📝 この記事のポイント
- 久々に会った友人が激やせしていて、「大丈夫? 」と聞いたらダイエット成功とのこと。
- 聞けば、ほぼ毎日サラダチキンとブロッコリーを食べているらしい。
- 「慣れると、これ以外無理になる」と力説していた。
久々に会った友人が激やせしていて、「大丈夫?
」と聞いたらダイエット成功とのこと。
聞けば、ほぼ毎日サラダチキンとブロッコリーを食べているらしい。
「慣れると、これ以外無理になる」と力説していた。
そんな強靭な精神力は、少なくとも今の僕には持ち合わせていない。
むしろ、サラダチキンを毎日食べられる友人の胃袋が心配になった。
僕と彼女は、同棲して一年が経つ。
最初の頃は、自炊も頑張っていた。
二人でレシピサイトを眺め、見慣れない調味料を揃え、フライパンを焦がしながらも、それなりに楽しんでいたのだ。
それが今では、週に五日は外食か、スーパーの惣菜に頼っている。
休日の昼、ブランチと称して二度寝から目覚めたら、もうランチタイムを逃している。
結局、近所のファストフード店でハンバーガーを頰張りながら、「夜は何食べる?
」と、次の食事の相談をしている。
食いしん坊な僕たちにとって、友人の「サラダチキン以外無理」という境地は、もはや仙人の領域だ。
先週末も、例に漏れず休日の昼食難民と化していた。
結局、いつも行く定食屋で、僕はカツ丼、彼女は唐揚げ定食を注文した。
定食屋のおじさんは、僕たちの顔を見るなり「いつもので」と言う。
慣れ親しんだ味、変わらないメニュー。
それはそれで安心感がある。
しかし、ふと彼女が「たまには、ちょっといいご飯、食べたいよね」と呟いた。
その言葉に、僕も「わかる」と頷く。
いつも行く店も、いつものメニューもいいけれど、たまには新しい刺激も欲しい。
そう、食も人生も、ちょっとした冒険が必要なのだ。
その日の夜、僕はスーパーで、普段は絶対買わないような高級な調味料を見つけてしまった。
瓶に入った、やたらと仰々しい名前の「幻の出汁醤油」。
普段使いの醤油が300円なのに、それは1500円もする。
しかも、容量は半分くらい。
「これさえあれば、どんな料理も料亭の味に!
」というポップが、いかにも僕を誘惑している。
いや、待て。
よく考えてみろ。
僕たちの食生活は、ほぼ外食か惣菜だ。
この「幻の出汁醤油」を一体いつ使うのか。
せいぜい、卵かけご飯か、冷奴くらいではないか。
普段、スーパーで100円のモヤシを買うか買わないかで5分も悩む僕が、なぜ今、1500円の醤油を前に、こんなにも心が揺れているのか。
いや、でも、たまにはいいじゃないか。
たまには、ちょっと贅沢をしても。
そう自分に言い聞かせ、結局レジに持っていった。
衝動買いだ。
家に帰って、彼女に「見て!
幻の出汁醤油!
」と得意げに見せると、彼女は「へえ、すごいね」と、それだけ言って、すぐにテレビに視線を戻した。
期待していた反応とは少し違ったけれど、まあ、こんなものだろう。
問題は、それからだ。
その「幻の出汁醤油」は、キッチンの棚の奥に仕舞われたまま、一週間が過ぎた。
いや、二週間が過ぎた。
まるで、僕の「いつか使うかもしれない」という漠然とした期待を裏切るかのように、瓶の蓋は開かれることなく、ひっそりと佇んでいる。
ある日、彼女が棚を整理している時に、その醤油を見つけ、「これ、いつ使うの?
