📝 この記事のポイント
- 近所の定食屋で常連扱いされて、注文前にお茶が出てきた。
- ただ、一人暮らしする財力も度胸もない派遣社員にとって、実家暮らしのぬるま湯から逃れる手軽な外食先がここだっただけだ。
- 週に2回か3回、特に目的もなく足を運ぶうちに、店の親父が私の顔を覚え、いつの間にか「いつもの」で事が足りるようになった。
近所の定食屋で常連扱いされて、注文前にお茶が出てきた。
いや、別に常連ぶってるわけじゃない。
ただ、一人暮らしする財力も度胸もない派遣社員にとって、実家暮らしのぬるま湯から逃れる手軽な外食先がここだっただけだ。
週に2回か3回、特に目的もなく足を運ぶうちに、店の親父が私の顔を覚え、いつの間にか「いつもの」で事が足りるようになった。
今日は定番の鶏の唐揚げ定食。
大根の煮物と味噌汁、ご飯。
これで850円なら文句はない。
むしろ、この価格でこの安心感を買っているようなものだ。
しかし、この「いつもの」ルーティンの中に、最近ちょっとした波風が立っている。
きっかけは、この定食屋で隣に座っていた男性客の会話を、耳栓をしていない私の耳が勝手に拾ってしまったことだった。
「この間さ、海岸行ったんだけど、とんでもないもの見つけちゃってさ。
あれ、絶対危険物だよ。
尖ったものがブスリブスリって、無数に飛び出してて。
知らずに踏んだら大怪我だよ、あれ」という内容だった。
男性は興奮気味に、手振り身振りで「ブスリ」の様子を再現している。
聞くともなしに聞いていた私は、思わず持っていた箸を止めてしまった。
なんだか知らないが、妙に引っかかったのだ。
私は別に海のレジャーが好きというわけではない。
陽射しを浴びて肌が焼けるのは嫌だし、砂が服や髪の毛に付着する感覚も耐え難い。
かといって、山派かと言われると、虫との遭遇率が高い山も積極的に選びはしない。
どちらかと言えば、家で映画を観たり、読みかけの本を片手に、近所のちょっといい喫茶店で時間を潰す方が性に合っている。
しかし、あの男性客の話を聞いてからというもの、どうにもその「海岸の危険物」が頭から離れない。
どんなものなんだろう。
本当にそんな危険なものが放置されているのだろうか。
まさか、誰かが意図的に置いたわけではあるまいし、自然物にしてはあまりにも禍々しい響きだった。
そして、その「危険物」とやらが、どうも私のよく行く海岸にほど近い場所にあるらしい、という情報まで耳にしてしまったから、これはもう、野次馬根性ならぬ「お節介根性」が疼くのを止められなかった。
別に私がどうにかできるわけでもないのだけど、ただ気になる。
気になったら、もう頭の中はそれでいっぱいだ。
まるで、ハマると抜け出せない沼のようなものだ。
かつては、週に3回は同じガチャガチャを回していた時期もあった。
特定のキャラクターが欲しくて、出るまで回す!
と意気込んで、結局出なかった時の虚無感と、大量に被った他のキャラクターグッズの処理に困った記憶が蘇る。
あの頃の私は、なぜあそこまで熱中できたのだろう。
結局、飽きてメルカリで売ったり、友人に押し付けたりして、手元には何も残らなかったが、あの熱量は今思えば一種の才能だったのかもしれない。
そんな過去の「ハマり」癖を思い出しながら、私は休日になると、件の海岸へと足を運ぶようになった。
もちろん、危険物探索という大義名分のもと、だ。
別に誰に頼まれたわけでもない。
ただの好奇心。
というか、あの男性客が言っていたことが本当なのか、自分の目で確かめたいという、ちょっとした探偵気分だ。
普段なら絶対に選ばないような、日差しを遮る帽子と、厚底のスニーカー、そして砂が入らないように裾が絞れるタイプのパンツという、完全防備の怪しい格好で海岸を歩く。
潮風は思ったよりも強く、髪の毛が顔に張り付くのが不快だったが、そんなことよりも「ブスリ」の恐怖が勝っていた。
岩場と砂浜の境目を、目を皿のようにして探す。
まさか、本当に誰かが捨てたガラス片とか、金属の破片とか、そういうレベルではない、もっとこう、生命を脅かすようなものが存在するのだろうか。
想像をたくましくしていると、まるでSF映画のワンシーンのように、海底からとんでもない巨大生物の触手が突き出ているような、そんな妄想まで膨らんでくる。
我ながら、この想像力をもっと建設的な方向で使えないものか、と呆れる。
そうして数回、徒労に終わった探索を繰り返した後、ついにその日はやってきた。
私は、いつもの定食屋の男性客が話していたような「尖ったものが無数に飛び出た危険物」を発見したのだ!
