図書館の爺さんから受け取った、怠惰と文学の紙一重

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📝 この記事のポイント

  • 郵便受けに入っていたチラシの量が尋常じゃなくて、ゴミ袋が必要になった。
  • いつものことながら、この一瞬で「捨てる」という作業が発生する無駄をどうにかできないものかと思案する。
  • とは言っても、大した案が浮かぶわけでもなく、ただただ指先で紙の束をバラバラと確認し、広告の裏側に「お買い得! 」と書かれたスーパーの特売品目だけをかろうじて目で追う。

郵便受けに入っていたチラシの量が尋常じゃなくて、ゴミ袋が必要になった。

いつものことながら、この一瞬で「捨てる」という作業が発生する無駄をどうにかできないものかと思案する。

とは言っても、大した案が浮かぶわけでもなく、ただただ指先で紙の束をバラバラと確認し、広告の裏側に「お買い得!

」と書かれたスーパーの特売品目だけをかろうじて目で追う。

そんな風に、日々の小さな惰性の中に身を置いていると、やがて来るべき大きな惰性が私を支配するだろうという漠然とした不安に駆られる。

要するに、面倒くさがりな私は、こうしていつも「いつかやろう」を口実に、目の前の課題を先延ばしにしている、ということだ。

高校生の娘が最近、図書館通いを始めた。

なんでも、家だと集中できないから、静かな場所で勉強したいのだという。

まったく、どこでそんな「意識高い系」のスキルを身につけてきたのやら。

私なんて、高校生の頃は図書館といえば漫画を借りる場所、せいぜい夏休みの宿題で調べるものがある時に渋々行くところだった。

静かな場所で勉強、なんて発想は宇宙の果てくらい遠い話だったのを覚えている。

当時の私は、テスト前の一夜漬けでどうにか乗り切るタイプで、計画的にコツコツやるなんて芸当は持ち合わせていなかった。

その名残なのか、今でも何か新しいことを始めようと思っても、三日坊主で終わることもしばしば。

例えば、少し前に「これからは健康のために毎日ウォーキング!

」と意気込んで、スポーツ用品店で専用のスニーカーまで買ったのに、結局は近所のスーパーに買い物に行く時しか履いていない。

いや、それすらも、雨の日が続けばあっという間に「ま、いっか」と諦めてしまう。

雨のせいにしている時点で、もう言い訳のプロだ。

そんな私にも、図書館で作業するという日が訪れるとは。

パートの仕事で簡単な資料作成が必要になり、家だとどうしても気が散るからと、娘の真似をして図書館の学習スペースを借りてみることにしたのだ。

普段、家ではテレビのリモコンが行方不明になったり、洗濯物が山積みになっていたり、あるいは娘の「お母さん、あれどこ?

」という声が飛んできたりと、集中を阻害する要素が満載だ。

だから、たまには静かな環境で、誰にも邪魔されずに自分のタスクに没頭したい、という切実な思いがあった。

図書館の学習スペースは、意外にも快適だった。

ひんやりとした空調と、カチャカチャというキーボードの音、時折ページをめくる音が心地よいBGMになっている。

よし、今日はこの資料を完成させるぞ、と気合を入れ、パソコンに向かってカタカタとキーを叩き始めた、その時だった。

私の背後から、突如として響き渡る声。

それは、まるで拡声器を通したかのような、朗々としたバリトンボイス。

「なぁ~!」

思わず肩がびくりと震えた。

な、なに、今の。

ここ、図書館だよね?

まるで居酒屋で友人に声をかけるような、そんな親密かつ、場違いな声量。

恐る恐る振り返ると、そこには、まさに絵に描いたような「図書館の爺さん」が立っていた。

白髪をきれいに撫でつけ、シャツにカーディガンを羽織った、いかにも知的な雰囲気を漂わせる紳士。

しかし、その口から放たれた第一声は、完全に私の予想を裏切るものだった。

私は思わず、目の前のパソコン画面に目を戻し、気づかないふりをした。

たぶん、私じゃない、たぶん、誰か他の人に声をかけているんだ。

そう言い聞かせた、その直後。

「君のその横顔は、まるで北欧の森に佇む白樺のようだね!」

……え?

今、なんて?

私、横顔?

白樺?

あまりに唐突で、そしてあまりに文学的な二言目に、私は固まった。

さっきまでの「なぁ~!

