📝 この記事のポイント
- クリーニング店で預けた服を3ヶ月放置していたことに気づいた。
- レシートがくしゃくしゃになった紙切れの塊と化していて、ああ、またやってしまったな、と苦笑い。
- 夫に「まただよ」と呆れられながら、店の優しいおばさんに「あら、お久しぶりねえ」と笑いかけられるまでが、私の中でのワンセットとなっている。
クリーニング店で預けた服を3ヶ月放置していたことに気づいた。
レシートがくしゃくしゃになった紙切れの塊と化していて、ああ、またやってしまったな、と苦笑い。
いつものことだ。
夫に「まただよ」と呆れられながら、店の優しいおばさんに「あら、お久しぶりねえ」と笑いかけられるまでが、私の中でのワンセットとなっている。
我が家は田舎の、まあ、なんの変哲もない農家だ。
とは言っても、本格的な農家というよりは、趣味の延長で畑をいじり、採れた野菜を近所の直売所に出したり、ご近所さんに押し付けたりする程度。
朝は小鳥のさえずりで目覚め、夫と並んで畑に出て、季節の野菜の成長を眺める。
土の匂いを胸いっぱいに吸い込み、汗をかき、昼には自家製の梅干しを添えたおにぎりを頬張る。
午後は、陽だまりでうつらうつら昼寝をしたり、溜まった洗濯物を畳んだり、はたまた近所の奥さんと立ち話に花を咲かせたり。
夜は、夫と向かい合って今日の出来事を語り合いながら、熱燗をちびちび。
そんな穏やかな毎日が、もう何十年も続いている。
畑仕事は、約束や予定に比較的縛られない。
野菜は待ってくれないが、こちらの都合に合わせて収穫時期を多少ずらすことだってできる。
天気と相談しながら、ゆったりとした時間の流れに身を任せるのが心地いい。
だからだろうか、私という人間は、カレンダーに書き込まれた予定や、誰かとの約束というものが、どうにも苦手なのだ。
例えば、美容院の予約。
いつも髪が伸び放題になって、さすがにボサボサだ、と観念してから慌てて電話を入れる。
すると、たいてい希望の日時には予約が取れず、結局、数週間先になってしまう。
その間、鏡を見るたびに「あ、私、美容院行かなきゃだった」と思い出すものの、またすぐに忘れてしまう。
この繰り返し。
結局、美容師さんには「またギリギリまで我慢したでしょ?
」と見透かされたような笑顔で迎えられる。
それから、友人とのランチの約束。
もちろん、忘れるわけではない。
前日にはちゃんと確認のメールも送るし、翌日の服装だってあれこれ考える。
でも、いざ当日、待ち合わせの駅に着いて、ふと時計を見ると、約束の時間の10分前。
いや、10分前どころか、もうとっくに約束の時間を過ぎていることに気づいて、心臓がバクバク。
慌てて電話をかけると、「あら、私、もう着いてるわよ。
何かあった?
」と、これまた優しい声。
ああ、私って本当にダメ人間だ、と自己嫌悪に陥る瞬間だ。
そんな私なので、クリーニング店に預けた服を3ヶ月放置するなんてことは、ごく当たり前の日常ルーティンの一部となっていた。
レシートの期限なんて、あったところでどうせ見やしない。
期限切れのレシートを店員さんに見せるたびに、いつも申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
でも、そこは田舎の良さというか、皆さん顔見知りだから、特に咎められることもない。
むしろ、「あら、また置き忘れちゃったの?
うちで預かっておくから大丈夫よ」なんて、優しい言葉をかけてくれる。
ところが、ある日のこと。
いつものように畑仕事に精を出し、汗だくになって家に帰ると、夫が神妙な顔つきで私を待っていた。
「おい、お前、今日の午後のこと、覚えているか?
」と。
何のことやら、さっぱり。
しいて言えば、夕飯の準備くらいしか思い当たらない。
「え、今日の午後?
何かあったかしら?
」と首を傾げると、夫はため息をついた。
「お前、今日、区役所に行くって言ってたじゃないか。
ああ、そうだった。
数日前に、区役所の福祉課に相談したいことがある、と友人に頼まれて、私が代わりに手続きに行くことになっていたのだ。
すっかり頭から抜け落ちていた。
夫は、私の約束忘れの常習犯ぶりをよく知っているので、前日に何度も念押ししてくれていたのに。
自分でも情けなくなる。
「ごめん、完全に忘れてた……」と謝ると、夫は呆れ顔で「まあ、いつものことだからな」と呟いた。
その言葉に、なんだか腹が立ったような、いや、納得したような、複雑な気持ちになった。
いつものこと、か。
私が約束を守れないのは、夫にとってはもう「日常」なのだ。
その日を境に、夫は新たなルーティンを取り入れた。
私の約束事を、畑の作業日誌の片隅に書き留めるようになったのだ。
それも、ただ書くだけではない。
「〇月〇日午後2時、区役所。
〇〇さんの件で相談(持参物:住民票、印鑑)」といった具合に、細かく、まるで小学校の連絡帳のように。
そして、その日誌を、朝食の後に必ず私に読み聞かせるのだ。
「今日の予定はこれとこれとこれだぞ。
忘れるなよ」と。
最初は戸惑った。
まるで子ども扱いのようで、少しばかりプライドが傷ついたのも事実だ。
反発しようとしたこともあった。
「別に、そこまでしなくても、自分で覚えてるわよ!
