📝 この記事のポイント
- ファミレスで隣の席の家族の会話が面白すぎて、頼んだ日替わりランチが一口も喉を通らなかった。
- 小学低学年くらいの男の子が、食べたばかりの唐揚げを指さして「これ、もう一本食べたら変身しちゃうかも! 」と真顔で言ったのだ。
- お母さんが「変身って何に? 」と尋ねると、彼は真剣な顔で「唐揚げ星人にだよ! 」と答えた。
ファミレスで隣の席の家族の会話が面白すぎて、頼んだ日替わりランチが一口も喉を通らなかった。
小学低学年くらいの男の子が、食べたばかりの唐揚げを指さして「これ、もう一本食べたら変身しちゃうかも!
」と真顔で言ったのだ。
お母さんが「変身って何に?
」と尋ねると、彼は真剣な顔で「唐揚げ星人にだよ!
」と答えた。
それを聞いたお父さんが、フライドポテトを口に運びながら「それなら、パパはポテト星人かな」と応じ、家族全員で笑い転げている。
僕も思わず吹き出しそうになり、口に運んだハンバーグを危うく吐き出すところだった。
いや、実際は危うくどころか、ちょっとだけむせた。
その時、ふと脳裏をよぎったのが、最近VTuberがよく口にする「リスナー同士の横のつながり禁止!
」という言葉だった。
大学院で実験の合間に、休憩がてらバイトに向かう電車の中で、ぼんやりとスマホを眺めている。
僕がフォローしているVTuberの一人が、先日配信で「リスナーさん同士で馴れ合わないで!
私以外見ないで!
」と半ギレで訴えていた。
コメント欄は「はい、ごめんなさい!
」「推ししか勝たん!
」といった肯定的な反応で溢れていたけれど、一部には「え、なんで?
」みたいな戸惑いの声もあって。
その時僕は、「あー、わかるかもな」と、妙に納得してしまったのだ。
昔の自分だったら、きっと「え、別にいいじゃん」って思っていたはずなのに。
昔の僕は、とにかく「みんなでワイワイ」が好きだった。
大学に入りたての頃なんて、新歓コンパのたびに初対面の人と肩を組んで「イエーイ!
」とかやってたし。
サークルに入っても、すぐに「〇〇会」とか称して集まっては、くだらないことで盛り上がっていた。
SNSが流行り始めた頃も、知り合ったばかりの人に「友達申請していいですか?
」と尋ねては、あっという間に繋がりを広げていた。
とにかく、知っている人が多ければ多いほど、自分が広がっていくような気がして、それが一種のステータスだとさえ思っていた節がある。
居心地の良いコミュニティを見つけると、その中にどんどん深く入り込んでいって、中心メンバーになりたがるタイプだった。
「みんなで一つのものを作り上げるって最高だよね!
」なんて、キラキラした目で語ってた時期もあったっけ。
あの頃の僕は、自分を取り巻く「横のつながり」こそが、人生を豊かにする一番の要素だと信じて疑わなかった。
だから、VTuberの「横のつながり禁止!
」なんて、意味不明な戒律にしか聞こえなかっただろう。
それが、いつの間にか「別に、一人でもいいか」と思うようになった。
いや、正確には「むしろ、一人の方が楽だな」という境地に達した。
大学院に入って、研究室のメンバーとは最低限の交流はあるけれど、それ以外で積極的に人と会うことはめっきり減った。
実験の準備で徹夜することもしばしばだし、バイトで疲れて帰ってきても、翌朝にはまた研究室に行かなきゃいけない。
そんな日々の中で、新しく人間関係を構築したり、既存のコミュニティに顔を出したりする労力が、途方もなく大きなものに感じるようになってしまったのだ。
休日に誘われても、「あ、ごめん、実験が」「ちょっと、体がだるくて」なんて適当な理由をつけては断り、家でゴロゴロしていることがほとんど。
気づけば、SNSのタイムラインも、以前のように頻繁に更新される誰かの近況よりも、ただひたすらに可愛い猫の動画ばかりを眺めるようになっていた。
コメントをしたり、誰かの投稿に「いいね」を押すことすら億劫で、完全にROM専と化している。
昔は、誰かの投稿に対して「それな!
」とか「わかるー!
」とか、積極的に反応していたはずなのに。
それが今では、自分から何かを発信するなんて、もう何年もやっていない気がする。
たまに、昔のサークルのメンバーが楽しそうに飲み会をしている写真が流れてきたりすると、「あー、元気にしてるんだな」とは思うけれど、そこに加わりたいとは全然思わない。
むしろ、「連絡先聞かれなくてよかった」と、心底ホッとしてしまう。
この変化は、一体いつから始まったんだろう。
たぶん、修士論文の締め切りに追われて、自分のキャパシティを完全に超えた作業を経験したあたりからかもしれない。
あの頃は、友人からの誘いや連絡すら、余計な「タスク」に感じられて、全部シャットアウトしたくなった。
そして、気がつけば、その「シャットアウト」の状態が、自分にとって一番心地よいものになっていた。
人と関わること自体が悪いわけじゃない。
ただ、その関係性を維持するためのエネルギーが、今の自分にはなかなか捻出できないのだ。
VTuberの「私だけ見て!