」という粗野な呼びかけとのギャップが激しすぎて、脳が処理しきれない。

白樺、ねぇ。

決して悪い気はしないけれど、突然そんなことを言われても、どう反応していいか分からない。

とりあえず、ありがとうございます、とでも言えばいいのだろうか。

でも、私は別に北欧の森に佇んでいるわけでもなく、ただ図書館の学習スペースでパソコンをカタカタ叩いている、ごく普通の50代パート主婦だ。

白樺の木に失礼ではないか、とまで一瞬考えてしまった。

その爺さんは、私の困惑した表情に気づくことなく、いや、もしかしたら気づいていて、それを面白がっているのかもしれない、ニコニコと微笑んでいる。そして、さらに畳みかけるように言った。

「その澄んだ瞳は、知識の泉を映し出すがごとく、清らかだ!」

もう、やめてくれ。

私は今、パソコンの画面に表示された、経費精算のExcelシートと格闘している最中なのだ。

知識の泉どころか、目の前の数字が合わなくて混乱している。

清らか、というよりは、むしろ濁流のような焦燥感が瞳に宿っているはずだ。

私は苦笑いを浮かべ、なんとか「あ、ありがとうございます」と蚊の鳴くような声で返した。

爺さんは満足そうに頷き、そして、「では、私はそろそろ『知の迷宮』へ戻るとしよう」と言い残し、書架の奥へと消えていった。

知の迷宮、ねぇ。

あの爺さんにとっては、図書館全体が壮大な物語の舞台なのだろう。

この出来事を娘に話したら、「お母さん、モテてるじゃん!

」と笑われた。

モテてる、というよりは、ただ単にあの爺さんの文学的感性が暴走しただけのような気がするけれど、まあ、悪い気はしなかった。

むしろ、あの爺さん、毎日色々な人に声をかけて、どんな比喩を使っているんだろう、と少し興味が湧いてしまったくらいだ。

昔の私だったら、ああいう人には絶対に関わろうとしなかっただろう。

怪訝な顔をして、目を合わせることもなく、さっさとその場を立ち去っていたかもしれない。

人との距離感を測るのが苦手で、変な人に絡まれるのはごめんだ、と身構えていた。

それが、歳を重ねて、少しは図太くなったのか、あるいは「人生は一度きりだし、まあいっか」という諦めにも似た達観が生まれたのか。

突拍子もない出来事にも、少しは笑って対応できるようになった。

昔は、人からどう見られるかを気にしすぎて、一挙手一投足に気を張っていたような気がする。

でも、今は、どうせ私なんて、と自虐的に笑い飛ばせる余裕が生まれた。

これが、変わったこと。

でも、変わらないこともたくさんある。

例えば、何かを始めようと決意しても、なかなか続かないこと。

図書館で集中して作業できたのは、あの爺さんの存在がいい意味での刺激になったからかもしれない、なんて言い訳がましいことを考えてしまう。

結局、資料作成はなんとか終えられたけれど、家に帰ればまた、いつもの怠惰な日常が待っている。

あの爺さんのように、人生を壮大な物語として捉える感性があれば、日々の洗濯物も、ゴミ出しも、もっと詩的にこなせるのだろうか。

いや、それは無理だろう。

いくら文学的感性が豊かでも、生ゴミの臭いは生ゴミの臭いだ。

それでも、あの爺さんの言葉が、私の心に小さな引っかかりを残したことは確かだ。

図書館を出て、スーパーに寄って夕飯の買い物をしている時も、ふと「あのお惣菜は、まるで夕焼けに染まる雲海のようだね!

」なんて声が聞こえてくるような気がして、思わずフフッと笑ってしまった。

レジのパートのお兄さんが怪訝そうな顔をしていたけれど、もう気にしない。

あの爺さんのおかげで、日常の小さな景色も、少しだけ違って見えるようになったのかもしれない。

結局のところ、私は今日も明日も、目の前の小さなタスクに追われ、三日坊主を繰り返しながら生きていくのだろう。

図書館で出会った文学的な爺さんのように、世界を詩的に捉える感性なんて、そう簡単には身につかない。

でも、たまには立ち止まって、日常の片隅に転がっているユーモラスな出来事を拾い集めるくらいの心の余裕は持ち続けたいものだ。

ゴミの山と化したチラシを前に、今日も私は「いつか、ちゃんと整理するぞ」と、心の中で決意表明をする。

そして、きっと明日も、同じことを言っているのだろう。

変わらないな、私。

まったく。


💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。

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