」と聞いてきた。
「いつかって、いつだろうね」と、僕は曖昧に答えるしかなかった。
まさか、卵かけご飯のために1500円の醤油を買ったとは言えない。
結局、その日は賞味期限が迫っていた豚肉を炒めて、普通の醤油で味付けをした。
僕たちは、本当に「いつか使うかもしれない」という魔法の言葉に弱い。
それは「幻の出汁醤油」に限った話ではない。
例えば、彼女は「いつか使うかもしれない」と、やたらと大きなパスタ鍋を買った。
しかし、我が家の食卓にパスタが並ぶことは年に数回あるかないかだ。
そして、そのパスタ鍋は、もっぱら収納スペースの邪魔になっている。
僕は僕で、「いつか読むかもしれない」と、積ん読の本が部屋の隅で小さな山を築いている。
どの本も「今読むべき一冊!
」とか「人生が変わる!
」とか、帯に書いてあるけれど、まだどの人生も変わっていない。
そういえば、先日も僕は「いつか使うかもしれない」と、セールになっていたエスプレッソメーカーを買ってしまった。
我が家には、すでにドリップコーヒー用の器具があるのに。
そのエスプレッソメーカーもまた、キッチンの片隅で、幻の出汁醤油と肩を並べている。
きっと、この子たちも「いつか使うかもしれない」という希望を抱いて、今日も静かに僕たちを見守っているのだろう。
でも、まあ、これでいいのだ。
僕たちは、完璧な人間ではない。
衝動買いもするし、無駄な買い物もする。
ダイエットは続かないし、自炊もサボりがちだ。
でも、そうやって、ちょっとずつ失敗しながら、ちょっとずつ学んでいく。
少なくとも、あの「幻の出汁醤油」は、冷蔵庫を開けるたびに「あ、そうだ。
まだ使ってないや」と、僕に小さな反省を促してくれる。
そして、「もったいないから、そろそろ使わないとね」と、彼女との会話のきっかけにもなる。
それは、それで、悪くない。
人間なんて、そんなに清廉潔白に生きられるものじゃない。
完璧な食生活を送ったり、無駄遣いを一切しなかったり。
そういえば、最近、水木しげる先生のエッセイを読んだ。
あの妖怪の先生が、人生で一度も女遊び的なことをしなかった、という話が書いてあった。
貧乏生活が長かったから、そういう発想がなかったらしい。
いや、むしろ、妖怪の世界に没頭しすぎて、現実の人間関係には疎かったのかもしれない。
今の時代、少しでも過去に「スキャンダル」的なことがあれば、すぐにそれが掘り起こされて、作品の評価まで揺らぎかねない。
そんな風潮の中で、水木先生が、その生涯において、そういう種類のゴシップと一切無縁だったというのは、本当にありがたいことだと思った。
もし、先生にそんな話があったら、今頃、ゲゲゲの鬼太郎のグッズ展開も大変なことになっていたかもしれない。
妖怪の世界と現実世界を分け隔てなく見つめ、奇妙なものを愛した先生の清らかさに、僕は感動すら覚えた。
先生のエッセイを読むと、人生のあらゆる「はみ出し者」たちへの温かい眼差しを感じる。
そして、その先生自身が、実に真面目に、誠実に生きていた。
これは、僕のような人間にとっては、むしろ救いなのかもしれない。
そう、人間は、完璧でなくてもいいのだ。
むしろ、どこか抜けていたり、ちょっとくらい無駄なことをしたりする方が、人間らしいのかもしれない。
僕だって、あの「幻の出汁醤油」を、いつか「今日こそは!
」という気合とともに、食卓の真ん中に据える日が来るだろう。
そう、きっと、その日は来る。
……かもしれない。
とりあえず、今夜は冷蔵庫の奥で眠っている、賞味期限が迫ったカマンベールチーズを消費するために、近くのスーパーでバゲットを買って帰ろう。
そして、バゲットをかじりながら、あのエスプレッソメーカーで入れたコーヒーを飲む。
うん、いいじゃないか。
そうやって、一つずつ、無駄を消化していくのだ。
きっと、水木先生も、そんな僕たちのことを、面白そうに見守ってくれているに違いない。
💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。
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