スシローとパペットスンスン、私と帰宅後の小さな冒険

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📝 この記事のポイント

  • 銀行のATMで操作を間違えて、後ろに並んでいる人のプレッシャーを感じた。
  • ただ、後ろに人がいると、急に脳の容量が半分くらいになる。
  • 前の人がポイントカードを探す間、無駄に背筋を伸ばしてしまう。

銀行のATMで操作を間違えて、後ろに並んでいる人のプレッシャーを感じた。

ピッ、ピッ、と焦ってボタンを押す。

なぜかいつもこうだ。

機械が苦手なわけじゃない。

ただ、後ろに人がいると、急に脳の容量が半分くらいになる。

レジの行列でも同じ。

前の人がポイントカードを探す間、無駄に背筋を伸ばしてしまう。

ああ、この肩の凝りは、きっとそういう小さな緊張の積み重ねだ。

季節はすっかり初夏。

半袖にするか、薄手の長袖にするか。

朝の気温とにらめっこする毎日だ。

ここ数日、汗ばむ陽気が続いたかと思えば、急にひんやりする夜もあったりして。

体がついていかない。

単身赴任から帰ってきて半年。

ようやく家族との生活にも慣れてきたけれど、自分の体調管理はなかなか難しい。

妻が用意してくれた衣替えの服を、まだちゃんと整理できていないのも原因の一つだろう。

クローゼットの奥から引っ張り出したセーターが、まだ生温かい風に吹かれている。

なんか、季節に乗り遅れてるなあ、私。

そんな乗り遅れ気味の私とは対照的に、世間は新しい波に乗っている。

特に、娘の友人たちの間では今、「パペットスンスン」というキャラクターが大流行中らしい。

娘からその話を聞いた時、「パペットスンスン?

」と首を傾げた。

妻も「え、何それ?

聞いたことない」と隣でつぶやく。

私と妻、夫婦揃ってトレンドに疎い。

娘は呆れた顔で、「スンスンだよ!

今スシローとコラボしてるんだよ!

」と教えてくれた。

スシロー。

回転寿司のあれか。

あそこ、最近色々あったらしいけど、コラボか。

そういえば、前に一度だけ、スシローで奇妙な光景を見たことがあった。

数週間前だったか。

休日に家族で買い物に出かけたついでに、久しぶりにスシローへ行った。

昼時を少し外したのに、店内はまあまあの賑わい。

家族連れが多い。

そんな中、見慣れない光景が目に飛び込んできた。

若い女性が二人。

テーブル席に座り、目の前にはお寿司がいくつか。

でも、その視線の先はお寿司ではない。

彼女たちの間に、ちょこんと座るようにぬいぐるみが置かれていたのだ。

それが、後から娘に教えてもらった「パペットスンスン」だった。

片方の女性がスンスンに向かって、話しかけている。

「スンスン、このえびアボカド、おいしいね」なんて言っているように見えた。

もう一人の女性は、スンスンの写真を撮っている。

何枚も、角度を変えて、シャッターを切る。

まるで、スンスンが本当にそこにいるかのように。

周りの客は、特に気にしている様子もない。

みんなそれぞれの食事を楽しんでいる。

私も最初は「なんだあれは」と思ったけれど、すぐに「まあ、いいか」という気持ちになった。

だって、誰にも迷惑をかけていないし。

むしろ、彼女たちはとても楽しそうだ。

娘はその日、スンスンのキャラクターグッズが欲しかったらしく、結局クレーンゲームで小さなキーホルダーをゲットしていた。

それをリュックに付けて、ご満悦。

私にはキャラクターの魅力は正直よく分からない。

でも、娘が嬉しそうな顔をしているのを見ると、私もなんだか嬉しくなる。

それが親というものなのだろう。

単身赴任中は、こんな風に娘の喜ぶ顔を直接見る機会も少なかったから、小さなことでも新鮮に感じる。

それにしても、スンスンを連れてスシローに行く人たちの行動って、すごいなあ。

私にはできない。

できない、というか、やろうと思ったこともない。

例えば、私が今、自宅で飼っている金魚を水槽から出して、スシローに連れて行って「金魚、このイカ、新鮮だよ」なんて語りかけたら、確実に通報されるだろう。

いや、金魚は水槽から出したら死んでしまう。

そもそも連れて行けない。

それは極端な例だとしても、自分の好きなものを、他人の目を気にせず堂々と楽しむというのは、なかなか勇気がいることだ。

私の場合、単身赴任から帰ってきてからというもの、どうにも「他人の目」を意識するようになってしまった。

会社では「単身赴任帰りだから、慣れないことも多いだろう」という優しい視線を感じる。

地元でも「久しぶりに帰ってきたんだな」という温かい視線を向けられる。

それはありがたいことなのだけど、同時に、何か失敗できないような、ちゃんとしなきゃいけないような、変なプレッシャーを感じてしまう。

だから、スシローでスンスンと会話する彼女たちを見ていると、ちょっと羨ましくなるのだ。

でも、よくよく考えてみれば、私だって似たようなことをしているのかもしれない。

先日、妻がスーパーで買ってきたちょっといいプリンを、家族に内緒で一人で食べた。

食べた後、空の容器をそーっとゴミ箱に捨てた。

あれも、ある意味「内緒で楽しむ」行為だ。

いや、全然違うか。

あれはただの秘密の背徳感だ。

スンスンを連れて行く行為とは、根っこが違う。

それに、私だって、自分だけの「好き」をこっそり楽しんでいる。

例えば、深夜に一人で食べるカップ麺。

家族が寝静まった後、台所の片隅で、罪悪感を感じつつも食べるあの味。

あれも一種の「自分だけの時間」だ。

誰にも見られずに、誰にも邪魔されずに、自分だけの世界に浸る。

スシローでスンスンと語り合う人たちと、深夜にカップ麺をすする私。

形は違えど、もしかしたら同じような「満たされたい気持ち」がそこにあるのかもしれない。

今年の夏は、なんだか蒸し暑くなりそうだ。

ニュースでそんなことを言っていた。

体調を崩しやすい季節でもある。

しっかり水分を摂って、バランスの良い食事を心がける。

そんな当たり前のことが、単身赴任中は結構おろそかになっていた気がする。

久しぶりに家族と囲む食卓は、やっぱりいいものだ。

娘が「この魚、美味しい!

」と目を輝かせる。

妻が「あなた、お味噌汁おかわりする?

」と尋ねてくれる。

そんな日常の小さなやり取りが、何よりのご馳走だ。

スンスンとスシローで楽しそうにしている彼女たちを見て、「若いっていいなあ」と一瞬思ったけれど、よくよく考えれば、年齢なんて関係ないのかもしれない。

自分の好きなものを、素直に「好き」と言えること。

それを誰かの目を気にせず、堂々と表現できること。

それは、いくつになっても大切なことだ。

私だって、この前、気に入ったTシャツを色違いで3枚買ってしまった。

妻には「また同じようなの買って」と呆れられたけれど、私にとってはそれが「好き」の表現なのだ。

結局、スシローでスンスンと一緒に遊ぶ人も、深夜にこっそりカップ麺を食べる私も、どっちもどっち。

誰かにとっては「なんで?

」と思うようなことでも、本人にとってはかけがえのない時間だったりする。

人生、そういう小さな「好き」を積み重ねていくものなのかもしれない。

秋になったら、今度こそクローゼットの整理をしよう。

そして、衣替えのついでに、自分の「好き」を見つける旅に出るのも悪くない。

もちろん、こっそりと。


💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。

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