宅配便の再配達票と、京都の「ここからが京都」問題

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📝 この記事のポイント

  • ネットで注文した服のサイズが合わなくて、返品の手続きが面倒で放置している。
  • 正確には、段ボール箱に詰め直して、伝票も貼り付けたところまでは完璧だ。
  • あとは集荷に来てもらうか、コンビニに持ち込むだけ。

ネットで注文した服のサイズが合わなくて、返品の手続きが面倒で放置している。

正確には、段ボール箱に詰め直して、伝票も貼り付けたところまでは完璧だ。

あとは集荷に来てもらうか、コンビニに持ち込むだけ。

たったそれだけなのに、玄関の隅に鎮座するその箱を見るたびに、僕は小さくため息をつく。

もう三週間くらい経つだろうか。

買ったばかりの、ちょっと奮発した麻のシャツだった。

これからの季節にちょうどいいと意気込んで買ってみたはいいが、どうにも肩回りがきつい。

腕を上げると胸のボタンが弾け飛びそうな危機感に襲われる。

いや、決して僕の肩がパンパンなわけじゃない。

デザインが細身すぎたんだ、と自分に言い聞かせている。

独り身に戻ってからというもの、こういう「あと一歩」の作業が本当に苦手になった。

結婚していた頃は、妻がサッとやってくれていた気がする。

僕が「サイズ合わないな」とボヤけば、翌日には新しいサイズが届いていた、とまでは言わないが、少なくとも玄関に三週間も箱が居座ることはなかっただろう。

別に妻にやらせていたわけじゃない。

ただ、僕が「面倒だな」と思うことが、なぜか知らないうちに片付いている、そんな奇跡が日常には転がっていたのだ。

今となっては、その奇跡が彼女の地道な努力の結晶であったことを痛感する日々だ。

そんな僕の隣で、我が家の猫、三毛猫の「みたらし」が、その返品箱を爪とぎと勘違いしてガリガリやっている。

おい、それは段ボールだぞ。

中に麻のシャツが入ってるんだ。

新品だぞ。

でも、彼はどこ吹く風で、真剣な表情で角を研ぎ続ける。

そのたびに「バリバリッ」という乾いた音が響く。

返品する前に、箱がボロボロになりそうだ。

いや、もうすでに、角はかなりボロボロになっている。

これが「使用感がある」と見なされて、返品を拒否されたらどうしよう、という新たな不安が僕の胸をよぎる。

みたらし、お前も僕を苦しめるのか。

週末、子どもたちが遊びに来た時も、その箱は玄関に鎮座していた。

小学二年生の娘が「パパ、この箱、何?

」と聞くので、「えーっと、パパの新しい服なんだけど、ちょっとサイズが合わなかったんだ」と正直に答えた。

「返品すればいいじゃん」と娘はあっさり言う。

「うーん、そうだよね」と僕は苦笑い。

五歳の息子は、箱の隙間から中を覗き込み、「何が入ってるの?

」と目を輝かせている。

彼らにとって、段ボール箱は無限の遊び道具だ。

この箱で秘密基地を作るのはやめてくれ、とヒヤヒヤしながら見守る。

彼らの無邪気な視線が、僕の「あと一歩」の面倒くささをさらに浮き彫りにする。

そんな子どもたちとご飯を食べながら、たまたまテレビでやっていた地域格差の話題になった。

東京の人が「○○線沿線じゃないと東京じゃない」みたいな居住地マウントがある、みたいな話だった。

いや、正直、東京に住んでいても、そういう感覚は僕にはあまりない。

僕なんて、住んでるのが23区外だから、もはや東京認定されていないかもしれない。

むしろ、神奈川県民の方から「なんか東京ぶってるけど、実質神奈川だよね?

」みたいな顔をされている気がする。

被害妄想かもしれないけれど。

そういえば、昔、大学時代に関西出身の友人とそんな話になったことがあったな、と思い出した。

彼は京都出身で、僕が「京都っていいよな、宇治とか行ってみたかったんだ」と言ったら、妙な顔をして「宇治?

ああ、宇治ね…」と歯切れの悪い返事をしたのだ。

僕が「何かあった?

」と聞くと、彼はぼそりと呟いた。

「いや、あれは京都じゃないから」。

「え?

