📝 この記事のポイント
- うちの洗濯機には、魔物が住んでいるのかもしれない。
- 片方だけ吸い込んで、どこかの異次元に飛ばしているに違いない。
- 妻に「また靴下食べた? 」と聞けば、「知らないわよ、ちゃんとネットに入れなさいって言ってるでしょ」と冷たい返事。
洗濯物を干していたら、靴下の片方がない。
これで今月3枚目である。
うちの洗濯機には、魔物が住んでいるのかもしれない。
いや、きっと住んでいる。
片方だけ吸い込んで、どこかの異次元に飛ばしているに違いない。
妻に「また靴下食べた?
」と聞けば、「知らないわよ、ちゃんとネットに入れなさいって言ってるでしょ」と冷たい返事。
子どもたちは「きっとパパが落としたんだよ!
」と無責任に指をさす。
おいおい、俺は靴下泥棒じゃないぞ。
毎朝、パジャマを脱ぎ散らかし、朝食ではパンくずを床にばらまき、歯磨きは鏡に水滴を飛ばす。
そんな小学生の息子二人に、果たして「洗濯ネットに入れる」という高度なミッションが遂行できるだろうか。
答えは否である。
彼らにとって、洗濯機は汚れた服を放り込む魔法の箱。
それ以上でもそれ以下でもないのだ。
そして、その魔法の箱は、時々気まぐれに片方の靴下を消し去る。
消えた靴下を前に、なぜかいつも犯人扱いされる俺。
世の中、理不尽なことばかりである。
そんな日常の小さな不満を抱えながら、先日、とあるシャツをクリーニングに出した。
とっておきの勝負服、ではないけれど、ちょっと良い感じの、会社の懇親会に着ていくようなやつだ。
いつもは近所のコインランドリーで済ませてしまうのだが、今回は襟元の汚れがひどく、さすがにプロの技に頼るしかないと判断したのだ。
店員のおばちゃんは「あら、いいシャツねぇ。
しっかり綺麗にしておくわね!
」と、ベテランの風格を漂わせながらニコニコと受け取ってくれた。
その笑顔に、俺は一抹の不安を覚えるべきだったのかもしれない。
数日後、仕上がりを取りに行った。
パリッとした仕上がりに、さすがプロだと感心し、早速ハンガーから外してクローゼットへ。
その時だった。
内襟のタグに、見慣れない記号が目に飛び込んできた。
それは、油性ペンで力強く書かれた「タナカ」。
え、田中?
俺、田中じゃないんだけど……。
いや待て、よく見ると「タ」と「ナ」は間違いないが、最後の文字は「カ」ではない。
これは……「ケ」か?
「タナケ」?
いや、それはもっと違う。
よくよく目を凝らしてみると、それはどうやら俺の名字の最初の二文字と、そのあとに続く一文字を、ものすごい勢いで略した文字のようだった。
「ひ、ひえーっ!
」と、思わず変な声が出た。
いや、まさかそんな。
ブランドのタグに直書き?
しかも、この、なんというか、力強い筆跡。
まるでサインペンの暴力。
文字はしっかりタグの繊維に染み込み、もうどう頑張っても消えそうにない。
これ、中古に出すときどうすんだよ!
いや、中古に出さないけどさ!
なんだか、自分のシャツが突然「タナカ」さんの所有物になったような、妙な敗北感に襲われた。
慌てて他のクリーニング品も確認してみる。
妻のブラウス、子どもの制服、俺の別のジャケット。
どれもこれも、内襟や裏側のタグ、あるいは洗濯表示のタグに、油性ペンで何かしらの略字が書かれている。
妻のブラウスには「ヤマダ」(妻の旧姓ではない)、子どもの制服には「イチロー」(息子の名前は一郎ではない)。
もはや、意味不明の記号と化している。
まるで、クリーニング店のおばちゃんの気まぐれな落書き大会だ。
これって、もしかして「お客さまの衣類を識別するための記号です」とかいう、まことしやかなルールに則った行為なのか?
いや、それにしても、なぜよりによって油性ペンなんだ。
もう少し、こう、洗濯しても消えないけど、必要なら消せるインクとか、そういった、現代的な技術はなかったのか……。
正直なところ、最初は怒りよりも、呆れと、あとちょっとの面白さが勝っていた。
「タナカ」のシャツを着て会社に行ったら、同僚に「あれ、田中さんって名字だっけ?
」と聞かれるかもしれない、なんて想像したら、なんだか可笑しくなってしまったのだ。
しかし、そこはそれ、さすがに妻には言えない。
妻が一番大事にしているブランド物のコートに、もし「フジカワ」とか書かれていたら、確実に俺の命はないだろう。
いや、俺がクリーニングに出したわけじゃないんだけど、最終的に文句を言われるのは俺なんだよな、きっと。
冷静になって考えてみた。
クリーニング店も、毎日山のような衣類を捌いているわけだから、いちいちタグ付けなんてやってられないのかもしれない。
それに、タグを付けると、それが外れて紛失したり、他の衣類に引っかかったり、というトラブルもあるのだろう。
だから、最終手段として、油性ペンで直書き。
それも、さも当然のことのように。
俺は客として、なんの承諾も求められていない。
きっと、利用規約のどこかに、米粒みたいな文字で「お客様の衣類には、当店の判断により識別記号を付与する場合がございます」とか書いてあるに違いない。
いや、それも探したけど見つからなかったが。
以前、子どもの幼稚園の体操服に、自分で油性ペンで名前を書いたことがある。
あの時は、書き慣れない布地につい力を入れすぎて、裏側にまでインクが滲んでしまった。
その時、妻から「もう!
なんでこんなに下手なの!
これじゃあ裏側から見ても誰のものかわかっちゃうでしょ!
」と怒られた。
あの時のことを思えば、クリーニング店のおばちゃんの達筆な略字は、むしろプロの技と呼べるのかもしれない。
滲み一つなく、タグの範囲内に収まっている。
だが、そこじゃないんだ、問題は!
「パパのシャツ、なんか変な字が書いてあるー!
」と、小学二年生の息子がシャツを見つけて指をさした。
「ああ、これはね、クリーニング店の魔法のマークだよ」と適当にごまかしたが、息子は目をキラキラさせて「僕のも書いてもらえるかな?
」と聞いてきた。
おいおい、これは魔法じゃなくて、消えない呪いなんだぞ。
結局、その「タナカ」のシャツは、なんだかんだで着ている。
もう開き直るしかない。
懇親会でも、もし誰かに「あれ?
そのタグ、田中さんの?
」なんて聞かれたら、「あー、これね、うちのクリーニング店の店長が、俺の名字を田中だと思い込んで書いちゃったんだよねー」と、ネタにして笑い飛ばすしかないだろう。
それが、40代既婚男性、世の中の理不尽にちょっとだけ諦めて、でもちょっとだけ抵抗したい、そんな俺の精一杯の抵抗なのだ。
この一件以来、クリーニング店選びは慎重になった。
次にシャツを出すときは、受け付けでこう言ってみようと思う。
「あの、すみません、タグに直書きは、できれば勘弁していただきたいのですが……」と。
いや、言えるかな。
多分、恥ずかしくて言えないだろうな。
そして、また同じように油性ペンで略字を書かれて、家に帰ってから「うわー、またやられたー!
」と一人で苦笑いする未来が見える。
そんな俺の哀愁と、クリーニング店の油性ペンの猛威は、これからも終わらないのかもしれない。
せめて、来月は靴下が全部揃って洗濯機から出てきてくれることを、心から願うばかりである。
💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。
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