」と。
しかし、夫は涼しい顔で「それで忘れるのがお前だろ?
」と一蹴。
ぐうの音も出ない。
そんなやり取りを数週間続けるうち、不思議なことに、私はその「連絡帳ルーティン」に慣れていった。
朝、夫が日誌を読み上げるのを、ぼんやりと聞きながら朝食を摂る。
まるで、天気予報を聞くような感覚だ。
夫が読み上げている間は、一応「うんうん」と相槌を打つ。
そして、夫が畑に出かけると、私はまたいつものように、昨日の残りの味噌汁を温め直したり、洗濯機を回したりする。
日誌の内容を、本当に覚えているかといえば、正直、怪しい。
けれど、夫は諦めない。
夕方、畑から戻ると、「今日、区役所に行ったか?
」と尋ねてくる。
私が「あ、そうだった!
すっかり忘れてた!
」と頭を抱えると、「ほら見ろ。
だから言っただろ」と、また日誌を取り出す。
「明日は、田中さんの家の柿の収穫を手伝う日だぞ。
朝9時だ」と、懲りずに翌日の予定を読み上げるのだ。
私も、この夫の新ルーティンに対して、新しい「慣れ」を見つけた。
夫が日誌を読み上げている間は、真剣な顔をして聞いているふりをする。
そして、もし忘れてしまったとしても、夫が「ほら見ろ」と呆れる顔を見て、ちょっとだけ申し訳ない気持ちになるものの、すぐに「ああ、またやってしまった」と笑い飛ばせるようになった。
これもまた、夫婦の間の新しいコミュニケーションなのかもしれない。
最近、近所に住む友人の和子さんと、お茶をしていた時のことだ。
彼女は珍しく、ひどく憤慨した様子で、「聞いてよ、うちの息子ったら!
」と話し始めた。
和子さんの息子さんは、10代の頃に自転車を盗まれた経験があり、その時のことを思い出すたびに、今でも激しく怒るのだそうだ。
「もう何十年も前の話なのに、あの時の怒りだけは忘れられないって言うのよ。
よっぽど悔しかったんでしょうねえ」と、和子さんは苦笑い。
私も「それは大変だったわね」と相槌を打った。
10代の頃の、お気に入りの自転車を盗まれるなんて、確かにショックだろう。
私も昔、大事にしていた傘をなくして、数日間落ち込んだことがあったっけ。
物に執着しない性格の私でも、大事なものを失うのは悲しいものだ。
和子さんは話を続けた。「それにしても、あの子、あの時の犯人をいまだに恨んでるのよ。『絶対に許さない!』って、目を血走らせて言うの。そんなに怒るのも、もういい加減にしなさいって言ってるんだけどねえ」。
私も「若い頃の思い出って、なかなか消えないものよね」と、優しく言葉をかけた。
和子さんの息子さんは、きっと真面目で、一度決めたことは徹底的に守るような人なのだろう。
私とは正反対だ。
私だったら、数日後には「そういえば自転車どこ行ったっけ?
」くらいにしか思わないかもしれない。
いや、自転車があったことすら忘れてしまうかも。
すると、和子さんの口から、衝撃的な一言が飛び出した。
彼女は、ふと何かを思い出したように、にやりと笑って言ったのだ。
「そういえばね、あの盗まれた自転車、実は息子が小学校の時に、友達から『ちょっと貸して』って言われて、そのまま乗り逃げしてきた自転車だったらしいのよ。
つまり、パクった自転車なんだけどね、と息子が笑ってて、私、怖くて距離を置いたわ」。
私は、その言葉に絶句した。
怒りの感情の裏側には、そんな秘密が隠されていたとは。
和子さんの息子さんは、自分自身が「パクった」自転車を盗まれたことで、あれほどまでに怒り続けていたのか。
その事実を知った上で、笑い飛ばす息子さんの神経も、なんだか恐ろしい。
そして、その話を聞いて「怖くて距離を置いた」という和子さんの言葉も、どこかユーモラスで、でも、確かにそうだな、と納得してしまった。
人間って、面白い。
いや、怖い。
約束を忘れる私のような人間もいれば、自分が犯した罪を棚に上げて、被害者面して何十年も怒り続ける人間もいる。
記憶とは、なんて都合のいいものなのだろう。
そして、忘れることと、忘れないこと。
どちらが良いのか、私にはよく分からない。
ただ、私はこれからも、夫が読み上げる日誌の内容を、半分聞き流しながら朝食を摂り、そしてきっと、また何かを忘れて、夫に「ほら見ろ」と呆れられるのだろう。
そして、クリーニング店のおばさんに「あら、お久しぶりねえ」と笑いかけられるまでが、私の中でのワンセットであり続けるのだろう。
それでいいのだ、と今は思っている。
約束を忘れても、誰かを傷つけるようなことはない。
自転車をパクるよりは、ずっとマシだ。
そう結論付けて、私は今日も、畑の土をいじる。
明日の予定?
ああ、夫がまた教えてくれるだろう。
たぶん。
💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。
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