」と僕は思わず聞き返した。

「だから、宇治は京都じゃないって。

宇治は宇治や」
いやいや、地図を見れば、どう見ても京都府だろ。

宇治市だろ。

平等院鳳凰堂とか、お茶とか、京都を代表する観光地じゃないのか?

僕の頭の中はクエスチョンマークでいっぱいになった。

その友人の言い分は、こうだった。

京都とは、洛中、つまり京都市の中心部を指すのであって、宇治はそこから外れるから、あくまで「京都府の宇治」であって、「京都」ではない、と。

まるで、東京都心に住む人が、多摩地域を「東京じゃない」と言うようなものだ。

いや、それよりもっと強烈だった。

僕はその時、関東の人間が地方の地名に詳しいわけでもなく、ざっくり「京都」と括ってしまっていることに気づかされた。

そして、その友人の「京都は特殊」というプライドの高さに、ちょっとした恐怖すら覚えた。

マウントというよりは、アイデンティティの主張、とでも言うべきか。

それは、外野からは理解しがたい、けれど本人にとっては非常に重要な線引きなのだ。

その日以来、僕は「京都」という言葉を使うのが少し怖くなった。

うっかり「京都に行ったら清水寺と宇治の平等院に行って…」なんて言おうものなら、「宇治は京都ちゃうで」と、あの時の友人の幻影が僕を睨みつける気がしたのだ。

あれは彼の個人的な意見だったのか、それとも多くの京都人が抱く共通認識なのか。

いまだに答えは出ていない。

ただ、彼らの頭の中には、「ここからが京都」という見えない線引きが、明確に引かれていることだけは理解した。

関東民の居住地マウントを関西人は理解できない、というけれど、それはきっと、関西にも同じような「ここからが○○」という見えない線引きがあるからだろう。

京都だけじゃない。

大阪だって、神戸だって、それぞれに「ここからが真の○○」というプライドの境界線があるに違いない。

それを僕ら関東の人間が、安易に「関西」と一括りにして語ってしまうのは、もしかしたら彼らにとって大変な失礼なのかもしれない。

多様性とは、かくも複雑なのだ。

僕なんて、自分の住む区の隣の区を「違う区」としか認識していないのに、彼らの地域に対するこだわりは、本当にすごい。

みたらしが、僕の返品箱に背中をこすりつけている。

また一つ、新しい傷が増えた気がする。

いや、気のせいかもしれない。

彼の毛並みは、僕の心を落ち着かせるには十分な柔らかさだ。

撫でてやると、ゴロゴロと喉を鳴らす。

この猫は、僕がどこに住んでいようが、僕の服のサイズが合っていなかろうが、ただ僕の隣にいてくれる。

それだけでいいのだ。

さて、この返品箱、どうしたものか。

そろそろ本当に集荷を依頼するか、コンビニに持ち込むかしないと、本当に返品期限が過ぎてしまう。

そういえば、子どもの幼稚園のママ友が、昔「フリマアプリで売れば?

」とアドバイスしてくれたことがあった。

新品同様なら、少しは元が取れるかもしれない。

でも、あの面倒な出品作業と、見知らぬ人とのやり取りを想像すると、また「あと一歩」が進まなくなる。

きっと僕は、そのままクローゼットの奥にしまい込んで、数年後に「あれ、こんな服持ってたっけ?

」と発見するのだろう。

いや、今回は違う。

僕は決めた。

明日の朝、子どもたちを駅に送っていったついでに、コンビニに寄る。

そう、たぶん。

きっと。

いや、もしかしたら、その足でスーパーに寄って、惣菜コーナーで10分悩んで、結局何も買わずに帰ってくる、というパターンになるかもしれない。

いやいや、今回は違う。

断固として返品する。

そして、そのお金で、みたらしのお気に入りのカリカリをいつもより少しだけ奮発して買ってやるんだ。

それが、僕のささやかな、そしてほとんど達成されないであろう誓いだ。

でも、この麻のシャツは、僕が「あと一歩」を踏み出すきっかけになったのだから、きっと何かの役に立つはずだ。

たぶん。

うん、そう信じよう。

じゃないと、みたらしに穴だらけにされた箱が、本当にただの邪魔な物体になってしまう。

それは困る。

うん、本当に困るんだ。


💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。

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