📝 この記事のポイント
- 商店街の路地裏で拾ったミスチルのCDと、近所付き合いのゆくえ 夜中にトイレに起きたら、廊下で猫と鉢合わせして両者固まった。
- お互い、まさかこんな時間に遭遇するとは思わなかった、という顔だ。
- うちのトラは夜行性だからまだしも、私は人間なのに。
商店街の路地裏で拾ったミスチルのCDと、近所付き合いのゆくえ
夜中にトイレに起きたら、廊下で猫と鉢合わせして両者固まった。
お互い、まさかこんな時間に遭遇するとは思わなかった、という顔だ。
うちのトラは夜行性だからまだしも、私は人間なのに。
寝ぼけ眼で「あら、トラちゃん、ごめんね」と謝ると、彼は細い目をさらに細めて、ゆらりと闇の中に消えていった。
まったく、猫にまで気を遣うなんて、私も年を取ったものだ。
さて、先日、私はいつものように商店街を散策していた。
特に買うものがあるわけでもなく、ただ季節の移り変わりを目で追い、八百屋のお兄さんと「今日は大根が立派だねぇ」なんて他愛のない会話を交わすのが日課だ。
商店街は、私の生活に欠かせない、ちょっとした劇場みたいなもの。
主役は日によって変わるけれど、今日は、見知らぬおじさんがまさかの主演を務めることになった。
その日は、鉢植えのゼラニウムが少し元気がないように見えたので、園芸店の店主と肥料について世間話でもしようかと、商店街の奥まった方へ足を進めていた。
すると、角を曲がったところで、ちょうど八百屋と魚屋の間の、日陰になった細い路地に、見慣れない男性が立っている。
年の頃は私と同じくらいか、もう少し上かもしれない。
くたびれたベージュのジャンパーを着て、手にはスーパーのレジ袋をぶら下げている。
なんだか、こう、全体的に「所在なさげ」な雰囲気。
「あら、ごきげんよう」と、反射的に挨拶をすると、おじさんはギョッとしたように私の方を向いた。
そして、次の瞬間、私にとっては全く予想外の質問を投げかけてきたのだ。
「あの、すみませんねぇ、おばさん、君たちCDとかDVD聴いたり見たりしますかい?
「え?
」私は思わず間の抜けた声を出してしまった。
君たち、って誰のことだろう。
私は今、一人でいるんだけど。
そして、まさか商店街の路地裏で、唐突にCDとDVDの所有について尋ねられるとは思わない。
私の頭の中では、一瞬のうちにいくつもの疑問符が乱舞した。
これは新手の勧誘だろうか?
それとも、何か困っている人?
いや、でも、CDとDVDって一体……。
私が混乱していると、おじさんはさらに畳み掛けるように言った。
「これ、うちで余ってるもんでね、もしよかったら。
捨てるのも忍びなくて」そう言って、レジ袋の中から、ガサゴソと何かを取り出した。
差し出されたのは、プラスチックケースに入ったCDと、DVDらしきもの。
よく見ると、どちらも表紙に「Mr.Children」と書かれている。
ミスチル!
私は思わず二度見してしまった。
ミスチルといえば、私の若い頃にはすでに人気があったけれど、私の音楽嗜好はもう少し、こう、演歌とか歌謡曲寄りだったりしたもので、実はほとんど聴いたことがない。
名前は知っているけれど、曲は数えるほどしか知らない、というレベルだ。
「あら、ミスチルさん」と、思わず敬称をつけてしまった。
「あの、ええと、頂いてもよろしいんですか?
」恐る恐る尋ねると、おじさんはホッとしたような顔で頷いた。
「ええ、どうぞどうぞ。
よかったら、聴いてみてください。
結構いい歌、多いんですよ」そう言って、私の手のひらにポンとCDとDVDを乗せた。
ずしり、とした重み。
これは、一体何枚入っているんだろう。
見た目には、普通のアルバム一枚と、ライブDVD一枚のように見えるけれど。
「ありがとうございます。
あの、これは、何かお礼を……」と言いかけると、おじさんはブンブンと手を横に振った。
「いやいや、結構です。
誰かに聴いてもらえれば、それでいいんです」そう言って、ニカッと笑った。
その笑顔は、さっきまでの所在なさげな雰囲気とは打って変わって、なんだかとても晴れやかだった。
そして、おじさんはフッと身をひるがえし、来た時と同じように、ひっそりと路地の奥へと消えていった。
まるで、商店街の妖精か、はたまた幻でも見たかのように。
私は、呆然とミスチルのCDとDVDを抱えたまま、しばらくその場に立ち尽くしていた。
一体あれは何だったんだろう。
まるで、道端で猫を拾うような感覚で、ミスチルを拾ってしまった。
いや、拾ったというか、渡されたのか。
しかし、まさか私がミスチルを聴く日が来るとは。
人生、何が起こるか分からないものだ。
家に帰り、ダイニングテーブルに、もらったCDとDVDを並べてみた。
改めてジャケットを見ると、やはり見慣れない顔が並んでいる。
これがミスチルかぁ。
私の脳内には、これまで聴いてきた懐メロのメロディが渦巻いていて、そこにミスチルがどう入り込むのか、全く想像がつかない。
正直なところ、ちょっと期待外れというか、拍子抜けというか。
だって、もしも中身が、昔流行ったあの歌謡曲のレコードだったら、もう少し興奮したかもしれない。
なんて、不都合な本音が顔を出す。
とはいえ、せっかく頂いたものだ。
粗末にするわけにもいかない。
それに、あの「誰かに聴いてもらえれば、それでいいんです」というおじさんの言葉が、妙に心に残った。
誰かの不要品が、私にとっては新しい出会いになるかもしれない。
そう思い、私は恐る恐るCDプレイヤーの蓋を開けた。
ここ数年、CDプレイヤーを使うのは、年末に押し入れから引っ張り出す演歌の大全集を聴く時くらいだ。
なんだか、久しぶりに新しい冒険に挑むような気分。
一番上のCDを取り出し、プレイヤーにセットした。
再生ボタンを押すと、スピーカーから、これまで私の家では聴いたことのない、爽やかなギターのイントロが流れ出した。
なんだか、こう、青空が広がるような、そんな開放感のあるサウンド。
歌詞は、若者の恋愛を歌っているのだろうか。
正直、一度聴いただけでは、何を言っているのか全てを把握するのは難しい。
でも、どこか懐かしいような、それでいて新しいような、不思議な感覚。
私の知らない時代に、多くの人がこの音楽に熱狂したのかと思うと、なんだか感慨深い。
その日の午後、孫のハルトが遊びに来た。
小学四年生になったハルトは、最近はゲームに夢中で、私との会話もだんだん減ってきたような気がする。
寂しいけれど、これも成長の証だろう。
私が庭でゼラニウムの葉を整えていると、ハルトが部屋から顔を出した。
「ばあば、何してるの?
