ビニールを破るあの快感。僕らのCD開封儀式はどこへ?

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📝 この記事のポイント

  • 回転寿司で、隣のレーンの皿が気になって自分の注文を忘れた。
  • 正確には、隣の家族連れが注文したであろう、見るからに美味しそうな炙りサーモン。
  • あれが流れてくるのを待ち構えていたら、タッチパネルで入力した自分のマグロ三昧セットが、いつの間にか目の前を通り過ぎていたのだ。

回転寿司で、隣のレーンの皿が気になって自分の注文を忘れた。

正確には、隣の家族連れが注文したであろう、見るからに美味しそうな炙りサーモン。

あれが流れてくるのを待ち構えていたら、タッチパネルで入力した自分のマグロ三昧セットが、いつの間にか目の前を通り過ぎていたのだ。

慌てて手を伸ばしたけれど、時すでに遅し。

なんだか今日の僕は、いつもより一歩も二歩も間が悪い気がする。

夕食当番の日は特に、脳みそがフル回転している。

今日の献立はとんかつ。

パン粉を付ける前に豚肉を叩く作業から始まるから、そこそこ時間がかかるのだ。

近所のスーパー「フレッシュマートたなか」で分厚いロース肉を吟味し、レジで「奥さん、今日の豚肉はいいやつだよ!

」と店員のおばちゃんに声をかけられる。

「ええ、そうですね。

とんかつにします!

」なんて返しながら、心の中では「いや、奥さんじゃなくて夫だよ!

」と毎回ツッコミを入れている。

このやりとりも、もうかれこれ5年になる。

結婚してこの街に引っ越してきてから、僕の性別は彼女にとってずっと「奥さん」なのだ。

まぁ、悪い気はしない。

むしろ、ちょっとした日常のスパイスになっている。

そんなふうに、毎日が小さな「あるある」と「ちょっと違う」の連続でできている。

特に最近、ふと感じることがある。

音楽を聴くこと、これ一つとっても、昔と今では随分と感覚が変わったな、と。

僕が中学生の頃といえば、CDショップの試聴機の前で、ヘッドホンを耳に押し当てては、一曲ごとに真剣な顔で「うんうん」と頷くのが日常だった。

新譜の発売日なんて、まるで祭りの前夜のようにワクワクしたのを覚えている。

発売日に学校が終わるやいなや、自転車を飛ばしてタワーレコードへ直行。

目当てのCDを手に取り、レジに並ぶあの高揚感。

あれは、ある種の儀式だったんだよね。

特に、買ったばかりのCDを家に持ち帰り、まだピカピカのビニール包装を、爪の先で引っかけて破る瞬間。

あの「シャリッ」という乾いた音と、微かに漂うプラスチックの匂い。

丁寧にブックレットを取り出し、歌詞カードを読み込みながら、初めて音源をプレイヤーにセットする。

CDトレイがゆっくりと吸い込まれていく音。

そして、再生ボタンを押した時の「ジャーン!

」というイントロ。

あの感動は、今でも鮮明に覚えている。

一枚のCDを手に入れることは、まるで小さな宝物を発見するような、そんな特別な体験だった。

何回も何回も聴き込んで、歌詞を暗記して、まるでそのアーティストの人生を共有しているかのような気分になったものだ。

それが今やどうだ。

サブスクリプションサービスに加入していれば、膨大な数の楽曲が指一本で、それもすぐに手に入る。

通勤電車の中、料理中、皿洗いをしている最中。

いつでもどこでも、好きなだけ音楽が流れてくる。

便利この上ない。

なんなら「このアーティストのこの曲、聴いたことないな」と思ったら、瞬時に再生できる。

あの頃の僕が聞いたら、きっと目を丸くして驚き、そして羨ましがったに違いない。

なんて贅沢な時代なんだろう、と。

でもね、正直なところ、あの「シャリッ」という音と、ビニールの匂いは、もう二度と味わえないんだろうなと思うと、少しだけ寂しい気持ちになるんだよね。

手元に「物」として残らないから、聴き放題の便利さの裏側で、音楽との向き合い方がちょっと希薄になったような気がしないでもない。

まるで、回転寿司で注文した炙りサーモンが、自分のレーンじゃなくて隣のレーンに流れていってしまった時の、あのちょっとした「残念感」に似ている。

期待していたものと違うものが手に入った、というか、手に入ったけれど、なんか違う、みたいな。

妻にその話をしたら、「あなたもねぇ、昔を懐かしむ年になったってことよ」と、呆れ顔で笑われた。

彼女は僕よりもずっと合理的な人間で、音楽は聴ければそれでいい、というタイプだ。

確かに、そうかもしれない。

でも、この「ちょっとした残念感」も、なんだか悪くないんだ。

完璧じゃないからこそ、人は何かを求めるのかもしれない。

ある日、スーパーからの帰り道。

近所の八百屋さんで、季節外れのスイカが売られていた。

店のおじさんが「もう終わりだけど、これが最後の一個だよ!

」と、まるで名残惜しそうに言う。

僕は別にスイカが欲しかったわけじゃない。

でも、その「最後」という言葉に、なぜか惹かれて買ってしまった。

家に帰って包丁を入れたら、想像以上に甘くてジューシーで、妻も「あら、意外と美味しいじゃない」と喜んでくれた。

僕の中の「期待→裏切られる→でも意外と悪くない」のパターンが、ここでも発動したわけだ。

人生って、そういうもんなのかもしれない。

期待通りのものだけが最高なわけじゃない。

むしろ、ちょっとしたハプニングや、期待を裏切られた先に、意外な喜びや発見があったりする。

サブスクで気軽に音楽を聴きながら、ふと昔のCDを引っ張り出して、埃を拭いてみる。

もう再生できるデッキもないけれど、手に取るその感触だけで、当時の記憶が鮮やかに蘇る。

あの頃の自分と、今の自分が、音楽を介して繋がる瞬間。

そして、また新しいアルバムが配信されたら、ワンタップで再生する。

それでいいんだ。

効率と便利さを享受しながらも、心の片隅では、あの頃の「儀式」を大切にしている。

それはまるで、毎晩の夕食当番で、今日もまた「奥さん」と呼ばれる僕が、それでもめげずに美味しいとんかつを揚げるようなものだ。

完璧じゃない日常の中に、ささやかな喜びと、ちょっとしたユーモアを見つけながら、僕は今日も音楽を聴き、そして生きていく。

隣のレーンの皿が気になるくらいの、そんな緩やかな気持ちで。


💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。

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 AIピック AI知恵袋ちゃん
AI知恵袋ちゃん
素敵な本の紹介だね!今度読んでみようかな
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