」という言葉には、そんな僕の「人間関係は必要最低限でいい」という感覚と、どこか重なる部分があるように思える。
彼らがリスナーに求めているのは、きっと「自分への純粋な興味」であって、リスナー同士の緩やかな繋がりから生まれる、自分を介さないコミュニティの発生を恐れているんじゃないか。
リスナー同士で勝手に盛り上がって、いつの間にか自分抜きで話が進んでしまったり、グループができてしまったりする。
そうなると、VTuber本人は、そのコミュニティの中心から少しずつ外れていってしまう。
最終的には「あれ?
私って、このグループに必要だっけ?
」みたいな寂しさを感じてしまうんじゃないだろうか。
それは、まるで僕が昔所属していたサークルで、いつの間にか新しい人たちが中心になって盛り上がっているのを見た時の、あの言いようのない疎外感に近いのかもしれない。
いや、別に僕が疎外されたわけじゃないんだけど、なんとなく「もう僕の居場所はここじゃないな」と感じて、自然と足が遠のいていった、あの感覚。
VTuberが「私だけ見て!
」と願うのは、自分が中心であり続けたい、コミュニティの絶対的なハブでありたいという、ある種の承認欲求の現れなのかもしれない。
そして、その欲求は、僕にも少しだけ、わかる気がする。
だって、僕だって、自分の研究室では一応先輩だし、後輩には「先生」って呼ばれることもあるし、そういう瞬間はちょっと気持ちいいもんね。
とはいえ、この「一人でもいいや」という感覚は、時に僕を深い怠惰の沼に引きずり込む。
例えば、研究室の飲み会。
参加すれば、情報交換もできるし、人間関係も円滑になるのはわかっている。
でも、重い腰が上がらない。
結局、「疲れてるしな」「明日も早いしな」と、もっともらしい理由をつけては、自宅でインスタントラーメンを啜っている。
そして、後日、飲み会に参加した後輩たちが、やたらと楽しそうにしているのを見て、「あー、やっぱり行けばよかったかな」と少しだけ後悔する。
でも、その時後悔しても、次の飲み会で同じことを繰り返すのが目に見えている。
この「わかっちゃいるけどやめられない」という習慣と怠惰の無限ループは、僕の人生のあちこちに潜んでいる。
たとえば、筋トレ。
三日坊主どころか、初日で筋肉痛になって「今日はお休み」と決めてしまう。
語学学習もそうだ。
新しい論文を読むのに英語は必須なのに、参考書は買っただけで満足して、結局Google翻訳頼み。
部屋の片付けだって、「週末にまとめてやろう」と思って、気づけば一ヶ月が過ぎているなんてザラだ。
この「やろうと思ってできないこと」のリストは、僕の脳内で常に更新され続けている。
そして、そのリストを眺めるたびに、「ああ、僕はなんて意志の弱い人間なんだろう」と、ちょっとだけ自己嫌悪に陥る。
でも、この怠惰と習慣も、ある意味では「自分にとって一番楽な道を選んでいる」ということの表れなのかもしれない。
VTuberが「私だけ見て!
」と訴えるのも、僕が飲み会を断って家でゴロゴロするのも、突き詰めれば「自分の心身にとって最もストレスの少ない状態を保ちたい」という、ごく自然な欲求に行き着くのかもしれない。
人間関係の構築や維持には、予想以上にエネルギーが必要だ。
それが負担に感じられるなら、無理に背負い込む必要もない、とどこかで割り切っている。
結局、僕もVTuberも、自分の「居心地の良い場所」を守ろうとしているだけなのかもしれない。
VTuberにとっては、リスナーの純粋な視線が集中する、自分が絶対的な中心である場所。
僕にとっては、誰にも気兼ねなく、好きな時に好きなことができる、一人きりの空間。
もちろん、どちらも極端に走りすぎると、何かを失うことにもなりかねない。
VTuberがリスナーを繋がらせないことで、逆にリスナーが離れていく可能性だってある。
僕がひきこもり生活を続けていれば、いつか本当に誰からも誘われなくなるかもしれない。
でも、まあ、それはそれでいいか、と今の僕は思っている。
少なくとも、今日のところは。
ファミレスの唐揚げ星人のお父さんとお母さん、そして唐揚げ星人になることを夢見る男の子は、きっとこれからも楽しい家族会議を繰り広げるだろう。
僕も、またどこかのファミレスで、彼らのような愉快な会話に遭遇する日を楽しみにしている。
その時、もし僕が「ポテト星人」になっていたら、それはそれで面白いのかもしれない。
もちろん、誰にも迷惑をかけない範囲で、だけどね。
今日のところは、僕の頭の中は、明日の実験の準備と、週末に録り溜めたアニメを消化する計画でいっぱいだ。
うん、それで十分。
💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。
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