しないように、火加減には細心の注意を払おう。
それが、今の僕にできる、一番大事なことだから。
きっと、ね。
💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。
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