「あら、ハルト。
ちょっと見てごらん、このゼラニウム、葉っぱの色が薄くなってきたのよ。
肥料が足りないのかしらね」私がそう言うと、ハルトは興味なさそうに「ふーん」とだけ言って、また部屋に戻ろうとした。
その時、私の目に入ったのは、リビングのテーブルに置きっぱなしになっていたミスチルのCDだった。
「ねえ、ハルト。これ、知ってる?」私はCDを手に取り、ハルトに見せた。「ミスチルって書いてあるけど、知ってるかい?」
ハルトはギョッとしたように私の手元のCDを見つめた。そして、目を丸くして言った。「え、ばあば、ミスチル知ってるの?てか、なんで持ってるの?」
「いや、実はね、今日商店街で知らないおじさんにこれをもらってね。
聴いてみたら、結構いい曲なんだよ」私は得意げに答えた。
すると、ハルトの顔に、それまで見たことのないような表情が浮かんだ。
「えー!
マジで!
ミスチルとか、今の若い子も聴くんだよ!
パパも好きだし!
てか、ばあばがミスチル聴くとか、なんかウケる!
ウケる、とは失礼な話だ。
しかし、ハルトの目が、これまでになく輝いていることに私は気づいた。
そこからは、もうハルトのミスチル談義が止まらない。
どの曲が好きだとか、このアルバムは名盤だとか、このライブDVDは絶対に見た方がいいとか。
普段はゲームの話ばかりで、私の知らない言葉を連発するばかりなのに、ミスチルの話となると、まるで水を得た魚のようだ。
「ばあば、このDVD見てみようよ!
絶対感動するから!
」ハルトにせがまれ、二人でテレビの前に座り、もらったDVDを再生した。
画面いっぱいに広がる、熱気あふれるライブ会場。
ボーカルの人が、汗を流しながら全身で歌い上げている。
なんだか、こう、胸に迫るものがある。
私の知っている歌謡曲とは全く違うけれど、そこには確かに、多くの人の心を揺さぶる「何か」があった。
ハルトは画面に釘付けになり、時々「この曲はね、〇〇っていう曲でさ!
」と、解説までしてくれる。
そんなハルトの姿を見ていると、なんだかとても嬉しくなった。
結局、その日はハルトと一緒に、夕飯の準備も忘れてミスチルのライブDVDを最後まで見てしまった。
夕飯は、冷蔵庫の残り物でパパッと済ませたけれど、ハルトはいつも以上に楽しそうだった。
私がこれまで知らなかった音楽の世界を、孫と一緒に覗くことができた。
これは、商店街のおじさんがくれた、思いがけないプレゼントだ。
考えてみれば、私はこれまで、自分の興味のあるものしか見ようとしなかったのかもしれない。
慣れ親しんだ世界の中で、安心しきっていた。
でも、あのミスチルのCDとDVDは、そんな私の日常に、ちょっとした風穴を開けてくれたような気がする。
知らない世界に足を踏み入れるのは、少し勇気がいるけれど、そこには思いがけない発見や、誰かとの繋がりが待っているのかもしれない。
後日、私はあの路地裏のおじさんを探して、商店街を歩いてみた。
もし会えたら、「おかげで孫と盛り上がりましたよ」とお礼を言いたかったのだ。
しかし、いくら探しても、あのベージュのジャンパーのおじさんには会えなかった。
まるで最初からいなかったかのように。
だけど、いいんだ。
別に、お礼を言えなくても。
あの人は、ただ「誰かに聴いてもらえれば、それでいい」と言っていたのだから。
私はこれからも、あのCDとDVDを大切にするだろう。
そして、あの日のことを思い出すたびに、クスッと笑ってしまうに違いない。
人生、時には思いがけないものが、ふらりと路地裏からやってきて、私たちの日常をちょっぴり彩ってくれる。
まるで、夜中に鉢合わせしたトラのように、突然現れて、そしてまた、何食わぬ顔で去っていく。
そんなものなのかもしれない。
さて、今日も庭のゼラニウムに水をやろうか。
もしかしたら、肥料をあげたら、もっと素敵な花が咲くかもしれない。
そして、また商店街を歩けば、今度はどんな出会いが待っているんだろう。
そんなことを考えると、なんだか明日が楽しみになってくる。
💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。
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