それは、砂浜の奥まった、あまり人が立ち入らないような場所にひっそりと、しかし存在感を放つように、そこにあった。
「なにこれ…怖すぎ」
思わず声が出た。
それは、波打ち際から少し離れた岩の陰に、まるで海底から生えてきたかのように、黒くて硬い、無数の鋭利な突起が立ち並んでいる物体だった。
一つ一つが鉛筆の芯のように尖り、中には手のひらほどの長さがあるものも。
それらが密集して、まるで巨大なウニが陸に上がってきたかのようだ。
いや、ウニどころではない。
もっと禍々しい。
古代生物の骨格標本が、地面から突き出ているようにも見える。
もし、知らずに足を踏み入れたら、本当にブスリと刺さってしまうだろう。
想像するだけで背筋が凍る。
私は慌てて、持っていたスマートフォンでその物体を撮影した。
こういう時は、誰かに相談するのが一番だ。
自治体とか、警察とか、そういうところに連絡すべきだろう。
人知れず、こんな危険なものが放置されているなんて、由々しき事態だ。
私は、まるで世紀の大発見をしたかのような高揚感と、同時に、人々の安全を守らねばという使命感に駆られていた。
これはいけない。
私がなんとかしなければ、この海岸で悲しい事故が起きてしまうかもしれない。
しかし、その高揚感と使命感は、すぐに砂上の楼閣と化した。
私は意気揚々と、撮った写真を友人に送りつけ、「見て!
海岸にこんな危険物が!
どう思う?
通報すべきだよね?
」とまくし立てた。
友人からの返信は、数分後。
しかし、その内容は私の期待とは全く異なるものだった。
「え、これ、カニの甲羅じゃない?
ほら、甲殻類って脱皮するじゃん。
あれ、堆積してるんだよ。
たまに見かけるよ、こういうの」
…カニ。
友人のメッセージを読みながら、私の頭の中は一瞬にして真っ白になった。
カニ?
カニの甲羅?
あの、禍々しい針山が、カニの抜け殻の山だって?
私は慌てて写真を拡大した。
よく見ると、確かに、それは無数のカニの甲羅が、波や風によって一箇所に集められ、堆積して、あたかも一つの巨大な塊のように見えていたのだ。
一つ一つの甲羅は、乾燥して硬くなり、脚の付け根や殻の破片が尖って、それが無数に重なることで、遠目にはまるで鋭利な突起が無数に突き出ているように見えていた。
なんということだろう。
私は、あんなにも長い時間をかけて、こんなにも真剣に、カニの抜け殻の山を危険物と勘違いしていたのか。
しかも、それを「発見」したことに興奮し、使命感にまで駆られていたなんて。
この恥ずかしさは、過去最高レベルかもしれない。
かつて、友人の誕生日に渡すプレゼントを、ラッピングしてリボンまでかけたのに、間違えて自分のいらないものを渡してしまった時以来の赤面ものだ。
私はすぐに友人に「なるほどね、カニか…」とだけ返信し、その場にうずくまりたくなった。
いや、いっそのこと、このカニの抜け殻の山に埋もれてしまいたい。
カニさん、ごめん。
君たちの住処を、こんなにも恐ろしいものだと勘違いしてしまって。
そして、こんなにもお節介な好奇心で、君たちのプライベートゾーンを覗き見してしまって。
しかし、人間というのは不思議なもので、恥ずかしさのピークを過ぎると、とたんに笑えてくるものだ。
私は、その場で一人、肩を震わせて笑ってしまった。
海岸に響く、私の間抜けな笑い声。
きっと、周りの人から見たら、相当怪しい人物に映っていただろう。
いや、普段から怪しい格好で海岸をうろついていたのだから、今さら何を言われようと気にしない。
家に帰ってから、私はこの一件を家族に話した。
「海岸で変なもの見つけて、通報しようかと思ったんだけど、実はカニの抜け殻の山だったんだよ」と。
母は呆れたように「あんたも好きだねえ」と言い、父は「そりゃ、間違えることもあるさ」と笑い飛ばしてくれた。
そう、間違えることもある。
人間だもの。
この一件以来、私は以前よりも少しだけ、海岸を歩くのが好きになった。
以前はただの「砂と水」の場所だったのが、今は、カニたちの営みを感じられる、ちょっと面白い場所に変わった。
そして、あの定食屋の男性客の話も、もしかしたら、彼も私と同じような勘違いをしていたのかもしれない、と思うと、なんだか親近感が湧いてくる。
今度もし彼に会ったら、「私もカニの抜け殻を危険物だと思いました!
」と、笑顔で告白してやろうか。
いや、それは流石に、私の恥ずかしさだけが浮き彫りになるだけだろう。
結局、私の「お節介な好奇心」は、世の中の平和を守るどころか、自分の赤っ恥を一つ増やすだけで終わった。
でも、それもまた、人生のちょっとしたスパイスのようなものだ。
飽きっぽい私が、久々にこんなにも一つのことに熱中できたのだから、よしとしよう。
次はどんな「勘違い」が私を待っているのか。
少しだけ、楽しみなような、怖いような。
今日も私は、定食屋のお茶を啜りながら、そんなことを考える。
💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。
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